レビュー

編集だよりー 2007年12月9日編集だより

2007.12.09

小岩井忠道

 中山道を歩く会も、信州路から木曽路に入るところまでやって来た。初日の土曜日はJR中央本線塩尻駅を出発、信州路の最後を歩く。

 木曽義仲が愛馬を洗ったことに由来するという洗馬(せば)宿を過ぎて、次の本山宿に入ると古い家が両側に並ぶ宿場町の雰囲気が漂う。玄関前のおじいさんと立ち話をした。「役所と農協とJRくらいしか勤め先ないから、いったん出た人間は戻ってこない。20軒以上あった家も15軒に減ってしまったし、子どもも4人しかいない」

 この小さな集落が、そば切り発祥の地という。初めて聞く話だったが、そばを包丁で細く切って食べるようになったのは後からだ、ということは前に聞いた覚えがある。

 最初に思いついた人は、立派なことをしたものだ。そばが好きな人は日本中に相当いそうだし、自分でそばを打つのを趣味にしているという人もまた、結構な数に上るだろう。成分、製法、調理法とも工夫の余地など限られていそうに見えるのに、いろいろ講釈をこねる人も相当いる。それもこれも細いひも状にして食べたらどうか、と思いついた人がいたからこその楽しみだろう。

 そういえば最近聞いた中でいたく感心した話がある。手打ちそばのうまさは、そばの形状にあるというのだ。まず、断面が丸いスパゲッテイや冷麦のようでは駄目だという。これはまあそんなものかということにしよう。断面が四角い方がのどごしがよい。それも、そんな面もあるかも、と認めてもよい。相対する側面がつるつるしているのに対し、残る側面はざらざらしているのが肝心、と言われると少々驚く。手打ちそばは、延ばす際、あるいは最後に折りたたむ際に小麦粉を振ってべたつかないようにするため表面はざらざらしているが、最後に包丁を入れた面だけは、つるつるしている。断面が正方形でもやや長方形でもよいが、問題はそばの側面で、その感触が皆同じでは駄目、というのだ。

 しかし、そうはいっても、別にこんなことに気を回さなくても、そのそばがうまいかどうかとは別の話ではないか、と最後の抵抗を試みる余地はある。

 ところが、次の言葉についに脱帽となった。こうした手打ちそばの性質(ざらざら、すべすべの両側面がある)をきちんと持たせるそば打ち機械をつくってしまった人がいるというのだ。

 国産百パーセントのそば粉を用い、しかしこのそば打ち機械で打つために普通のそば店とほとんど変わらない価格でやっている。そんな店の人に直接聞いた話である。帰り道、しばしば、この店によって一杯となってしまう、というわけだ。

 さて、中山道の方は、2日目、木曽路11宿で最も大きな宿場だった奈良井宿に着いた。昔の雰囲気が驚くほどきちんと残っている。道路が途中で急に「鍵の手」のように折れ曲がる独特の街並みを持つ。黒澤明監督の映画「用心棒」のセットは、この奈良井宿も参考にしたのでは、と仲間がつぶやく。なるほど、懐手をした三船敏郎がふらりと物陰から現れる場面は、確かこの「鍵の手」のようなところだったか、と思いをめぐらした。

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