「旧ソ連が崩壊したのは、共産主義体制が原因ではない」。4日、東京大学武田先端知ビルで行われたシンポジウム「自己組織化-シロアリ・量子ドット半導体・人間社会」で、今田高俊・東京工業大学大学院社会理工学研究科教授の話に虚を突かれた。「あれだけ大勢の国民を管理できると考えたのが間違い。できるはずがない」というのだ。共産主義そのものが詰まるところ無理だったからだろう、とそれ以上考えようともしなかったことを恥じる。
「大企業が一人の会長あるいは社長の力で管理できるわけはない」という指摘もなるほどと思いながら聞いた。福島第一原子力発電所事故で首相や原子力安全委員長、東京電力社長などトップの責任を追及する声は強い。しかし、糾弾する側が腹の中で思っている、ということはないのだろうか。「それならお前、やってみろ」と言われたら、実は自分も完璧にやれる自信などないのだが、と。
今田氏によると、一人の人間が管理できるのはせいぜい200人くらい、という。これもまたよく分かる。オーケストラの指揮者、映画監督、団体球技の監督などなら、1人の有能な人物次第で、作品、成績は何とでもなるということはありそうだから。ただし、何千人、何万人もの社員を抱える大企業などはそうはいかないのでは。業績向上をその時の社長の功績とする記事などもよくあると思われるが、よく考えてみると妙だ。本当は前あるいはその前の社長あるいはもっと下の人間が種をまき、育ててきた作物が立派に実り、刈り入れ時が、たまたま後任の社長の時期になっただけ。そんな例は、いくらでもありそうだ。最近では、逆に前任、前々任者の大きな誤りが露呈され、責任をかぶらされる気の毒なトップの方が多いかもしれないが。
編集者の経験だけでも、すぐ思い浮かぶことがある。「瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件」(2002年5月)を覚えている人は多いと思う。日本の総領事館に助けを求めた亡命希望者の決死の計画が失敗に終わった、という事件だ。これが大問題になったのは、ビデオ映像が日本の全テレビ局ばかりか海外のテレビ局で放映されたから、といえる。中国の警察官が日本の総領事館の敷地内に入り、亡命者を取り押さえて引きずり出し、さらに日本人総領事館員がこの事態を傍観していた、という一部始終を撮影していた…。
編集者は、この時、この映像を流した通信社の放送ニュース担当部署にいた。ニュース映像をテレビ各局に配信し始めたのは、ほんの少し前だった。NHKや民放報道局の幹部に「ニュース映像配信サービスを始めるから、何とか受信していただけないか」と、お願いに回ったことが懐かしい。サービス開始後間もない時に出たのが、この特ダネ映像だったというわけだ。しばらくして、フジテレビを訪ねた時「今年の日本新聞協会賞の映像部門は瀋陽で決まり」と報道局長に褒められ、実際その通りになる。
さて、ニュース映像サービスを始めた最大の功労者は、だれか。すぐに収入増に結びつかない映像サービスの重要性を社内で説き、NTTとの専用回線交渉(通信社に映像専用回線を認めさせるのは困難だった)など社外の調整も率先して行った担当役員である。しかし、新聞協会賞受賞の特ダネ映像が、連日のようにテレビで放映された時点では既に退社していた。ニュース映像サービスを始める苦労や功績を知るのは、社内でもごく一部の人間だけだったと思う。
トップが大号令をかけ、厳しい姿勢で経営にのぞめばよい結果をもたらすなどというものではない…。今田・東京工業大学教授の指摘は、実はだいぶ前から編集者なども漠然と感じていたような気もする。ちなみに、編集者が長く勤めた通信社はずっと給与、賞与に一切の査定がなかった。上からの露骨な締め付けなどなくても人一倍働く人間は、どこの職場、世界にも一定数いる。そんな「自己組織化」の仕組みができていたように思う。
ちょうど1年ほど前に、高校の首都圏同窓会会長という役目から解放してもらった。人に指図されるのも嫌いだが、人にあれこれ命令するのも嫌、さらにやたら人を管理したがる人間がそばにいるのも不快、という誠に勝手な人間だ。給料をもらっている職場ならともかく、何で同窓会のような所で、管理者的な言動をしなければならないのか。時の流れに身をまかせ…。そんなスタイルを4年間、押し通したものだ。
6日の毎日新聞朝刊のコラム欄「風知草」で山田孝男記者が、枝野幸男経済産業相が太平洋戦争を終わらせた首相、鈴木貫太郎を評価していることを紹介している。「時代から求められた人が首相になるべきで、そういう人が大きな仕事をするんですよ」と枝野氏が雑誌のインタビューに答えていることも…。
似た発言は、ちょっと前にも聞いたばかりだ。「請われれば一差し舞える人物になれ」という梅棹忠夫氏(故人)の言葉を引いて、これからの社会において求められる人物像を語った鷲田清一・前大阪大学総長の言葉だ(2011年11月21日ハイライト参照)
「これまでのような経済成長はありえない。賢いフォロワー(随行者)になり、場合によっては自分がしんがりを務める。そういう人が1人でも多くなる社会をつくっていくことが大事」
そういえば、いつも文章のうまさに舌を巻いている豊田泰光氏も、日経新聞2日朝刊スポーツ面のコラム「チェンジアップ」で次のように書いていた。
「コーチ時代の経験も含めて言うと、伸びるやつは勝手に学び、ひとりでに育つものだ。教えられて伸びるやつはまずいない」