青森県六ヶ所村の原子燃料サイクル施設を初めて見学した。再処理工場、ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターが既に完成ないし完成間近となっており、MOX燃料工場も再来年には竣工予定という。ウランを繰り返し使う原子(核)燃料サイクルに必要な主要施設がほとんどそろっていることになる。ないのはウラン鉱石の採取と高レベル廃棄物の最終処分に直接かかわる施設くらいだろうか。
これらの施設をまとめて面倒見ている日本原燃株式会社が設立されたのは、1980年である。編集者が通信社の記者として現場を歩き回っていたころは、商業用再処理施設など引き受けるところなどありそうもないというのが社会の雰囲気だった。「住民の少ない島でも探した方が早いのでは」。当時、科学技術庁の幹部に思いつきを話したことを思い出す。「再処理工場ができるということは、そこに数千人が住むということ」と聞いて、こりゃ駄目だと思ったものだ。六ヶ所村という名前が出始めたころも、真に受ける気にはならなかった。原子力実験船「むつ」であれほど拒否反応を示したばかりの青森県内ではなあ、と。
今回、六ヶ所村を訪れたのは、日本原子力研究開発機構の広報企画委員会出席のためである。同機構は半年に1回の広報企画委員会を東京で開かずに、機構の施設がある地方で開く。六ヶ所村には、国際核融合エネルギー研究センターやむつ事務所などを管轄し、日本原燃株式会社への技術移転・技術協力にもかかわっている青森研究開発センターがある。今回は、同センターの広聴・広報活動を見てもらい、ついでに日本原燃の原子燃料サイクル施設も見学してもらおう、となったようだ。
この辺は、昔から稲作に不適な土地として知られる。やませと呼ばれる北東方向から湿った冷たい風が、夏季に気温や日照時間の低下をもたらすためだ。日本原燃の各施設を見学させてもらった際、移動用のバスを降りるたびにサーッと冷たい風。しかし、これはやませではないらしい。冬季には夏とは逆に西方から海に向かって吹く風が強いと教えられる。「1週間前から急に秋らしくなった」と案内してくれた日本原燃幹部氏。
日本原子力研究開発機構の説明と施設見学、日本原燃の原子燃料サイクル施設の見学の後、最後にいつものように地元の人々と広報企画委員の意見交換会が組まれていた。日本原子力研究開発機構が選んだ人たちだから、原子力に絶対反対という人はいない。だが、その土地によって気質の違いのようなものが感じられて、いつも楽しみにしている。六ヶ所村の人たちは率直な話し方をする人が多いという感じである。
「出稼ぎ協議会というのが今でもある」という話が興味深かった。ただし、その実態は大きく様変わりしているという。「六ヶ所村の人口は12,000人を切るが、日本原燃が来る前まではこのうち3,000人が出稼ぎに出ていた。今は200人いるかどうか。村の人間のほとんどが日本原燃になんらかの形でかかわっている」。いまや地元で原子燃料サイクル施設に反対する人はほとんどいないという。
原子力施設にかかわらずよそ者がその土地に受け入れられるかどうかを左右するのは何か。詰まるところ、よそ者が内輪の人間になるかどうか、ということではないか、という気がした。