野口聡一さんの国際宇宙ステーション長期滞在開始を伝える記事の中で、読売新聞24日朝刊国際面の「宇宙への足ソユーズ独占」というモスクワ発の記事が目を引いた。緒方賢一、本間雅江両記者による署名記事だ。
「ソユーズで飛行士を国際宇宙ステーションへ運ぶ料金は従来、1人30億円前後だったが、米国が今年、ロシアと交わした2012年までの契約では、2倍近い約55億円に跳ね上がった」とある。スペースシャトルが来年にも運航停止となり、米国が新たな宇宙船を完成させる2017年ごろまで、国際宇宙ステーションへ宇宙飛行士を運ぶ手段はソユーズだけになるという背景が書かれていた。
日本は独自の有人宇宙活動計画を持つべきかどうか。これは古くて新しい検討課題となっている。6月に宇宙開発戦略本部が決定した「宇宙基本計画」は、「2020年ごろまでに2足ロボットなど高度なロボットによる月の無人探査の実現を目指す」ことまでは明記したが、独自の有人宇宙活動については明確な時期も段取りも打ち出せなかった。
独自の有人宇宙計画に巨額の税金を投入することを国民が支持するか確信が持てない。それが大きな理由の一つ、ということだろう。
当サイトに連載中のインタビュー記事「科学技術エンタープライズで雇用拡大を」の中で佐藤文隆 氏・甲南大学教授が「科学にロマンを詰め込んではいけない」と言っている(2009年12月18日第3回「自然科学は権威がこけていく物語」参照)。日本が科学技術立国を掲げ、教師も含めた広い意味での科学技術界(科学技術エンタープライズ)に多くの人材を集める必要を強調した上での指摘である。科学とロマンを結びつけることを否定する理由の一つに挙げているのが、1993年、既に20億ドルもの資金を投入していた米国の超大型加速器(SSC)が建設途中で中止になった出来事。当時、当然、物理学者たちは猛反対した。しかし、ノーベル賞受賞者数の増大、国家のプレステージ向上、人類のフロンティア開拓といった政府の呼びかけに米国民はもはや感動しなくなったという変化を、クリントン政権が見てとった措置、というのが佐藤 氏の見方である。
科学技術庁(当時)に宇宙科学技術振興準備委員会ができたのは1959年のことだ。その前年に科学技術庁長官に就任した三木武夫 氏(後に首相、故人)は、日本が宇宙開発を始める決定的な理由について思いあぐねていた。マスコミの科学部長クラスを招いて懇談したとき、「青少年に夢を与えるからやるべきだ」という声がマスコミ側から上がり、三木 氏が「それは名案」と大いに喜んだという話がある。「夢」や「ロマン」といった言葉と宇宙開発の関係は古くて長い。
行政刷新会議の事業仕分けで次世代スーパーコンピュータ計画に厳しい評価が下されたときのノーベル賞受賞者を含む学界の反発は猛烈だった。では、一般国民は事業仕分けをどう見ていたか。冷静に見ていた節はないだろうか。SSC建設中止時、大方の米国民がそうであった、と佐藤 氏が見るように。
野口聡一さんの国際宇宙ステーション長期滞在開始に対する報道ぶりを見て、有人宇宙活動に対するマスメディアの扱い方が昔とあまり変わらないという印象を持つ人はいないだろうか。独自の有人宇宙活動を日本が推進するという判断を将来するのなら、納税者の意向は昔以上に無視できない。費用の話を含めてもっと現実的なデータ、判断材料を出していかないと国民の支持など得られない、と感じる人はいないだろうか。