中性子、中間子、ミュオン、ニュートリノといったさまざまな粒子ビームを作り出して、基礎、応用研究に活用するというユニークな研究装置「J-PARC」(大強度陽子加速器)の完成が近づいている。当サイトでも、9月から10月にかけて、永宮正治・日本原子力研究開発機構・高エネルギー加速器研究機構J-PARCセンター長のインタビュー記事「めざすは国際的研究施設 - 多目的加速器『J-PARC』の魅力」を掲載した。
やはり当事者の話をじかに聞くと、興味深い話が次々に出てくる。永宮氏の大いなる心配事は、この加速器が思い通りに動いてくれるかどうか、という「科学技術的」なことより、研究者たちが気分よく研究してくれる環境だった。特に宿舎が、もっとも大きな悩みのようだ。とりわけ欧米先進国の研究者にとって、住居はただ寝られればよいといったものではない。
戦後の荒廃から急速に立ち直らなければならなかった日本が、米国と同じというわけには行かないのは、やむを得ない。相手は戦争で本土はほとんど無傷だった。とにかく研究施設を整備するのが何より先で、研究者がどんな生活を送るかは二の次。こうした「仕事中心」「箱物優先」の考え方がある期間、日本社会を支配していたのも、これまた仕方がないだろう。しかし、この先、ずっとそれでよいのだろうか。
先日、J-PARCがある茨城県東海村を訪ねた機会に日本原子力研究開発機構の職員宿舎が立ち並ぶ脇を通った。前身の日本原子力研究所時代に造られた宿舎だろう。広い敷地に低層の住宅棟がびっしり並んでいる。建った当時は住み心地も悪くなく、見栄えもまずまずだったのだろうが、今となってはどうにも殺風景だ。寝起きができればいいという感じ、といったら言い過ぎかもしれないが。
「J-PARACから画期的な研究成果が出るには、外国から一流の研究者が押しかけることが必要。それにはここに住み着いてもよいと思わせるくらいの生活環境を整備しないと」。地元の茨城新聞に10週おきに寄稿させてもらっているので、直近の記事の最後にそんな意味のことを書いてみた。ノーベル賞受賞が決まった南部陽一郎氏も下村脩氏も米国で長年研究生活を送っている。米国が両氏に研究費を含め、研究環境を提供したということだ。そろそろ日本も米国人に研究の場を提供することをしてもよいのでは、ということを指摘した上で、である。
日経新聞9日朝刊の「中外時評」欄に、旧知の塩谷喜雄・論説委員が書いていた。「ノーベル賞、数を競う愚 日本在住の外国人受章者を」という見だしがついている。結びは以下のような文章だった。
「科学技術行政がいま気にかけるべきは、日本国籍の受章者数増などではなく、日本を研究拠点としている外国出身の受章者数がいまだゼロだということではないか。
日本出身で外国を拠点に受章した科学者は、江崎玲於奈博士、利根川博士、今回の南部陽一郎博士、下村脩博士の4人もいる」
言われてみればそうだなあ、と感じた読者も多いのではないだろうか。