「象潟の雨や西施がねぶの花」と聞いて、「それはちとおかしい」と気付く人は、俳句に相当詳しい人だろう。秋田県にかほ市の蚶満寺に残る句碑に彫られた芭蕉の句だ。
にかほ市ふるさと宣伝大使の皆さんと2、3日にかほ市を再訪した。1年前は空路を利用したが、今回はバスを借り切り、東京からの往復とも車内で酒盛りをしながらという豪勢な旅である。年間3分の1の日しか眺望できないという鳥海山を2日にわたり、たっぷり眺め、1日目の夕方には日本海に落ちる夕陽、その手前の飛島もしっかり見ることができた。東京の全国ふるさと大使の会などでもしばしば顔を合わせている横山忠長市長や、横山昭副市長らとゆっくり懇談することもできた。
いま町村合併でにかほ市の一部になっている象潟(きさかた)は、芭蕉が奥の細道紀行で最北端の地に選んだ場所である。芭蕉が訪れた後に起きた地震のため、地盤が隆起し、数多くの小島が点在する潟は一瞬にして陸になってしまった。ただ、きれいに整地された稲田をかつての水面に見立てれば、松を抱いた島影が点在する見事な風景が再現する。蚶満寺は、かつての島の一つに建つ古い寺だ。
象潟の風景に中国・春秋時代の悲劇の美女、西施(せいし)を重ね合わせたのが冒頭の芭蕉の句である。ただし「奧の細道」では「象潟や雨に西施がねぶの花」となっている。「奧の細道を世に出す時点で、芭蕉が一部手直しをした。雨の後にあった“や”が、象潟のすぐ後に来たことで、象潟がより強調されているからこちらの方がよい」と、案内してくれた市資料館の学芸員氏。
芭蕉ですら、句を完成するまでには、いろいろ思い悩むらしいというのも面白かったが、旅を終えてから、奧の細道を書き上げるまでに5年かけた、と知って驚いた。