私はこれまでフランス系の真空機器メーカーの日本法人で製品の販売に携わり、昨年より科学技術振興機構の研究開発戦略センター(CRDS)の海外動向ユニットでお世話になっています。主にフランスの科学技術政策について調査し、報告書を作成しています。フランスの科学と技術に関する事柄が日本ではあまり知られていないことに驚き、改めて勉強し直しつつ、これまで見聞きしてきた事柄をベースに、ためになる情報を提供できるよう努力しています。
フランスの「偉人」に多い物理学者と数学者
科学技術政策について調査を行う過程で、海外の公的研究機関、大学について文献調査や訪問調査を行います。そのとき、科学者の名前を冠した機関名・学校名にしばしば出合います。本年は、フランスにおける公的科学技術研究についての書籍を共同で執筆している関係もあり、知人のフランス人研究者にフランスの科学技術史における「偉人」を挙げてくれるよう依頼したところ、これがすべてではないと断ったうえで、以下のリストを示してくれました。
- ブレーズ・パスカル(1623-1662) 数学、物理
- アントワーヌ・ド・ラボワジエ(1743-1794) 化学
- ピエール・シモン・ラプラス(1749-1827) 数学、天文学、物理
- ジョセフ・フーリエ(1768-1830) 数学、物理
- アンドレ-マリ・アンペール(1775-1836) 数学、物理、化学
- クロード・ベルナール(1813-1878) 医学、生理学
- レオン・フーコー(1819-1868) 天文学、物理
- ルイ・パスツール(1822-1895) 物理、化学、微生物学
- アンリ・ポワンカレ(1854-1912) 数学、物理
- ピエール・キュリー(1859-1906) 物理
- マリー・キュリー(1867-1934) 物理、化学
- ジャック・モノ(1910-1976) 生物学、生化学
- ジョルジュ・シャルパク(1924-2010) 物理
- ピエール-ジル・ド・ジェンヌ(1932-2007) 物理
- セルジュ・アロシュ(1944-) 物理
みなさんは、このうち何人をご存知でしょうか。高校の授業などで目にした名前もあるかと思います。特に目立つのが、物理と数学を専門とする科学者ではないでしょうか。数学におけるノーベル賞ともいわれるフィールズ賞の国別累計を試しに調べたところ、フランスは人口あたりでみると、アメリカやロシア(旧ソ連を含む)以上に受賞者が多い国であることが分かります。
AI報告書で10の提言
今、フランスでは国を挙げて、先行する米国、中国、英国、カナダなどを猛追するべく、欧州内で連携をとりつつ、AI(人工知能)研究に取り組んでいます。
フランスはこれまで、国の研究に関する戦略の中で、デジタルや情報技術に力をいれていました。2009年に発表した国家戦略「研究・イノベーション戦略(SNRI)」の3本の柱では、重点分野を、(1)健康ライフ、(2)環境・エコテクノロジー(持続可能社会)、(3)情報・コミュニケーションテクノロジーとしていました。また2013年に策定された現行の国の研究戦略「SNR France Europe2020」では、10本の柱のうち2つの項目で情報通信社会への取り組みを示しています。
さて、AIに関する最近の動きです。マクロン政権下で内閣を率いるフィリップ首相から2017年9月、AIに関する報告書を作成するよう要請をうけたセドリック・ヴィラーニ氏(2010年のフィールズ賞受賞者で国民議会議員)が、研究者やデジタル、法律、軍事技術などの政策担当者や専門家からなる7人の委員会を作り、2018年3月28日に235ページからなる長文の報告書を提出しました。のべ420回の多方面の専門家への聞き取りを実施し、15か国の政策を比較、検討した結果をまとめたものです。
この報告書では、つぎのように述べられています。フランスは、AIの研究で非常に優れた能力を持っている。しかし、そのような科学的進歩を経済・産業上の応用に変換することは容易ではない。また、外国への頭脳流出を防ぐ努力をする必要がある。AI開発の努力を傾注すべき4つの優先分野は医療、輸送、環境、国防だが、AIがこれらの分野で人間の能力を超える可能性があるため、どこまで開発を許容できるかという点に関する倫理的問題の審議も必要である。
そして以下の10の提言を行っています。
- データに関する欧州のエコシステムの発展の促進
- AIに関する卓越した研究ネットーワークの創出
- 4つの優先領域における経済的産業的努力の集中(医療、輸送モビリティー、環境、防衛とセキュリティー)
- 分野別の重要なチャレンジに関連するイノベーションへの支援体制の構築(健康・医療、都市における輸送と環境、など)。AIを開発した企業や研究者による実証実験をおこなう
- 労働の変革についての公的研究所の創設
- 職業教育を財政的に支援するためのヴァリューチェーンレベルでの社会対話の実験
- 2020年までにAIに関する人材(AI、あるいはAIと法律の双方など)を3倍に増員
- AIを利用した公共サービスの変革を進めるための手段の手配。省庁間の連携を行うコーディネーターの必要性など
- 社会に与える影響を考慮し、AIの概念やソリューションのすべてのレベルにおいて、倫理的な考察を統合すること(アルゴリズムの監査、差別の排除など)
- AI研究における女性人材の積極的登用
AI研究を支える多くの数学系人材とデジタルに関する国家戦略
この報告書をうけて、高等教育・研究・イノベーション省は3月29日、AIをめぐる4つの基軸、すなわち、(1)エコシステムの強化(仏・欧州)、(2)データのオープン化政策、(3)AIをめぐる規制や資金支援の欧州・国レベルでの枠組みの構築、(4)AIの倫理的・政策的課題の策定といった課題へ取り組む方針——を明らかにしています。
伝統的に数学研究に強いフランスでは、情報工学・デジタル・AIといった分野での人材が多く、また、人材教育、関連研究も盛んです。このことが、フランスがAIを重要戦略の一つと位置付ける理由となっていると考えられます。3月28日に公表されたイノベーション省情報によると、フランスにおけるAIに関する研究者の数は2018年現在5300人で、AI関連の研究チームの数は268チームとのことでした。また、公的研究機関としては、国立科学研究センター(CNRS)には数学科学研究部門(INSMI、CNRS研究者389人)と情報科学研究部門(INS2I、CNRS研究者600人)の二つがあり、情報やコンピュータ制御を主として研究する公的研究機関として国立情報学自動制御研究所(INRIA、人員2400人)があります。これらは連携する大学、公的研究機関や企業と横断的研究を行っています。
いま述べた高等教育・研究・イノベーション省によるAIに関する方針と同時に、政府はAIのプラットフォーム(PRAIRIE)の創設を発表しました。また、マクロン大統領は自らパリで開かれたAIに関するシンポジウムに出席し、がん早期発見、自動運転車、画像認識、仮想アシスタント領域における野心的戦略を発表しています。このプラットフォームのとりまとめは、さきほどの国立情報学自動制御研究所が担当しています。
じつは、さきほど挙げたAIに関する研究者数についての集計の方法は不明で、フランス政府が特に今回の発表にあわせて調査を行ったもののようです。これと比較できる同様の統計を日本についても探したのですが、公的な統計などは得られませんでした。参考までに、日本では人工知能学会という一般社団法人が活動しており、2017年3月末現在で個人会員が4897人(うち学生713人)と賛助会員(企業などの法人会員)192社となっています。この数字を見るかぎり、フランスと日本に今のところ大きな開きがあるようには見えませんが、フランスはAIに関してドイツと連携して推進することを、イノベーション省の閣僚が昨年末に表明しています。BREXIT後に欧州を牽引していく2つの国が共同して取り組んで行くとなれば、北米や中国に対抗しうる勢力になる可能性も見えてくるのではないかと考えられます。
フランス人の数字好きの源泉は?
さて、筆者も前職では多くのフランス人技術者と仕事をしてきましたが、筆者の体験では、フランス人は(技術者に限らず)何事も数字で把握するのを好む傾向があり、食事の席でも、筆者が居住する自治体の人口、面積、日仏の人口密度の差などについて質問攻めにあうこともしばしばでした。フランス人のこの数字好きと近代史における数学者や物理学者の多さやフィールズ賞受賞者の多さの間に関連があるのかどうか。また、このフランス人の数字好きが、はたして将来のデジタル・AI分野での躍進につながっていくのかどうか。ある研究者に聞いたところ、フランス人の数字好きは、中等教育で数学教育にウェイトをかけているからではないかという意見でした。筆者も、数学が試験科目に入る自然科学系のバカロレアの方が、文系のバカロレアに比べて難易度が上だの、進学の際、数学が重要視されるだのという話は耳にしたことはありますが、詳しく調べたことはありません。フランスと数学の関係については今後の調査の折の宿題のひとつだと考える、今日この頃です。
関連リンク
- 科学技術振興機構 研究開発戦略センター「フランスの科学技術情勢」