レビュー

編集だよりー 2012年4月20日編集だより

2012.04.20

 「叙勲ってどうして元公務員が優遇されているの?」。 昔、親しい官僚に問いかけて笑われたことがある。「もともとが陛下から官僚に授与されるもの。安い給料でお国のためよく働いてくれた、ということで…」

 そうであるなら経歴から言って相当上位の勲章をもらって当然。そう思われる人がまだ授与していない、とひょんなことからだいぶ前気づいたことがある。その人のだいぶ後輩に当たる別の官僚に尋ねたところ「本人が辞退しているケースだと…」とあいまいな答えだった。高速増殖炉、再処理、濃縮といった核燃料サイクルの大きなプロジェクトを主導してきた一人である。いろいろな事故、トラブルが起きた責任を思えば、勲章などもらえない、ということらしいと合点した。なるほどそういう生き方もあるな、と感心したことを思い出す。

 使用済み燃料を全量再処理すると、全量ではなく一部をそのまま地下埋設処分するより金がかかるという評価結果を、原子力委員会の小委員会が19日公表した。この数字を見ながら、この人の顔を思い浮かべた。科学技術庁(当時)の原子力局長をされていた時のことだったと思う。「プルトニウム利用は到底、採算に合わないのでは」と尋ねたことがある。「日本人は国際価格の5倍も高い米を食べているし」というのが答えだった。

 5倍という数字の大小がポイントではない。価格だけで決められる問題ではないということだ。確かに石油ショックで原油価格の高騰が日用品の品不足にまで波及して大騒ぎになった記憶が、まだ鮮明なころである。自前のエネルギーがほとんどないことに対する危機感は、多くの人が共有していた。原子力発電の燃料となるウランを海外に頼るのはやむを得ないとして、使用済み燃料を使い切りにせず再処理してプルトニウムとウランを回収、これを自主開発した高速増殖炉の燃料に使い、その使用済み燃料を再処理すれば、使った燃料以上のプルトニウムが回収できる。回収したウランも濃縮プラントで再濃縮すればまた燃料に再利用可能。こうした核燃料サイクルを確立した暁には、日本は準国産エネルギーを保有する国になれる、というのが、原子力政策をつくり、推進してきた人々の描く青写真だった。

 しかし、現実はその通り動かない。動力炉・核燃料開発事業団(現・日本原子力研究開発機構)の再処理、高速増殖炉開発の度重なるつまずきと、日本原燃株式会社のもたつきで、核燃料サイクルが完成する時期のめどなどいまだについていないのが現実だ。そもそも、再処理した後に出てくる高レベル放射性廃棄物の処分地すら全く見通しがついていないのである。この問題を先送りしながら、原子力発電は、石油火力を初めとする他の発電方式より安上がりだ、という計算値についてあまり議論がなかったのだから、考えてみると不思議だ。

 これまで本気で検討したとも思えない使用済み燃料の使い切り、つまり再処理もせず、当然高速増殖炉開発もやめてしまう路線についてもとにかく評価した。今回、原子力委員会の小委員会が示した試算結果が、目を引くのはその点ではないか。使用済み燃料を放射性廃棄物、それも人が近づけないほど放射能レベルの高い廃棄物扱いするということだから、当然、処分先は全くめどがついていない。原子力発電を維持するのもやめるのも、高レベル放射性廃棄物あるいは使用済み燃料の処分地をどうするかが、大きな問題になるのは同じということだ。

 小委員会の評価を読みながらもう一つ思い出したことがある。これも前述の原子力局長(当時)とのやりとりだ。現在、青森県六ヶ所村でトラブル続きながらとにかく完成間近まで来ている再処理工場が、まだ建設地のめどすら立っていなかったころである。

 「再処理工場は、無人島に建設してはどうか」。編集者の問いに対する答えは「数千人が働く施設になるのだから、小さな島では無理」というものだった。大人数が働くようになれば学校、病院その他、家族が生活できるインフラが必要。このアイデアはあっさり否定されてしまった。

 しかしである。仮に核燃料サイクル路線が見直され、再処理せずに使用済み燃料をそのまま直接処分となったらどうか。何万年もの間、生活環境から遠く離れた地中深くに埋めなければならないのだ。再処理工場などと異なり、一定数の監視、警備役は常駐しなければならないかもしれないが、全体でどの程度の人が現場に必要となるのだろうか。時折、使用済み燃料を運び込む人や役所の規制担当者程度が出入りするだけだったとしたら、無人島(国有ならさらによさそう)に造るということもありないことではないのでは。

 と思ったのだが、どうだろう。

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