早朝、寝床の中でNHKのラジオを聴いていたら、地域リポーターの話の中に「白瀬中尉」「にかほ市」という言葉が出てきたので、一挙に目が覚めた。国立極地研究所が、南極の厳しい環境下で運転可能な風力発電施設をつくるため、にかほ市で国内試験を始めることを紹介していた。
これは、横山にかほ市長から「ふるさと宣伝大使」の委嘱状をいただいている身としては、失態である。全く知らなかったからだ。なぜ、極地研がにかほ市で、ということは無論、リポーターの説明を聞かなくても分かる。日本の南極探検のパイオニア、白瀬中尉は、にかほ市の金浦(このうら)の出身だからだ。とはいうものの、にかほ市ふるさと宣伝大使になるまでは全く知らなかったのだが。
にかほ市は既に2回訪ねている(2007年5月21日編集だより、2008年10月3日編集だより参照)。白瀬南極探検隊記念館も見学している。そこで初めて白瀬中尉の晩年を知り、驚いた。南極探検を実現するまでが今では想像できないほどの苦難の道だったこともさることながら、帰国後の人生が探検のため抱え込んだ借金の返済に追いまくられていた、という事実にである。最後に関西の借家で息を引き取ったとき、近所の人たちはその老人があの白瀬中尉とは知らなかったという。
あの時代、南極探検の費用を国がすべて面倒見るということは難しかったとは想像できる。しかし、義務教育の教科書にも載り知らない人はいないという日本人のヒーローではないのか。その後の人生は借金返済で終わってしまったというのは、あまりにひどすぎはしまいか。例えば今の宇宙飛行士などと比較したらどうだろうか。などというと、宇宙飛行士に怒られるだろうが。
北極探検で名高い、米国人ペアリーのことを思う。あれは確か、米地理学会がスポンサーだった。ナショナルジオグラフィックの発行元としても知られる。
日本に必要なのは、巨大なNPO法人ではないのか。昔も今も。あらためて感じる。