急にNHK交響楽団の定期演奏会の招待券をもらい、サントリーホールに出かけた。休憩時間、いつもの光景に出くわす。男のトイレだけ長い列が途切れないのだ。隣の女性トイレは、列がいつまでも通路まで伸びていることはない。サントリーホールが女性観客を大事にする造りになっているのと、編集者と同じように小用の間隔が短くなった年齢の男性がN響会員の多くを占める、というのが理由だろう。
この夜の演目は、ショスタコービッチのチェロ協奏曲2番とラフマニノフの交響曲3番だった。前者は作曲家晩年の作品ということで、チェロの静かな独奏で始まる。とはいえ両曲とも多くの管楽器に加え、いろいろな打楽器が活躍する場面が多い。編集者の好みに合っている。多分、両方とも初めて聴く曲だが、全く退屈しなかった。
クラシック音楽を聴く折に時々思うのは、楽器の進歩が及ぼす影響だ。会場で渡されたプログラムによるとこの日の独奏者、エンリコ・ディンドの使用しているチェロは1717年製のロジェリ「エクス・ピアッティ」という。わざわざ演奏者紹介欄の最後に記しているところを見ると名器ということだろう。帰宅後調べてみると1717年といえばバッハがケーテンという都市の宮廷楽長になった年で、ハイドンなどはまだ生まれていない。このころの音楽といえば、限られた聴衆の前で演奏するのが普通だったろうから、当時、作られた楽器が最近作られるものより大ホールにも向いているというのは、どうにも腑(ふ)に落ちない。
前にも紹介したが、ロケット工学で有名な糸川英夫氏の著書「八十歳のアリア 四十五年かけてつくったバイオリン物語」に書かれている挿話を思い出してしまう。長年、バイオリンの研究を続けているサウンダーというハーバード大学教授が、ホールで行った実験だ。高名なバイオリニストであるハイフェッツにカーテンの陰で2つのバイオリンを弾かせ、聴衆にどちらがストラデバリウスか当てさせるという試みだ。
一つは「そこらへんにころがっているペーパークリップ」を駒に挟んだだけの既存のバイオリン(それだけで音がよくなることをサウンダーは突き止めていた)だったのだが、大半の聴衆はどちらが名だたる名器からの音か区別できなかったという。
演奏者は、心身ともに最高の状態で行わないとよい演奏はできないだろうから、名器で演奏したいという気持ちは理解できる。しかし、あまりそれにこだわると墓穴を掘りはしないだろうか。楽器次第で演奏の出来が左右される、ということになるとそれだけ演奏者の役割が低くなると言えないだろうか。楽器などの助けを借りず自分の声一本で勝負する声楽家の方が、演奏家としては価値が高いということになりかねない(実は編集者はそう思っているのだが)。
さらに、もし名器から皆が信奉するほど決定的によい音が出るわけでもないとなれば、名器を過度にありがたがること自体、こっけいな話となりはしないだろうか。
この日の演奏会では、ホルンをはじめとして管楽器の音色が印象に残る個所があった。管楽器に関しては、おそらく18世紀や19世紀より今の方がよい音を出す楽器が多いのではないか。あらためてそう思ったのだが、音楽に詳しい人、耳の肥えたファンは別の意見を持つだろうか。