レビュー

秘密会議か勉強会かの議論の本質

2012.05.28

 「使用済み核燃料の再処理政策を検討してきた原子力委員会の小委員会が、報告書を作成するために推進側だけを集めて秘密会議を開いていた」と毎日新聞が24日朝刊トップで報じた問題が、論議を巻き起こしている。この種のスクープは、ほかの新聞、放送が後追いしないか、ことさら小さく報じるという例がこれまではしばしばあった。しかし、今回は違う。

 原子力委員会の言い分は、勉強会であってその結果、小委員会報告書の内容が推進側に有利に書き換えられた事実はない、というものだ。藤村修官房長官も25日午前の記者会見で「原子力委が専門的な知見を得ることなどの目的でヒアリングすることは全く問題ない」との考えを明らかにするとともに、こうした勉強会が昨年11月から今年4月までに23回開催され、近藤駿介原子力委員長も4回出席していたことを認めた。

 読売新聞27日の社説が「原子力委の情報収集は必要だ」と政府、原子力委員会を擁護する立場を明らかにしているが、「推進側を特別扱いした」として原子力委員会に厳しい新聞記事が多い。

 この問題の本質を考える上で、重要と思われる指摘が、2月に公表された「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)の報告書の中に見られる。

 「原子力安全・保安院は、規制官庁としての理念も能力も人材も乏しかったといわざるを得ない。…規制官庁側と東電の関係は、実際は技術力、情報力、政治力に勝る東電が優位に立っていた。危機にあたって、保安院は、東電の資源と能力と情報に頼って対応せざるを得なかった」

 さらに原子力安全委員会については、次のように記している。

 「法的に脆弱(ぜいじゃく)な立場にあり、保安院が直接の『手足』として使えず、下から上がってくる情報を受け止めるだけの受動的な役割しか持っていなかった」

 国会が設置した東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)が17日に公表した「現時点での論点整理(第1回)」の中にも、規制官庁側の人材不足について手厳しい記述がある。

 「参考人聴取において(保安院)は『専門性それから知見、習熟度、そういったものについては、諸外国…と比べたときに、必ずしも十分なものではない…むしろ弱い』といった発言があったように、専門能力が諸外国の規制当局の人材に比べ劣っている」

 原子力委員会と原子力安全委員会は任務が異なるが、もともと原子力委員会だけだったのを、原子力安全委員会が後でつくられた経緯がある。原子力政策の策定と安全規制という役割の違いを明確にするためだが、組織のありようは似たようなところが多い。民間事故調や国会事故調の指摘について「原子力安全委員会」を「原子力委員会」、「原子力安全・保安院」を「原子力推進官庁」、「東京電力」を「電力会社、日本原燃、日本原子力研究開発機構」に置き換えたら、そのまま同じ図式が成り立つと言えるのではないだろうか。

 要するに今回、毎日新聞が火を付けた問題は、勉強会かそうでないかといったことが本質的な論点ではなく、原子力委員会自体にそもそも核燃料サイクルをどうしたらよいかを検討し、明快な結論を出すような能力があるのか、が問われている、ということではないだろうか。

 毎日新聞28日朝刊のコラム「風知草」で山田孝男氏は、核燃料サイクル問題が原子力委員会の手に余ることを裏付けるとみられる「ある閣僚」の言葉を紹介している。

 「今やめると言えば、サイクルの完成を前提に使用済み核燃料の中間貯蔵を引き受けてきた青森県が黙っていない。各原発サイトに核のゴミを戻せという話になる。最終処分に目鼻をつけないかぎり、核燃サイクルの話はできないんですよ」

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