レビュー

編集だよりー 2009年8月1日編集だより

2009.08.01

小岩井忠道

 ちょうど3カ月前のこの欄で「昔は封じ手というルールはなかったのか」と書いたことがある(2009年5月1日編集だより参照)。囲碁棋士の小川誠子6段に呉清源に関する面白い話を聞いた後で、気になったことだ。7月28日の読売新聞夕刊を見て、疑問が解けた。封じ手というのができたのはそれほど古い話ではない、と知る。

 「呉清源師の生涯の一局」という記事には、小川さんに聞いた呉清源対本因坊秀哉名人との一戦が詳しく書かれている。対局は毎週月曜、14回打ち継がれたので3カ月以上かかり、名人の2目勝ちに終わったという。

 「一日に1手も打たないまま『きょうはこれでやめ』と名人が一方的に宣言して終わってしまうようなことがあった」。小川さんの話で気になった点については「常に黒の打ち掛けが慣例とされ」と書いてある。呉5段(黒)が打った局面で名人はいつでもその日の戦いを終えることができた、ということだ。呉と親しかった木谷実が勝負がついた後「常に黒が打ち掛けになるのは不公平だと力説していた」ということも記事に書かれている。

 「19歳で5段の私が名人と打っていただけるのですから、むしろ気楽でしたが、名人は坊門の権威にもかかわるので気が重かったかもしれません」

 呉さんの言葉も、小川さんに前に聞いた次のような話と符合する。「戦い再開となるまでに秀哉名人の弟子たちも加わって最善手を考えたのではないか、という声が当時あった」。確かに棋譜を見ると囲碁についてほとんど知らない編集者が見ても、秀哉名人の穏やかならざる心境は分かるような気がする。黒が最初に打った石は、坊門では禁手とされていたという三々、2手目がタスキの星、3手目がなんと天元という「奇想天外」で「坊門の棋士たちの気に障ったよう」な手が続いたからだ。

 「これじゃ、呉対本因坊一門の戦いでは」。恐らくそんな話が木谷実門下の棋士たちの間でも交わされていたのではないだろうか。小川さんも木谷実の内弟子だった人だ。

 素人が考えても不公平としか思えないな「慣例」が改められたのは、この戦いから4年後、木谷実と秀哉名人の引退碁が打たれた時で、木谷実が封じ手の採用を主張したためだ、とも記事に書いてあった。

 東京大学生を調べると親の年収が高い人たちが多い、といった記事が最近目につく。経済的に恵まれない家庭の子の方が多かった時代がかつてあったかどうかは知らない。しかし、ともかく今や東京大学生は恵まれた家庭の子が大半。そんな現実が軽視できないまでになっている、ということだろうか。

 公立高校生には毎年、年間授業料に相当する12万円、私立高校生にも同額、低所得世帯には2倍の24万円を支給するという教育支援策が7月27日に公表された民主党のマニフェストに含まれている。31日に公表された自民党のマニフェストにも同様の支援策が盛り込まれた。

 家庭の経済状況によってよりよい教育を受ける機会が大幅に左右されるのは国の将来にとってゆゆしきこと、という考えが根底にあるからだろう。同時にそういう状況は不公平だ、と考える国民(有権者)が非常に多いと踏んだうえでのマニフェストへの挿入と思われる。

 さて、これが東京大学生をはじめとする「大学生の多様性維持」にどのくらい効果があるだろうか。経済的に裕福でないと難関大学に入りにくいとすると、家庭教師や受験産業の恩恵に浴しにくいからか、というくらいの理由しか思い浮かばない。だとすると、家庭教師や受験産業が生徒に手っ取り早くは受験ノウハウを教えにくくする、というのはどうだろう。昔、少なからぬ国立大学がそうだったように入試科目を増やすのだ。科目が多ければ、試験に出やすい問題を教え込むのも簡単には行かないだろうから。

 文科系、理科系に限らず理科、社会それぞれ2科目を課すとなると、もう一つの課題である文系人間に科学リテラシー、理系人間には人文・社会リテラシーの向上も併せて期待できるのではないだろうか。もっとも「受験科目が増えたらますます差を付けてみせる」と受験産業に言われたら、このアイデアもとたんに色あせてしまうが。

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