レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第89回「量子コンピューターの「誤解」」

2019.02.27

嶋田義皓氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター システム・情報科学技術ユニット フェロー

嶋田義皓 氏
嶋田義皓 氏

 「量子コンピューター」をご存知でしょうか。カナダのD-wave Systems社製の量子コンピューターをグーグルが購入したニュースや、最近では米国IBM社がCES(Consumer Electronics Show)で商用量子コンピューター「IBM Q System One」を発表したというニュースを目にした方も多いのではと思います。量子コンピューターは、分子や原子といった極微の現象を説明する「量子力学」の原理を利用して計算を行う次世代コンピューターで、多くの国の政府が重点分野に指定、IT企業も開発競争に参入し、近年日本でも関心が高まっています。

 一方で、量子コンピューターに関する誤解が多いのも事実です。研究開発戦略センターで量子コンピューターに関する研究開発の調査・戦略立案(※1)に携わるなかで、いくつか共通する「誤解」があることが分かりました。そのトップ10(嶋田調べ)は、

  • (1)量子コンピューターは重ね合わせ状態を用いた超並列計算ができるので高速。
  • (2)量子コンピューターはどんな問題でも従来のコンピューターより高速に計算できる。
  • (3)量子コンピューターは組み合わせ最適化問題を解くのが得意。
  • (4)今のコンピューターは巡回セールスマン問題が苦手。
  • (5)ゲート型量子コンピューターは汎用機で、量子アニーリングマシン(量子アニーラー)は組み合わせ最適化専用機。したがって、ゲート型量子コンピューターの方が優れている。
  • (6)ゲート型の量子コンピューターもクラウドで提供されるほどであり、もう基礎研究段階ではない。
  • (7)量子ビットは超伝導回路による実現方式が有望であり、あとはほぼ見込みがない。
  • (8)量子コンピューターはショアの因数分解アルゴリズムによって公開鍵暗号を攻撃できるため、いくつかの公開鍵暗号はすでに危険である。
  • (9)量子コンピューターの振る舞いはスーパーコンピューターでもシミュレーションできない。だから量子コンピューターはすごい。
  • (10)量子力学は古典力学を上回る。だから量子コンピューターも古典コンピューターを上回るのだ。

 です。

図 量子コンピューターによくある10の誤解
図 量子コンピューターによくある10の誤解

 ここでは全部を紹介しきれませんので、要点を三つだけご紹介します。詳しくお知りになりたい方はQmediaの「量子コンピューターの"よくある誤解"Top 10」(※2)にフルバージョンを書いておきましたので、そちらをご覧ください。

(1)量子コンピューターは重ね合わせ状態を用いた超並列計算ができるので高速。

 これはよく耳にする誤りです。たしかに、量子コンピューターは無数の計算を同時に試すことができます。しかし何も工夫をしなければ、この無数の計算の結果には、最終的に知りたい計算結果もそうでない結果もごちゃまぜに含まれており、正しい答えを取り出したいなら同じ計算を何度も繰り返す必要があります。それではトータルでみてスピードアップになりません。

 量子コンピューターから正しい答えを取り出したいのであれば、多数の計算を同時に行うだけでなく、その無数の答えのうち正しい答えとなるものの確率を高めてから答えを出すことが必要です。因数分解や検索など特定の問題については、この増幅方法がわかっていますが、どんな問題にも使える方法は見つかっていません。

 また、この話の「高速」は、あくまで理論的な計算ステップ数の少なさの話であり、量子コンピューター実機での計算所要時間ではない点にも注意が必要です。

(9)量子コンピューターの振る舞いはスーパーコンピューターでもシミュレーションできない。だから量子コンピューターはすごい。

 言いたいことはわかりますが、やや不正確です。理論的には、量子コンピューターのどんな振る舞いも今のコンピューターでシミュレーションできます。しかし、実際に計算するのは結構大変です。

 小規模の量子コンピューターのシミュレーションでも、手元のパーソナルコンピューターではもはや不可能です。数ペタバイトというスパコン級のメモリーが必要になるほか、量子コンピューター実機では1000分の1秒以下で終わる計算でも、シミュレーションでは数秒もかかります。このことから、量子コンピューターに有利な問題設定であれば、それほど規模の大きくない量子コンピューターでさえ、その計算結果をスパコンでシミュレーションして検証することも難しくなるでしょう。

 もし、このような量子コンピューターのパワフルな計算能力が、実用的な問題に利用できるようになったときのことを想像してみてください。そのときはきっと、私たちのコンピューターに対する見方が大きく変わることになるでしょう。量子コンピューターが多くの人を魅了して止まない大きな理由のひとつは、この底知れないポテンシャルにあると思います。

(10)量子力学は古典力学を上回る。だから量子コンピューターも古典コンピューターを上回るのだ。

 現代のコンピューターは、物理学で言うところの古典物理学(力学や電磁気学)に従って動作する計算機です。そのため、物理学者は今のコンピューターを「古典」コンピューターと呼びますが、この「古典」は古いという意味ではなく、単に「量子力学に基づいていない」くらいの意味です。

 さて、この古典コンピューターを上回る計算能力のあるコンピューターを作りたいのであれば、その計算原理は古典物理学を超える理論に求めることになります(もちろん、何の理論にも基づかないコンピューターでもよいのですが、趣味の世界の域を出ないでしょう)。

 量子力学は、そのような古典物理学を超える理論のひとつです。元となる原理は自然法則なので、それに従って動作する計算機をつくることに原理的な障害はないわけです。したがって、量子力学の原理に基づいて計算を行う量子コンピューターは、古典コンピューターを超えるコンピューターのナンバーワン候補といえるでしょう。

 科学として重要なポイントは、ほんとうに「上回る」ことを実験で検証することです。そのためには、スパコンではとても長い計算時間がかかる問題でも、量子コンピューターなら短時間で済むような特別な問題を見つけてきて、実際に計算させて確かめるしかありません。研究者の間では「量子スプレマシー(量子超越)」などとも呼ばれ、量子情報科学の重要なマイルストーンだと考えられています。

 量子コンピューターは、「計算とは何か?」「難しさとは何か?」といったコンピューティングを考え直す新しい視点を提供してくれることでしょう。今後のこの分野の発展から、ますます目が離せません。

  • (※1) https://www.jst.go.jp/crds/report/report01/CRDS-FY2018-SP-04.html
  • (※2) https://www.qmedia.jp/misunderstanding-of-qc/

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