レポート

研究者の頭の中をのぞき込む「京大100人論文」

2019.10.01

黒田明子 / JST「科学と社会」推進部

 学問を生業としている人は、何を考えているのだろう。多くの人にとって、研究者という存在は、自分からは遠い場所にいる人、という印象だろう。そんな遠くにいるはずの研究者たちが、「自分は何を面白いと思っているか」を分かりやすく、簡単に、しかし情熱をもって伝え、率直なコメントや共感してくれる相手を募る場がある。「京大100人論文」だ。

 100人の研究者が、匿名で自分の関心事や研究テーマを紙に書いて貼り出す。そして質問やコメント、アドバイスなどを付箋紙に記入し合う。京都大学で9月10日から13日まで開催されたイベント「京大100人論文」(京都大学学際融合教育研究推進センター主催)をレポートする。

宮野公樹さん
宮野公樹さん

いつもの研究と違う「面白いほう」の研究テーマ

 会場の壁に貼られていたのは、研究者たちの「関心事」だ。「私の研究(関心事)はこんな感じです」「こんなこと知りたい、話しあいたい」「このことなら私に聞いて」という研究者の「関心事」3項目について、それぞれ300字、120字、120字で、専門外の人にも分かるように面白さを伝える。

 企画した京都大学学際融合教育研究推進センターの宮野公樹(みやの なおき)准教授は、「多くの研究者は、生活するための研究テーマとは別に、時間があればこれもやりたいと願っている、面白いテーマを持っている」と言う。今回から、現在まだ手掛けていなくても「面白い」と思うテーマがあれば、ぜひ参加してほしいと呼びかけた。

会場の壁に貼られた研究者たちの「関心事」
会場の壁に貼られた研究者たちの「関心事」

研究者の目線から見える世界

 3項目で表現される関心事には、タイトルが付けられている。例えば「あなたはどのようにしてその人を選び、その人との関係を保っているのか:LOVEの脳研究」。研究者でなくとも興味をひかれる。このタイトルの下、「関心事」の掲示には、こう続く。

 「我々ヒトの世界では、ほぼ全ての社会集団で『恋愛関係』が確認されています。しかしそれがどのような脳の仕組みで支えられているかということについては、依然として明らかになっていないことが数多くあります。私の研究では『どのようにパートナーを選ぶか』『どのようにその関係を維持しているか』という2点の問題の解決を目指しています」

 会場には最先端の、一般には難しい研究も貼り出されていたが、300文字ならさらりと読める。新しく出る本の概要を読んでいるような気分だ。

 さらに付箋をたどっていけば、他の人は何を思い、どんなコメントを返すのか、さまざまな人の思考の一端を垣間見られる。研究者の頭の中では、こんな世界が広がっているのか。読み始めると止まらない。京大論文の来場者の滞在時間は、平均40分を越える。2015年から始まり、今回で5回目となる「京大100人論文」は、回を追うごとに来場者数もコメント数も増えている。評判を聞きつけた企業や、報道関係者が立ち寄ることも珍しくなくなったという。

研究者の「関心事」に貼られた付箋
研究者の「関心事」に貼られた付箋

研究者が自分の殻に閉じこもらないために

 そもそも「京大100人論文」は、閉鎖的と言われる大学の研究環境を変えたいという思いで始まった。宮野さんは「研究というものは、同分野、異分野問わずに本質的な意見を交換することによって互いの考えを洗練していけるような対話の場でこそ磨かれる」と考えている。研究室内では物事の根本を問う議論が行われていたとしても、研究室の外に出ると、その機会はほとんどなくなる。そこを変えたいのだと言う。

 貼り出した研究者がコメントを見て希望すれば、後日、事務局がコメントした研究者との出会いを取り持つ。そのマッチングが成立して初めて相手の素性が明かされる。コメントを書いたのは、著名な教授かもしれないし、若手研究者や院生かもしれない。

 肩書きが分からないから、一つ一つの意見をていねいに読むことになるし、発言の意図もストレートに考えることができる。それが新たな着想を呼び起こす。「京大100人論文」を通じて、毎回40件程度のマッチングが成立するという。ここで生まれたつながりをもとに研究グループを立ち上げたり、共同で論文や書籍を執筆したりする事例もある。新たな出会いを生む仕組みは、少しずつ大学の雰囲気を変えつつあるのかもしれない。

研究者の「関心事」の貼り出しを真剣に見る若い研究者ら
研究者の「関心事」の貼り出しを真剣に見る若い研究者ら

研究の本質を図にまとめ、伝える

 今年、どのような「関心事」があるのか、を分かりやすく伝えるために、イメージ図とキャッチーなタイトルを「関心事」3項目の上に掲示することにした。一歩進んで掲示を読ませる工夫の一つだ。研究者は、学術的に正しいことを伝えるのは得意でも、自分の研究内容を分かりやすく表現する術はあまり持ち合わせていない。つい専門的な用語を使って、楽をしようとする。言葉が分からない相手に話すより、分かる身内としゃべるほうがストレスがないからだ。

 しかしそこを乗り越えなければ新たな協力者は得られにくいだろう。掲示の7割程度は、宮野准教授が研究者に「何をやりたいのか」という本質をたずねつつ、それが伝わる表現となるよう、何度もアドバイスした。研究の本質をひとつの図に込める作業も、研究者としての鍛錬(たんれん)につながる。

研究者からの「教えて欲しい」に数多くのコメント

 今年は、壁に貼られる2つめの項目も変更になった。「こんなコラボがしたい」から「こんなこと知りたい、話し合いたい」に変わった。このことにより掲示する研究者の文章も変わった。

 以前は「この研究にAという解析を取り入れると良いと思うので、できる人を求めます」という求人広告のようなテキストだったが「情報発信の際に、どういう方法を用いるのが良いか、どのような対策を立てればいいかお知恵を借りたいです」や「どのようなデータを収集して、どう解析するといいか話し合えるとうれしいです」となった。それなら自分の知識でコメントできる、と思う人も多かったのではないか。「教えて欲しい」と呼びかけを行っていた研究者の関心事には、付箋が多数貼られていた。自分の知り合いの研究者なら力になれると思う、との書き込みもあった。

「関心事」のうちの「こんなこと知りたい、話しあいたい」の一例
「関心事」のうちの「こんなこと知りたい、話しあいたい」の一例

全国に広がる100人論文

 100人論文は現在、京都大学だけでなく、その他の大学やイベントでも実施されている。宮野さんによると、大学の場合は、このモデルの拡大をねらって「広大100人論文」など、大学名が頭につくようにお願いしているという。

 科学技術振興機構(JST)は今年も11月に「サイエンスアゴラ2019」を東京のお台場地区で開催するが、そこでは開催地名をとって「お台場100人論文」となる。コラボ先の要望に合わせて少しずつ内容を変え、企業でも実施する計画がある。さまざまな100人論文が展開される中で、どのような出会いが今後生まれるのかが楽しみだ。

「東京ドームを一週間借り切って、全国の100大学が集まり、1万の研究テーマを掲示して、1万人の意見交換とマッチングを行う」。これが宮野さんの野望だ。日本の研究力低下が指摘されている昨今。100人論文のモデルが広がっていくなら、研究の仕組みも変わり、学術界の未来はそう暗くはないかもしれない。

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