レポート

陸上に上がった動物たちの進化にせまる 脊椎動物の手足、虫の羽

2017.11.02

サイエンスポータル編集部

 陸上に暮らす動物は、すべて海からやってきたものの子孫だ。陸上に進出した時期は、昆虫の祖先がおよそ4億8000万年前、脊椎動物がおよそ3億8500万年前とされている。動物は進化によって、生活環境に適応する能力をもつ。動物は陸上に進出すると同時に、大地を動き回るための移動手段を進化によって獲得した。脊椎動物は歩き回るための手足を、虫たちは脚のほかに、さらに遠くまで移動するための「羽」を得たのだ。

 動物が水中から陸に上がるとき、その体にはどんな進化が起こったのか。体を大きく変えた進化のプロセスや、陸上進出する以前から備わっている仕組みの存在を日々調べている研究者に話を聞くために2つの研究現場を訪ねた。

昆虫の羽の成り立ちに迫る

 最初に訪ねたのは福島大学大学院共生システム理工学研究科の真下雄太(ましも ゆうた)さんだ。

 ケヤキの葉が薄っすらと色づく初秋の福島大学(福島県福島市)。10月の半ば。キャンパスでは東北の秋では馴染みの蝉・チッチゼミが「チッチッチッ、、、」と抑揚ない声で肌寒い季節を演出していた。今回、昆虫の羽の成り立ちについて話を聞く真下さんの研究室は、キャンパスを少し歩いた共生システム理工学類棟の6階にあった。

写真1 福島大学共生システム理工学類棟
写真1 福島大学共生システム理工学類棟

 真下さんは、日本学術振興会の特別研究員PDとして、福島大学で研究をしている。研究のテーマは「昆虫の進化と陸上進出」で、このほど「昆虫の羽」の起源を解明し、研究成果が国際学術論文誌「サイエンティフィック・リポーツ」に掲載された。「羽は昆虫の陸上進出を語る上で欠かせないもののひとつだ」と、真下さんは説明してくれた。

写真2 真下雄太さん(福島大学/日本学術振興会特別研究員PD)
写真2 真下雄太さん(福島大学/日本学術振興会特別研究員PD)

 チョウやバッタ、ゴキブリ、カブトムシまで、昆虫の多くは羽を持ち空を飛ぶ。昆虫は全ての動物種の75%を占め、地球上で最も繁栄している動物のひとつとされている。羽は分布拡大や種の多様性をもたらした大きな要因だと考えられている。真下さんによると、昆虫の祖先は、水中に住むムカデのような姿の甲殻類の仲間がおよそ4億8000万年前に海から陸上進出したものだと考えられているという。昆虫は進化の過程で体をどのように変化させて、羽を手に入れたのか。

写真3 昆虫の羽の例(ニホンカワトンボ)
写真3 昆虫の羽の例(ニホンカワトンボ)

 昆虫の羽が祖先の節足動物のどの器官からできたのかについては諸説あり、長らく議論されてきた。今回、羽の起源を解明した真下さんだが、研究を始めた当初から羽を調べていたわけではないという。「初めは、昆虫の体の側面を覆う硬い『側板(そくばん)』と呼ばれる部分の成り立ちについて調べていた。研究が進むにつれ、実はこれが羽の成り立ちに大きく関わっていることが偶然に分かった」と振り返る。

図1 昆虫の側板(青色で囲われた脚の付け根の部分)。背面の外骨格と同様に硬い(提供・真下雄太さん)
図1 昆虫の側板(青色で囲われた脚の付け根の部分)。背面の外骨格と同様に硬い(提供・真下雄太さん)

 昆虫をはじめとする節足動物には、体の外側を覆う硬い外骨格がある。真下さんが研究する側板は体の側面にある外骨格で、昆虫の脚や羽の筋肉の動きを直接支えている。側板は昆虫特有の器官で、水中で暮らす比較的近い仲間のカニやエビなど甲殻類には備わっていないため、成り立ちがこれまで分かっていなかった。側板に目をつけたきっかけについて、真下さんは「水中で暮らす節足動物にはない側板は、陸上で体の構造を保つためにできた器官と考えられ、その成り立ちは昆虫の陸上進出を知る上で重要と考えた」。そこで、学生時代の指導教員である筑波大学生命環境系の町田龍一郎(まちだ りゅういちろう)教授と、この成り立ちを探ることにした。

 真下さんらは、側板がどのようにしてできたのかを調べるため、フタホシコオロギの卵の中で起こる胚発生の全過程を走査型電子顕微鏡で観察することにした。とにかくたくさんのコオロギの胚を撮影して、成長の順に並べていくという地道な作業。最終的に調べたコオロギの卵は400個を超えたという。この観察の結果、昆虫の脚の一番上の小さな「節」が、発生の過程で少しずつ板状に広がって、側板を形作っていることが分かった。

 側板の起源が分かったところで当初真下さんが想定していた研究の目標は達成されていたが、側板がその後の成長過程でどのように変化していくかを知るため、幼虫の成長も追ってみることにした。すると、側板の一部が幼虫の成熟とともに広がっていき、背面の外骨格で形作られた羽の付け根と融合。羽の付け根の関節や筋肉となる部分に入り込んでいることが確認できたという。

画像1 フタホシコオロギの成虫(A)と、胚(B)、生まれたばかり(1齢)幼虫(C)と成熟(11 齢)幼虫(D)の胸部側面。(B)、(C)、(D)のいずれも「背面の外骨格」をピンク、側板となる部分をブルーで示している。赤の矢印は背面の外骨格と脚の境界。成熟幼虫(D)で分かるように、側板は脚上部の節に由来する。また、羽のもととなる「翅芽(しが)」を見ると、羽本体は背面の外骨格に由来する一方、羽の根元(点線で示した領域)は側板に由来することが確認された(提供・真下雄太さん)
画像1 フタホシコオロギの成虫(A)と、胚(B)、生まれたばかり(1齢)幼虫(C)と成熟(11 齢)幼虫(D)の胸部側面。(B)、(C)、(D)のいずれも「背面の外骨格」をピンク、側板となる部分をブルーで示している。赤の矢印は背面の外骨格と脚の境界。成熟幼虫(D)で分かるように、側板は脚上部の節に由来する。また、羽のもととなる「翅芽(しが)」を見ると、羽本体は背面の外骨格に由来する一方、羽の根元(点線で示した領域)は側板に由来することが確認された(提供・真下雄太さん)

 真下さんは、こうした研究から昆虫の羽の起源が「背面の外骨格」と、脚に由来する側板の両方にあることを結論づけた。「研究の途中から指導教員の町田教授と、このまま羽の起源まで探れるんじゃないかという話になり、幼虫の観察を続けた。発見は偶然のことだった。」と真下さんは振り返った。取材中に見せてもらったコオロギの胚の神秘的な電子顕微鏡画像が印象的だった。今後も昆虫の陸上進出に関わる研究を続けていきたいという。

画像2 フタホシコオロギの胚を走査型電子顕微鏡で撮影した画像。左上部が頭部で、触角が2本突き出している。下部の長い3本が脚になる部分。背面に張り付いているのは卵黄で、胚の成長と共に体内に取り込まれていくという(提供・真下雄太さん)
画像2 フタホシコオロギの胚を走査型電子顕微鏡で撮影した画像。左上部が頭部で、触角が2本突き出している。下部の長い3本が脚になる部分。背面に張り付いているのは卵黄で、胚の成長と共に体内に取り込まれていくという(提供・真下雄太さん)

脊椎動物の手足の筋肉の成り立ちに迫る

 福島大学に続いて訪ねたのは東京工業大学生命理工学院生命理工学系で動物の進化と胚の発生を研究している大学院生の岡本恵里(おかもと えり)さんと准教授の田中幹子(たなか みきこ)さん。

 田園都市線ですずかけ台駅に降り立ち、そこから歩いて5分ほどで生命理工学院生命理工学系の研究室がある東京工業大学すずかけキャンパス(神奈川県横浜市)にたどり着いた。ここでは脊椎動物の進化と陸上進出に関わる研究が進められている。

 岡本さんらが調べているのは、脊椎動物の手足の筋肉ができる仕組みだ。このほど田中さんらは、陸上に暮らす脊椎動物の手足の筋肉ができる仕組みと同様のものをサメの仲間で発見した。研究成果は国際科学誌「ネイチャー・エコロジー・アンド・エボルーション」に掲載された。サメの仲間は陸上の脊椎動物の原始的な状態を知るのに適したモデルだと言われており、手足の筋肉ができる仕組みの起源がこれまで考えられていたよりもだいぶさかのぼることを示唆するものだという。

写真4 東京工業大学生命理工学院生命理工学系の大学院生岡本恵里さん(左)と、准教授の田中幹子さん(右)
写真4 東京工業大学生命理工学院生命理工学系の大学院生岡本恵里さん(左)と、准教授の田中幹子さん(右)

 脊椎動物が水中から陸上に進出したのは、およそ3億8500万年前。陸に上がった最初の脊椎動物は両生類で、さらにその祖先は既に絶滅した原始的な魚類だと考えられている。この魚類は、現存するものではハイギョやシーラカンスに近い仲間とされ、陸上の脊椎動物の手と足は、魚類の胸ビレと腹ビレがそれぞれ進化したものだというのが定説となっている。

図2 軟骨魚類からマウスまでの進化。左はトラザメ。サウリプテルス、エウステノプテロン、パンデリクティス、ティクターリクは絶滅したシーラカンスなどに近い肉鰭(にくき)類と呼ばれる原始的な魚類。アカントステガも同じく絶滅した肉鰭類だが指がある。一番右はマウス。(提供・岡本恵里さん、田中幹子さん)
図2 軟骨魚類からマウスまでの進化。左はトラザメ。サウリプテルス、エウステノプテロン、パンデリクティス、ティクターリクは絶滅したシーラカンスなどに近い肉鰭(にくき)類と呼ばれる原始的な魚類。アカントステガも同じく絶滅した肉鰭類だが指がある。一番右はマウス。(提供・岡本恵里さん、田中幹子さん)

 手足の筋肉ができる仕組みとは、どういったものなのか。岡本さんらによると、脊椎動物では、胴体の筋肉と、手足のような胴体から離れた場所の筋肉では、そのつくられる仕組みが大きく異なるという。

 脊椎動物の胚で最初にできる筋肉のもとは、体の中心を覆うように作られる「皮筋節(ひきんせつ)」と呼ばれるもの。皮筋節は成長と共に、胴体の筋肉を形作っていく。だが、どういうわけか皮筋節は一本調子に胴体の筋肉を作ってはいくものの、手足のような部分へ枝分かれしていくことはない。ここで登場するのが手足などの筋肉のもととなる「遊離筋(ゆうりきん)」と呼ばれる細胞だ。

 遊離筋は文字どおり皮筋節から遊離して作られる。皮筋節は成長の途中で、筋肉のもととなる細胞をひとつずつバラバラにした遊離筋を作り出す。作られた遊離筋は皮筋節から離脱してこれから手足となる場所に移動して、そこで独自に筋肉を作り出す。遊離筋は手足の他にも、舌や哺乳類特有の横隔膜を作るもととなっていることが知られている。

 岡本さんらは今回、サメの仲間のトラザメに遊離筋と同様の仕組みがあることを見つけた。岡本さんは研究のきっかけについて「従来の説では、サメの仲間のヒレは皮筋節が直接伸びて作られるとされていた。しかし一般的な魚類にも遊離筋があることが知られており、この説に疑問を感じた」と話す。

図3 哺乳類の遊離筋の仕組み(左)と、サメの仲間における従来の説(右)の模式図(提供・岡本恵里さん、田中幹子さん)
図3 哺乳類の遊離筋の仕組み(左)と、サメの仲間における従来の説(右)の模式図(提供・岡本恵里さん、田中幹子さん)

 岡本さんらは、トラザメの胚でヒレの筋肉のでき方を調べることにした。はじめに筋肉となる細胞に特徴的に表れる遺伝子に色をつけて観察した。しかし、この観察だけでは、皮筋節とヒレの筋肉になる部分が繋がっているか、離れているかがはっきり分からなかった。

図4(左) トラザメの胚の筋肉のもとになる細胞に色をつけた写真(上)、胸ビレの細胞を図解したもの(下)(提供・岡本恵里さん、田中幹子さん) 画像3(右) トラザメの胚の胸ビレの電子顕微鏡画像。丸いものが筋肉のもとになる細胞(提供・岡本恵里さん、田中幹子さん)
図4(左) トラザメの胚の筋肉のもとになる細胞に色をつけた写真(上)、胸ビレの細胞を図解したもの(下)(提供・岡本恵里さん、田中幹子さん)
画像3(右) トラザメの胚の胸ビレの電子顕微鏡画像。丸いものが筋肉のもとになる細胞(提供・岡本恵里さん、田中幹子さん)

 そこで次に岡本さんらは、画像をもとにした3D画像を作製した。この3D画像から、皮筋節とヒレの筋肉になる部分が、完全に離れて作られていることが分かった。ただ、マウスの遊離筋のように細胞がひとつずつ分かれて移動しないため、遊離筋といい切れるかどうか断定できないが「遊離筋と同様の仕組み」があることが明らかになった。

図5 切片で観察された遺伝子発現パターンから構築した3D画像。皮筋節と胸ビレ筋の間が離れていることが分かる。(提供・岡本恵里さん、田中幹子さん)
図5 切片で観察された遺伝子発現パターンから構築した3D画像。皮筋節と胸ビレ筋の間が離れていることが分かる。(提供・岡本恵里さん、田中幹子さん)

 「サメの仲間のような原始的な動物のヒレにも、体から離れた場所に筋肉を作る仕組みが既にできていたということが分かった。遊離筋に由来する筋肉の進化を理解する上で重要な発見となった。」と、岡本さんらは研究を振り返った。

陸上を動き回るために進化した昆虫の羽や脊椎動物の手足。進化の過程で突如として現れたもののように見えるこれらの器官が、実は動物に古くから備わった仕組みを活用したものだということが少しずつ見えてきた。動物の胚という小さなものから、ダイナミックな進化のメカニズムが明らかになりつつある。

(サイエンスポータル編集部 腰高直樹)

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