たまたまだが、東北地方太平洋沖地震の被災地出身同士という通信社時代の同期生3人で飲んだ。一番ひどかったのが気仙沼市の実家が津波に直撃された友人で、地震後しばらく郷里と連絡がとれなかった。幸い実家の兄上一家を含め、宮城県内に住む親族も無事だった、と聞いたのは地震後1週間以上たったころだったろうか。しかし、かまぼこ製造業を営む実家は津波で2階まで水浸しになり、再使用不能の状態という。避難するだけの時間的余裕はあったが、足が不自由で逃げられない義姉のため、兄上など3人は3階建ての自宅屋上に逃れ、辛くも生き延びることができたとのこと。
友人本人ですら気を遣って被害の様子を詳しく聞いていないそうだが、自宅周囲はすさまじい光景だったらしい。「ゼロからではなく、マイナスからの出直しだ」と兄上は言っているそうだ。
もう一人の友人は、福島県出身である。同県出身のマスコミ出身者でつくる親睦団体の会長をやっているからだろう。都内の同県出身者から義援金を集めたそうだが、ぼやいていた。「会社で既にやっているから」などと協力を渋る人間が大企業の役員たちに結構多いというのだ。「『灰皿と金持ちは、たまるほど汚くなる』と言うそうだから」と慰める。
さて、わが茨城県はどうか。高校の後輩でもある鈴木 國弘・J-PARCセンター広報セクション リーダーの緊急寄稿「分かりやすい広報の重要性再認識 - 茨城県とJ-PARCも大被害」に報告されているように、相当な被害なのだ。郷里の叔母宅も床の間の壁が崩れ落ちたのだが、常磐線がまだ不通なため編集者も見舞いに行けない。その割にテレビで報道されることは少ない、と鈴木氏も怒っている。茨城県は日本で唯一、地元テレビ局がない県だ。キー局も系列局のある宮城、福島、岩手県の映像が主になってしまうからだろうか。
思えばこれまで無責任なことを言っていた、と反省する。三陸沖がしばしば大きな海溝型地震に見舞われ、大津波の被害も受けていたことは承知していた。よく知られているように東北から関東地方の太平洋岸沖には日本海溝が延びている。この部分で太平洋プレートは日本列島の東半分を載せた北米プレートの下に潜り込んでいる。ではなぜ、茨城県に三陸沖のような地震が起きないのか。東北地方には繰り返し巨大地震を起こす大きなひずみが蓄積されるのに、南側の茨城県沖はなぜひずみがたまらずに済んでいるのか。昔、ちょっとは考えたこともある。しかし、茨城県沖合で潜り込んでいるプレートと、絶えずその力を受けている陸側のプレートの摩擦力は小さく、ちょっとひずみがたまるとズルッと動いてひずみを解消してしまう。大要、そんな記述を何かで読んで、そこでそれ以上考えるのをやめてしまった。大体ものごころついたころから小さな揺れにはしばしば見舞われている。しかし、地震の被害など見たこともない。いかにもこの“説”は本当らしく思える、と。
茨城県は、県内の工業団地に企業を誘致することに熱心だ。都内で企業相手の説明会を開いた茨城県開発公社に勤める高校の同級生にとんでもない講釈をたれたことがある。「茨城県は大きな地震がない、ということをもっとアピールした方がよい」などと。
それが全くとんちんかんだったことを、宍倉 正展・産業技術総合研究所 活断層・地震研究センター 海溝型地震履歴研究チーム長の緊急寄稿「地層が訴えていた巨大津波の切迫性」を読んで初めて知った。氏にいの一番に原稿を頼んだのには理由がある。氏が東海、東南海、南海地震が過去、繰り返し起きている南海トラフでこれら海溝型地震発生の頻度、周期を堆積物の研究から調べていたからだ。東海、東南海、南海地震がそれぞれ単発で起きるケースと、連動して一挙に特大の巨大地震となったケースの両方が、歴史資料のない昔から起きていることを突き止めている。これはだいぶ前に原稿を書いてもらった(2008年10月29日オピニオン・宍倉 正展氏・産業技術総合研究所 主任研究員「東海・南海『連動型』巨大地震の発生予測」参照)
しかし、三陸沖から茨城沖までの日本海溝沿いでも南海トラフ同様の連動型巨大地震がまれではあるが起きていることも調べ上げており、さらにその結果を基に自治体へ対策の必要を提言していた、というのは知らなかった。緊急寄稿を掲載して数日後に複数の全国紙が宍倉氏の研究を紹介する記事を載せていたから、報道機関も知らなかったところがあるということだろう。
ある程度、発生の間隔が分かっていると言われる海溝型巨大地震でもこの程度である。内陸で起きるその他の地震となると、いつ起きるのかを知ることは至難の業ではないか。あらためて思い知った。

