古い町並みを残す四谷3丁目近くの季節料理店で、旧知の元科学記者、官僚OBと飲んだ。「OBになってからの方が忙しくなったのでは、と女房に言われた」。そんな近況報告から「最近は海外出張もあまり楽しみがない」、「喜ばれるようなおみやげもないし。昔はジョニ黒の1本でも持っていったら、ずいぶん感謝されたものだが」など、昔話にもしばし花が咲く。
そのうち、最近は役所が留学した人間に学位を取るよう勧めるようになっていると聞いて、驚く。学部卒では、国際的に通用しなくなりつつあるからだそうだ。そういえば「世界中どこへ行っても、研究開発の現場では博士が活躍している」と岸輝雄・物質・材料研究機構理事長は言っていた(2008年5月19日インタビュー「急を要する工学系の人づくり」参照)。日本の産業界では珍しいが、製薬業界は5年ほど前から、急激に博士卒の採用比率が高まり30〜70%に達している。製薬業界はグローバル化が進み、海外で臨床検査などにかかわるには博士号を持っていないと1人前扱いされないから、という話もある(2008年6月9日レビュー「博士はあまっていない?」参照)。
これまで研究現場にしか目を向けていなかったが、考えてみると政策にかかわる公務員がいつまでも学部卒で十分というのも妙だ。
一般の人々にどのくらい知られているか分からないが、キャリアと呼ばれる官僚の多くが、若いときに海外留学の機会を与えられる。日本の国力が欧米先進国に比べ、相当の差をつけられていた時代、国費留学というのは、国にとっても大変な出費だったと聞く。将来、国を背負ってたつ有能な若い官僚は海外に留学させ、見識を深めさせるのは、長年かかって定着している制度ということだろう。
「そうはいっても1、2年で博士号をとって来いというのも相当きつい注文では」と聞いたら、「まずは修士だけでもとれということ。修士を取らないと博士はとれないから」という。
帰宅して考えた。そんなことより、いっそキャリアは博士課程修了者からしか採らない、としたらどうか、と。官僚の天下りに否定的ないまの風潮がずっと続くのかどうか分からないが、一挙にやめてしまうのは、現実的に相当な摩擦をともないそうだ。天下りを禁止する代わりに、退職年齢を引き上げるということが言われているようだが、仮にこれをやろうとすると、延ばした退職年齢に相当する年数だけ新規採用をやめない限り、公務員の数は増えざるを得ない。
あれこれ考えると、あちら立てればこちら立たず、ではないか。ならば、少なくともキャリアと呼ばれる人たちを、これから採用する人たちからすべて博士課程修了者にする手はどうか、と思いついたということだ。現に学部卒では国際的な活動で支障が起きつつあるというのではなおさらである。そもそもキャリアと呼ばれるような人々は人格、見識が人並み以上に優れ、間違っても私腹をこやそうなどと考える下品な人では困る。そう願う非公務員は多いはずだ。学部時代は、狭き領域の専門分野に偏らないリベラルアーツ(教養)の教育を受け、大学院でさらに専門的な見識も深めた方が、国際社会に出てもさらに活躍できるのではないだろうか。
博士課程修了者はは、通常、学部卒より5年程度、年を食っている。退職年齢が仮に現状より5年程度伸びても、計算上は、人事に支障はきたさないはずである。入省時期も現状より5年程度遅くなるわけだから、公務員として働く期間は変わらない。
あれやこれや考えると、「キャリアは博士号取得者からしか採用しない」という案がとてつもなくよい考えに思えてきたが、どうだろう。