平均寿命は延びている。既に何年生きたかより、これから何年生きるかを考えた方がよい。体力的にも実際にヒトは昔より若くなっている。男なら自分の年齢に0.74、女なら0.72をかけてみるとちょうどいい。例えば今の60歳は昔の42歳くらいとなる…。
ハイライト欄で紹介したことのある坪田一男・慶應義塾大学医学部教授の話の受け売りだ(2007年9月4日「アンチエイジグ(抗加齢)で視聴覚障害の克服を」参照)。どうしてこんなことが言えるのか、少々気にならないこともない。しかし、英科学誌「ネイチャー」に載った論文(Nature 435:811-813, 2005)を基にしているというし、正しいと信じて困ることもないのでそうしている。
高校の先輩たちの会合に招かれるたびに、皆さん元気なのにつくづく感心する。元気のない人たちは会合などに出てこないからかもしれないが、ともかく旧制中学以来の長い歴史を持つ母校の先輩たちは、年配になるほど人物も大きく見える。こうした思いもあって、ちょっと前に10歳以上離れた先輩たちの学年同窓会に招かれた際、冒頭の話をあいさつの中で紹介した。
こういう話を聴いて不快に思う大先輩たちはまずいないだろう。そんな魂胆からいいつもりでしゃべっているうちふと、ひょっとして前の年にも同じ話をしたかも、と気になり出した。冷や汗が出るような思いは二度としたくないので以来、このネタは封印している。
東京大学安田講堂で開かれたシンポジウム「地球温暖化・少子高齢化社会に対応した新しい社会づくりを目指して」(東京大学サステイナビリティ学連携研究機構、一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム主催)を傍聴した。3カ月前にオピニオン欄に寄稿していただいたばかりの秋山弘子・東京大学高齢社会総合研究機構 特任教授(2010年11月22日「世界に先駆け高齢社会のモデル創出を」参照)が、講演者の1人として登壇された。
「2002年と1992年の高齢者の歩行速度を比較すると11歳も若返っている。02年の75歳と92年の64歳の歩く速さは同じ」。鈴木隆雄・国立長寿医療研究センター研究所長の研究結果を引用しながら話しておられた。昔は会社などを定年になると、ほどなく寿命が来たけれど、今や人生90年という時代。定年後30年も生きるのだから、昔と同じように考えているとえらいことになる。それに加えて、昔より高齢者は元気になっているのだから、というわけだ。
帰宅後、ウェブサイトで調べてみると引用されたデータは、鈴木氏が東京都老人総合研究所に所属していた時の調査結果で、この調査によると握力で比較しても男で4歳、女で10歳若返っているという。
02年の74歳といえば、今82、3歳。92年の64歳は72、3歳だから、編集者はこれらの人たちよりさらに若い高齢者に属する。現在72、3歳の方たちと同じくらいの歩行速度でしかないのか、はたまたこの方たちが64歳だったころよりも、もっと速く歩けるように若返っているのだろうか。その後の調査データは見つからなかったので、何とも言えないのが残念だ。
秋山特任教授は別の調査結果も紹介している。男性の8割は72-74歳まで風呂に入ったり、階段を2、3段上がる、日用品の買い物をするという行動が自分ででき、なんと1割は87-89歳までほとんどできる。7割は日用品の買い物をするなどは手助けが必要なものの、風呂に入ったり、階段を2、3段上がるのは自分でできる、という。こちらは20年間に及ぶ追跡調査結果というから、相当、信頼できそうだ。
要するに多くの人が漠然と思いこんでいるより、日本人の高齢者の多くは元気だということらしい。となれば、世の中に役立つことも考えないとなるのは必然だろう。
たまたま最近届いた「全国ふるさと大使連絡会議」の機関誌「ふるさと大使かわら版」2011年新春号に、加藤浩一水戸市長が次のように語っているのが目にとまった。水戸市はわが故郷で、加藤市長からはふるさと大使という“大任“を仰せつかっている。大使といっても女優の由実かおるさん(テレビドラマ「水戸黄門」の縁)など100人以上いる中の一人にすぎないが…。
「公民館を廃止して市民センターにし、福祉、防犯、高齢化といったいろいろな問題を地域と住民が一体となって考えられるようにした」。なるほど高齢者もこういうところで何らかの役割を果たすのは、世のため、さらには四六時中家にいてほしくない家人にとってもありがたがられるに違いない。
公民館は1学区に一つあって、文部科学省からの補助金が出ているが、教育目的という規制がついていたという。市民センターに衣替えするとき、この補助金はどうなったのか、機会があったら加藤市長に尋ねてみようと思う。