レビュー

編集だよりー 2009年4月23日編集だより

2009.04.23

小岩井忠道

 ○○○に1年住むと1冊の本が書けるが、それ以上長く住むと何も書けないと言われている—。

 昔、同僚記者の言葉になるほどと思ったものだ。○○○が国土の広さ、人口、民族、歴史、文化、宗教その他多くの点で、日本などよりはるかに複雑で奥深い国だろうとは想像がつく。同僚記者はこの国で特派員生活を送ったことがある人物だが、確かに本は書いていない。

 2007年8月に、ハリケーン「カトリーナ」により壊滅的な被害を受けたニューオーリンズに30年ほど前、2日間ほど滞在したことがある。近く、と言ってもこれといったものも周囲に見当たらない道を車で延々、1時間以上かかるところに、当時、開発が難航していたスペースシャトル主エンジンの燃焼テストを担当していた研究所があった。シャトル初飛行が1年ほどのうちにあるだろうと見込んだ取材でその研究所を訪れた際、ニューオーリンズに宿を取ったというわけだ。本を書くなどという大それたことは思いもつかないとして、「ニューオーリンズという町は」などと酒席でひとくさりくらいしたかったものだが、いかんせん2日間である。国務省の海外広報担当官が取ってくれたフレンチクオーターのホテルが立派だった、というくらいの記憶しかない。この広報担当官は井上ひさしの戯曲「私はだれでしょう」に出てくる主要人物のモデルとしても知られるフランク馬場氏である(2008年1月18日編集だより参照)。

 「カトリーナ」による被害を伝える記事で、ニューオーリンズの町の大半が海水面より低いところにあると初めて知った。ニューオーリンズのことはろくに知らないにしても、ミシシッピ川というのは、「トム・ソーヤの冒険」を読んであれこれ想像して以来、身近に感じて来た存在である。といったこともあり、18日に明治大学 駿河台キャンパス のアカデミーコモンで開かれたシンポジウム「ニューオーリンズ・ハリケーン災害に学ぶ」をのぞいてみたというわけだ(4月20日レビュー「市民団体の役割 米ハリケーン災害の教訓」参照)。

 ニューオーリンズ市の復興開発局長を含め米国から市の復興に汗をかいた15人もの人々が参加し、復興活動の様子を報告したが、まず驚いたのが「カトリーナ」に襲われる前からニューオーリンズにもホームレスの人々がたくさんいたという事実だった。これらの人々に住まいを提供する市民団体がニューヨークをはじめ米国内にいくつもあり、ニューオーリンズの復興作業に大きな役割を果たしているのにも感心する。阪神淡路大震災を初め、日本でも災害時にボランティアが大きな役割を果たしていることは、新聞記事などで承知していたが、どうも向こうのNGOの方が、規模、財力、実績いずれをとってもだいぶ上のようだ。

 もう一つのキーワードが「コミュニティ」である。コミュニティ意識をその区域の人々が皆、持ち、復興作業に参加しない限り、復興(まだ途中だが)はあり得なかった。これが、米国から来た参加者たちに共通する意見だったように感じる。

 この日は午前中に別の会合があったため、会場には地下鉄・神保町から向かった。明治大学アカデミーコモンというのが、近くを通るたびに何度も見慣れている立派なビルだと知らなかったので、神保町駅で見た地図が頼りである。裏通りの坂道を上り、山の上ホテルに出たので左折し「この辺だが」と見渡したところ、道路左側の建物の前に制服を着た守衛がいた。「すみません。明治大学のアカデミーコモンというのはどちらでしょう」。丁寧に尋ねたつもりだったが、答えは「知りません。私は○大の人間です」。

 これもまた、自分が働いている組織だけを愛する「コミュニティ意識」の一種だったのだろうか。「自分と関係のないよその大学のことでわずらわされるなんて」と。

 ちなみに目指す明治大学アカデミーコモンは、その守衛から10メートルと離れていないすぐ目の前、道路一つ挟んでそびえる高層ビルだった。

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