レビュー

編集だよりー 2008年3月15日編集だより

2008.03.15

小岩井忠道

 リーディング・プルーフ(書評用仮綴じ本)というのがある、と初めて知った。丸谷才一氏が、この日の朝日新聞朝刊文化面に書いている。ただし、英米の話だ。「まともな表紙はついてなくて、題も著者名もないハトロン紙が表紙の校正刷りだ。あらかじめこれが届くせいで、発売と同時に各紙いっせいに書評が出そろい、景気をあげる」という。

 だいぶ前になるが、米航空宇宙局(NASA)ゴダード宇宙飛行センターの国際紫外線衛星天文台長などを務めた宇宙物理学者、近藤陽次氏が、宇宙科学研究所(現・宇宙航空研究開発機構宇宙科学本部)に短期間、滞在していたときのことを思い出した。集中講義を頼まれたか、共同研究のためだったかと思う。訪ねたら分厚い本を読んでいた。高名な米国のベストセラー作家(トム・クランシーだったかも)に頼まれて、日本関係の個所におかしなところがないか、発行直前の新著の文章をチェックしているのだという。

 「日本人なら決して言わないような台詞があったりしますから」。氏が手にしていたのは、既に立派な本の体裁になっているように見えた。丸谷氏が書いているリーディング・プルーフ(書評用仮綴じ本)のような感じではない。一握りのベストセラー作家だけは、書評以前の時点ですでにほとんど完成品に近い“本”をつくり、しかるべき人に目を通してもらうということをしているのだろうか。

 科学記者には周知の話だが、欧米の有名な学術誌は、発行日の前日あるいは前々日に解禁日時厳守を条件に掲載論文のコピーが、マスメディアに提供される。発行と同時に正確な記事を多くの媒体に報道してほしいためだ。現実にこの慣行は相当の効果を挙げていると思われる。

 日本の出版社も、かなりの出版物について書評用仮綴じ本を用意したらどうか。出版後、すぐに書評を書けとせきたてるだけでは育ちかけている書評文化の水準を落とすことになりかねない、というのが丸谷氏の結論であった。

 丸谷氏の記事によると、洋紙活版刷り、要するに今出回っている形の本が英米から日本に入ってきたのは1870年代。しかし、日本は書評というものは、なぜか一緒に受け入れなかった。「イギリスでは18世紀後半に書評が始まり、19世紀になると鉄道旅行の発達につれていよいよ盛んになった」そうだが…。

 「1930年代の朝日新聞は毎週1回、2分の1か3分の1ページの書評欄を設け、小林秀雄その他一流の筆者を擁していたが、中身は言うに価しないものだった」。結局、書評文化が定着したと言えるのは30年前でしかない、という。

 新聞、雑誌の書評欄に対する氏の指摘の中でもうひとつ目を引いたことがある。「一つ一つの書評をもっと長くしてほしいし、書評の芸を高めてもらいたい」。まだまだ満足できるものばかりではないということだろう。

 書評というものが、その道の第一人者からすればこうだとすると、新聞や雑誌に欠かせない映画評というのは、どうだろうか。公開中の「明日への遺言」が話題になっている小泉堯史監督と、映画評論(家)について話す機会があった。小泉監督はよく知られているように長年、黒澤明監督の助監督を務めた経歴を持つ。

 「『乱』について『旗がはためいているだけの映画』と批評されたこともあるし、『まあだだよ』に対しては『もういいよ』と書かれたこともある」映画評論家の批評を一々気にかけていたら監督などつとまらない。巨匠、黒澤監督にしてこんな目に遭っているのだから、ということだろうか。

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