レビュー

編集だよりー 2011年4月24日編集だより

2011.04.24

小岩井忠道

 日本大学練馬光が丘病院に入院・闘病中の友人を見舞う。車いすで待合室まで出て来てくれたので、安心する。しかし、痛み止めの薬も点滴で注入しているほか、酸素を吸入する管を鼻に差し込んでいるくらいだから、相当苦しそうだ。

 「健康が何よりだね」と言われ、言葉に詰まる。通信社時代、仕事が全く異なるため、たまたま労働組合の執行部で1年間、苦楽を共にしなければ恐らく言葉も交わすことなく終わったかもしれない。その後の30年近い付き合いの中で、一体、何度一緒に飲んだことか。健康悪化にも相当手を貸してきただろう、と考えてただ頭をたれてしまった、という次第だ。

 「この年になればだれしも体にいろいろおかしな所は出てくるよ。1年前、連日夜中になると背中が痛み出して往生した。結局、運動不足以外に原因は考えられないと勝手に納得したら治ってしまったけど…」。あまり疲れさせてはと思い、慰めにもならないことを言って、別れた。

 都営大江戸線で東中野駅まで戻り、JRに乗り換えようとして、ふと数日前の新聞記事を思い出す。ポレポレ東中野でチェルノブイリ映画の特集をしているはずだ、と。上映時刻まで近くの図書館で時間をつぶし、「ナージャの村」(本橋成一監督、1997年)を見る。チェルノブイリ原発事故(1986年)が起きた後も、立ち入り禁止になった村に住み続ける6世帯15人の生活を追ったドキュメンタリーだ。

 放射能の心配がない場所に家を用意したからと、転居を進める役人に当初、応じようとしなかった主人公一家も子供たちの教育のために途中で引っ越す。ただし、父親だけはたいしたお金になりそうもない仕事のために一人だけ残る。引っ越した母子たちも週末になると元の家に戻ってくる。そこが一番、住みよい土地だからだろう。立ち入り禁止区域の境界には、手動の遮断機が道路をふさいで、見張りの警察官が常駐している。

 立ち入り禁止区域内では、普通に農業が行われており、畑の土を掘り返すための馬も大事に飼われている。豚は途中で丸焼きにされてしまうが、このシーンも村の生活の重要な一部として丁寧に撮られている。採れた大量のジャガイモを立ち入り区域外に住む息子に送るため、車でやってきた運搬役に遮断機の下から手渡すシーンがあった。警察官はそれを見ているだけで、まさに黙認だ。パンその他の日用品を6世帯だけのために売りに来る車は、村に入ることが許されているらしい。

 村に残った人たちがお金に余裕があるとは到底思えない。しかし、ナージャ一家の食卓は決して貧相ではないし、子供たちの服装もみすぼらしいようには見えない。どこかの家で葬式があったりすると皆が集まり、立派に行う。外で住んでいた人も亡くなると生まれ故郷に戻ってきて、立ち入り禁止区域内のお墓に葬られるのだ。

 昔、江崎玲於奈氏がまだIBMワトソン研究所におられたころ、聞いた話を思い出した。旧ソ連時代、ソ連の友人宅に招待されると、次々にいろいろなものが食卓に出てくるのに驚いた、という。闇ドルでないとろくなものは買えないはずなのに、どうして手に入れたのか、と。

 GDP(国民総生産)や国民所得の違いだけで生活水準の善し悪しは、判断できないのではないか。まして、生活に伴う精神的な充足感の多寡など…。「ナージャの村」にはそんな思いにとらわれるシーンが何度も出てくる。

 上映後、本橋成一監督があいさつし「この作品で描きたかったのは、いのち」と語っていた。分かるような気がする。村の名前は地図から消されてしまったが、立ち入り禁止区域には今でも3人が住み続けているそうだ。

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