ガラパゴス化という辛口の比喩が、日本の産業、特に携帯端末メーカーに対し投げつけられている。これに対しては、iモードやおサイフケータイの産みの親と言われる夏野剛・ドワンゴ取締役、慶應義塾大学特別招聘教授のような異論もある(2008年12月19日インタビュー「活かされていない日本の技術力」第1回「ガラパゴス化の実像」参照)
国内のニーズに一生懸命対応(進化)しているうちに、世界のニーズへの対応が全く遅れ、世界市場へほとんど進出できない結果を招いてしまっている。ガラパゴス諸島の動物たちに擬せられるのが、日本の技術そのものなのか、技術以外のものかで、意見が異なる。ただ、どちらにしろ日本の産業活動にガラパゴス化と言われるような実態が存在することは、否定できないということだろう。
これもまた「ガラパゴス化」か! 3連休の間にそんな思いにとらわれる羽目に陥った。10日から12日にかけて準決勝、決勝戦が行われた全日本総合バスケットボール選手権を現場とテレビで観戦してのことだ。まさに孤立したガラパゴス諸島で独自の進化を遂げた動物たちのようなバスケットボールになってしまっているのでは、という思いである。
翌日、一般紙、スポーツ紙に目を通してみたが、そのような懸念が伺える記事は皆無だった。唯一、産経新聞の榊輝朗記者による記事中に次のような記述が目に付いただけだ。優勝チーム、アイシンに対する指摘である。「ただ、最終ピリオドは佐古の得点まで約9分間を無得点で過ごした。厳しい守備で敵の追加点は抑えたものの、突き放して圧倒する強さはなかった。鈴木監督は『勝負はトータル』とかばったが、仕上げの時間帯で物足りなさが残った」。スポーツ紙に至ると5紙すべてがベタ扱の短い記事だけ。恐らく通信社の記事を使い、自社の記者は取材に出していないのではないかと思われる。バスケットはスポーツ紙にとって取るに足りない取材対象でしかないということだろう。
しかし、正味40分のうち、勝ったチームに連続9分間も得点がなかった、相手チームはそれでもなお大差で負けた、という試合内容である。それだけでもこの試合がいかに低級なものか、分かるのではないだろうか。
ブログなら何かあるかと、探してみたが、読みごたえのあるものはほとんど見つからなかった。「世にも奇妙な決勝戦?」という記事が一つ見つかっただけだった。「今日の決勝戦を見て、日本のバスケットボール界でも『CHANGE』を進めていかないといけない、と感じました」。「バスケットボールはあまり見ませんが」というこのブロガーが、かえってよく実態が見えたのかもしれない。
男子決勝戦で唯一、試合が盛り上がりそうになりかけた時もあるにはあった。アイシンのシュートが全く入らなくなり、日立がもたもたしながらも10数点まで点差を縮めたときである。いよいよ残り時間が少なくなったので、負けているチームとしては、相手のボールになったらあえてファールをして相手の時間稼ぎを止めるほかない。どんなチームでもとる当たり前の戦法である。そこで、信じがたい光景を見せられた。
負けているチームのファールに対し、悪質な反則という審判のジャッジである。勝っているアイシンの選手にフリースローを与えただけでない。さらなるペナルティとしてフリースロー後の攻撃権までリードしているアイシン側に与えるという判定に、開いた口がふさがらなかった。負けているチームに、審判が「もうあきらめろ」と言うような仕打ちである。国際試合ではまず見られないシーンではないか。少なくとも編集者が数年間にわたって米国のNBAや大学の試合を見た経験では、ついぞ目にした記憶はない。
スポーツは、プレーヤーや監督がいて、それを観戦するファン、報道するメディアがいる。そのようなシステムとして社会に存在しているのに、たった一人二人の審判が、ゲームを台無しにするようなジャッジをする。バスケットの試合が全国中継されるのは年に数えるほどだ。会場ばかりか、テレビで観戦しているファンの多くを落胆させるようなジャッジをすることで、バスケットボール界全体にどれほどのマイナスとなるか、考えないものだろうか。
前日の女子の決勝戦も幾分その気が見られたが、日本の審判はそもそも、必要以上にファールを取りたがるように見える。有力選手が開始早々、ファールを続けざまに取られたため5反則退場を恐れて思い切ったプレーが途中からできなくなる。あるいは、監督は同じ理由でその中心選手をしばしばベンチに下げざるを得なくなる。審判のために試合の興味が大きくそがれたケースはこれまでどのくらいあったのだろうか。
日本のバスケットボールはガラパゴス化している、と警鐘を鳴らしてくれるようなスポーツ評論家はいないものだろうか。