レポート

コロナ後の「生きる意味」とは 学術フォーラムで多彩な論点

2020.10.22

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は私たちに対し、あまりに大きな暮らしの変化を強いた。将来にわたり、社会の価値観を著しく転換させることは間違いなさそうだ。こうした中、日本学術会議は「生きる意味 コロナ収束後の産学連携が目指す価値の創造」と題して学術フォーラムを開催。人文科学を含む研究者や産業界のキーパーソンを迎え、新しい時代の生き方や社会のありようをめぐり、多彩な論点を浮かび上がらせた。

「生きる意味」をテーマに開かれた学術フォーラム=9月20日、東京・乃木坂の日本学術会議
「生きる意味」をテーマに開かれた学術フォーラム=9月20日、東京・乃木坂の日本学術会議

半世紀前「未来は明るい」と信じたが

 学術会議の政府・産業界連携分科会では、大学と産業界の関係者が新しい産学連携のあり方について議論を重ねてきた。2018年11月に提言をまとめ、昨年3月からは3回のシンポジウムや学術フォーラムを開催。その集大成となった今回は「生きる意味」という一大テーマに挑んだ。

 各種イベントの会場として使われてきた学術会議の講堂(東京・乃木坂)ではコロナ禍のため、3月後半からオンラインのみによる行事開催が続いた。9月20日に開かれた今回は久々に一般参加者を受け入れ、オンライン中継を併用した。冒頭で学術会議の渡辺美代子副会長(当時、科学技術振興機構副理事)は「オンラインでは地方から旅費や時間を気にせず参加できることや、移動が困難な方も気楽に参加できる利点があった。それでも、皆さんの顔を見ながらできることはとてもよい」と語った。今回のテーマ選定の理由について、山極壽一(じゅいち)会長(京都大学総長、いずれも当時)が「生きる意味」のフレーズをしばしば口にしてきたことから「感謝の意味を込めた」と説明した。

 まず山極会長が「大阪万博が開かれた50年前、人々は未来が明るいものになると信じていた。ところが、情報技術や遺伝子組み換え技術などが進んだものの、果たして思い通りの世界が実現したか」と問題提起。「格差の拡大、自然災害の頻発、生活習慣病の増加が起きた。日本企業の競争力が落ちて研究力が低下した。ネガティブなことがたくさん起きている。では、どうするか。日本の強みを見いだし、それを元手に世界を変えよう。技術が先行したこれまでとは違い、生きる意味を中心に据えよう。今日のフォーラムから未来を考えたい」と呼びかけた。なお第24期学術会議はフォーラム開催後の9月末に任期を終えており、山極会長と渡辺副会長は退任している。

日本学術会議の渡辺美代子副会長(左)と山極壽一会長(いずれも肩書は当時)

「希望」は目標ではなく、求める過程そのもの

 講演の口火を切ったのは「希望学」に取り組む東京大学の玄田有史教授。活動の中で、医療関係者から「(患者の)痛みってよく分からない」と聞かされたエピソードを紹介した。この人物は次のように話し、玄田教授に感銘を与えたという。「痛くないのに痛いと言って苦しむ人がいる。逆に、痛いはずなのに心穏やかに毎日を過ごす人もいる。同じように、恵まれているのに希望が持てない人、逆に苦しい環境にいながら希望を持って頑張れている人がいるでしょう。希望って考える必要がありますね」

 ある経営者からは「希望に『棚からぼた餅』はない。希望があるとすれば、動いて、もがいて、ぶち当たってこそだ」との言葉を聞き、考えさせられたという。「トンネルの先の光ではなく、暗闇で先が見えない中、もがいて前に進もうとする過程そのものが希望ではないか、と考えるようになった。希望は目標やゴールではなく、それを問い求め続けること、生きる意味を考え続けることにあるのでは」と問いかけた。

 続いて登壇したのは、数理哲学が専門の京都大学の出口康夫教授。コロナ禍で人々が三密(密閉、密集、密接)を避けねばならず、社会に影響が広がったことに触れた。「それで決定的な欠如、欠損感が生じた。三密濃厚接触性こそ、人間の本質をよく言い当てている。一人では何もできないことを、互いに受容して認め合ってきた。集まることで弱さを認め、消化してきた」。出口教授はコロナ後の社会のキーワードとして「混生(こんせい)」を提示。「異なる文化的背景や考えを持った者同士が、互いの『できないこと』を否定したり隠したりせず、認め合う社会を回復することだ」とした。

 また「コロナ前のグローバリゼーションでは人、物、資本の大流動で効率化を求めた。富める物はますます富み、貧しい者はますます貧しくなった。コロナを機に、私たちは踏みとどまって考えるべきだ。効率化だけでは駄目。混生のためのグローバリゼーションを考えるべきだ」とした。

東京大の玄田有史教授(左)と京都大の出口康夫教授

「社会の望ましいあり方」理解を助ける宗教学

 宗教学が専門の東京大学の藤原聖子(さとこ)教授は宗教学者の役割について「人々が社会の望ましいあり方や、最も重要と思うことを言語化し、理解することを助けることだ。そして他の地域の人々との対話を促進し、場合によっては自己を相対化するきっかけを作ることだと思う」と述べた。

 講演の部を締めくくったのは、ベンチャー企業「メルティンMMI」(東京)の粕谷昌宏代表取締役。同社は人の生体信号を解析しロボットの体を自在に動かす「サイボーグ技術」の開発を進めている。「人がやりたいことと、体を動かしてできることとのギャップは非常に大きい。これを技術で埋め、誰もが自分らしく、可能性を最大化できる世界を作りたい。機械と融合し精神、身体と環境が完璧に調和すれば、創造性を最大限に発揮できる」と少年時代からの夢を語った。

東京大の藤原聖子教授(左)とメルティンMMIの粕谷昌宏代表取締役

Society 5.0、国民にどう浸透させるか

 パネル討論では、東京大学の五神(ごのかみ)真総長が進行役を務めた。「デジタル技術が急展開し、社会は資本集約型から知識集約型に変化してきた。コロナでコミュニケーションが厳しい制約を受ける中、技術が命綱になり何とか社会経済がつながっている。パラダイムシフトはコロナ後も終わらないだろう。私たちはどうすべきか」と問いかけた。

パネル討論の様子(左)と、進行役を務めた東京大の五神真総長

 内閣府の佐藤文一官房審議官は、来年度からの第6期科学技術基本計画の策定作業を説明。現行の第5期計画が提唱する超スマート社会「Society(ソサエティー)5.0」について「認知度が低くなかなか浸透していない。それが生み出す価値の理解が共有されていない可能性があり、議論してきた」と述べた。

 こうした中でコロナ禍が拡大し、科学技術への国民の期待が高まった。「科学技術イノベーション政策を考え直さないといけない。国民にどんな果実を届け、そのためにどんな道しるべがあるべきか。Society 5.0の具体像を国民とどう共有するのか。非常に悩んでいる」と赤裸々に語った。コンセプトの案をまとめており、「優先度の高い具体的な政策をどれにするかは、これから3カ月の議論にかかっている」とした。

 住友化学の十倉雅和会長は「われわれは先人の知恵をブラッシュアップし、よりよい社会、資本主義を目指す必要がある。社会性、人の営み、生きる意味を包含した資本主義を実現しなければ。企業も社会の構成員、地球市民である以上、人の営みや生きる意味に思いを致し、社会性の視点を採り入れる必要がある」と説いた。

内閣府の佐藤文一審議官(左)と住友化学の十倉雅和会長

 NECの江村克己フェローは、佐藤審議官の発言を受ける形で「Society 5.0はなかなか実現していない。掲げた3点のうち『サイバー空間とフィジカル(物理的な)空間の高度な融合』は技術的にできるが、あと2つの実現が課題」と指摘。「『経済的発展と社会的課題の解決』では、地球のサステナビリティー(持続可能性)を踏まえて成長を考えるべき時代になっている。また『人間中心の社会』というが、成長と持続性の両立は、人の意識をどう変えるかも考えないと解が出ない」との見方を示した。

 ファイザー日本法人(東京)の宮原京子執行役員は、コロナの治療薬やワクチンの開発作業が急ピッチで進んでいることに言及。「技術の進展により遺伝子がおそらく2~3週間で解析され、瞬時に世界に共有された。そのためさまざまな研究者がものすごいスピードでスクリーニングを進められ、候補品がたくさん出た。これはデジタル技術による変革だけでなく、多様な人が関わる環境ができないと難しい。人材を受け入れる企業の発想の転換、社会の評価の仕組みが必要だ」とした。

NECの江村克己フェロー(左)とファイザーの宮原京子執行役員

「時間」に、効率とは異なる価値の追究を

 閉会挨拶で山極会長は「本日のフォーラムは事前の打ち合わせを一切していない。どんな話が展開するのか想像がつかなかったが、面白かった」と切り出した。登壇者の論点を振り返りつつ「話を聞いて、人間ってウイルスそっくりだと思った。足りない部分に外部の物を足して、自分を作ってきたから」「(自身の研究対象の)ゴリラは生きる意味なんて考えていない。人間だけ」などと、ユニークな視点を示した。

 「人間は科学技術により、空間と時間を縮めることに一生懸命になってきた。だけど実は、時間は生きるためにとても重要。なぜなら、信頼を作るには時間が必要だろう。先週、企業の方が『これから企業は共感と利他を目標にしなければ』と言っていたが、ならば時間の概念に、効率とは違う価値をつけなければならない。製品を作り、また次に向かうプロセスをアカデミアと共有してはどうか。そしてそれを希望に結びつける、あるいは共同作業として価値づけることが、これから目されていくのでは」。こう語りかけ、自身の任期最後のフォーラムを締めくくった。

 このフォーラムは「生きる意味」という深遠なテーマに斬り込み、また多彩な論客に恵まれたこともあってか、必ずしも論点が十分にかみ合わない面があった。ただ参加者は異分野からの真摯なメッセージに多く触れ、それぞれに生き方や社会のあり方を見つめ直したのではないか。コロナ後といういまだ視界不良の時代を、どう生きようか。答えまでは得られないが、何らかのヒントをつかめた気分になり、価値の高いひとときとなった。

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