レビュー

編集だよりー 2009年1月8日編集だより

2009.01.08

小岩井忠道

 帰宅後、メールをチェックすると日本記者クラブから、記者会見の案内が来ていた。同クラブ主催の記者会見というのはしばしば開かれており、当サイトでも何度か紹介している(2008年12月8日ハイライト・吉川 洋 ・社会保障国民会議座長「医療と介護の関係明確に」、2009年1月1日レビュー「超電導リニア新幹線の世界展開は」など参照)。

 メールで案内のあったのは、ミロノフ・ロシア上院議長と作家の水村美苗氏の2つである。気になったのは、水村氏の方で「ゲストの希望により、テレビ・カメラの取材、テープによる録音はできません」という注意書きが付いている。こちらは記者会見と銘打ってなく「著者と語る」だ。あちこちの新聞書評欄で取り上げられている話題の著作「日本語が亡びるとき:英語の世紀の中で」について著者にいろいろ話してもらおうということらしい。聞いてみたいなとは思うものの、なぜ著者がジャーナリストを相手に話すのに写真・映像撮影、録音を断ったのだろうか、気になった。

 昔から取材の形態として、直接引用しないということがあらかじめ取材される側とする側との了解事項になっているものがある。当然、写真や録音を取るなどということは行われていないはずだ。今回の「著者と語る」は、こうした取材形態、あるいは背景説明(バックグランドブリーフィング)とも性格が違うのは明白である。だからといって、親しい記者だけをどこかに集めて懇談するというケースにも当たらない。日本記者クラブの全会員に出席を呼びかけているのだから。

 実はシンポジウムなどでも、撮影、録音は禁止するとわざわざ断るものがある(取材を申し込んだ人には、許されているのだろうが)。芸能人やスポーツ選手なら、容姿あるいは人によっては声にも商業的な価値があるだろうから、だれにも写真や録音を取らせるわけにはいかないのは分かる。しかし、発表者、報告者の多くが公的資金で研究を行っている人たちが報告や講演をするシンポジウムで、撮影、録音を禁止する理由は何なのだろう。

 文学を含む人文、社会科学系の仕事の成果と、理工系の研究者の成果の“商品価値”が違うということは考えられる。人文、社会科学系の著名な研究者が、「講演料が百万円という時期もあった」と新聞紙面上で語るのを目にしたことがあるからだ。講演内容をテープにとられ、内容をウェブサイトに流されてしまったりすると、その人の講演料の相場が下がってしまうことがあり得るかもしれない。理工系の場合は、発表や報告の内容が詳細に伝えられても経済的な損失につながることは、よほど特別なケース以外ないようにもみえるが。もし、知的所有権などで不利益になりそうな話なら最初からやらないだろう。

 水村氏の考えが分からないまま、あれこれ考えたが、取材者にとっては、制約が多い時代になってきたという思いをあらためて強くする。確たる理由もなしに撮影、録音を禁止してしまえ、と多くのシンポジウムがならないことを願うばかりだ。

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