「落語というのを一度も生で聴いたことがない」という友人を誘って、独演会に出かけた。この落語家は前にも紹介したことがあるのだが、今回も褒めるわけではないので名は伏せる。休憩時、友人の感想に笑ってしまった。この落語家を最初に聴いた時に編集者自身が感じたことと全く同じだったからだ。
大きなホールではないが、とにかく空席はほとんど見当たらない。相変わらず人気があることが分かる。愛嬌(あいきょう)ある顔立ちで、性格も明るそうだから得をしていると思う。友人の感想というのは「なぜか分からないところで、笑い声が起きるのが気になった」というものだ。固定ファンたちらしいのだが、時々しか聴きに来ない編集者のような客には耳障りでしかない。
実は、今回は特に気にならなかった。最初の噺(はなし)、2番目の噺とも途中で何度も居眠りをしてしまったらしい。3話目も聴き始めて、すぐにあきらめた。難聴という自分のせいだから偉そうなことは言えないが、しんみりした噺だった上に、声を落としているから、ほとんど聞き取れなかったのだ。結局3話とも、よく分からないまま終わってしまった。
会場近くの居酒屋でのどを潤す。「○○と固定ファンだけに通じる符丁のようなものがあるらしい」。誰に確かめたわけでもないが、普通の客には不可解としか思えない笑い声の理由を披歴すると、友人もなるほどという顔をしていた。
落語にかかわらず固定客がいないと成り立ちにくい職業はいくらでもあるだろう。しかし、最初の客の一定数にも受けないと観客は増えないだろうから、じり貧になってしまうはずだ。むしろ最初の客の多くをもつかんでしまうくらいでないと、人気と実力を備えた芸能人にはなり得ないのでは。あらためてそう思ったが、これはまた大変なことに違いない。
シンポジウムなどで、聞き取りにくい講演が多くなって困っている。内容、口調ともに明快な人ばかりというわけはないから、難聴がだんだんひどくなっているわが方の責任だ。と重々、承知の上で最近よく考える。人の声を即座に文字化して、表示してくれるような携帯端末というのは実現しないものだろうか、と。
世界に例のないほど急速に高齢社会化が進む日本である。有望な商品になると思うがどうだろう。高性能の製品が出ればちゅうちょせず買い替える。そんな客も多いと期待できるはずだし…。