レポート

テクノフロントー 第28回「ナノ空間をデザインする“気体の錬金術”」

2015.06.26

山本高郁 氏 / 戦略的創造研究推進事業ACCELプログラムマネージャー、京都大学大学院工学研究科特任教授

1.はじめに

山本 高郁 氏
山本 高郁 氏

 空間とは「何もなく、空いている所」という意味ですが、この何もないことが幸いして
空間はさまざまなものを取り入れ、また排出するなどの多くの機能を秘めています。人類は昔から、その微小空間を秘めた物質=多孔体を生活の中で利用してきました。

 代表的な多孔体として、ゼオライトや活性炭があります。これらは、一見すると、ありふれた砂や石のようなのですが、その構造を分子レベルで観察すると無数の小さな孔(細孔)を持っていて、多孔性材料と呼ばれます。そして、スポンジがたくさんの水を吸うように多孔性材料には水分子や気体分子を吸着する機能があります。こうした機能を利用して、臭いの元となる分子を吸着させて消臭したり、空気中の水分子を吸着して湿気を抑えたりしています。さらに、ゼオライトは、その構造に加えて、吸着した分子とゼオライト表面との間に起こる化学反応を組み合わせて、水や土壌からの有害物質の除去や、メタノールからのガソリン合成など、幅広く利用されています。しかしながら、自然物であるゼオライトでは、孔のサイズ調整などには、やはり限界が存在します。

 そこで、PCP(多孔性配位高分子:Porous Coordination Polymer)の登場となります。 PCPは、金属イオンと有機物(有機配位子)からなり、分子レベルの無数の孔を持つ多孔性金属錯体です。ゼオライトにはケイ素とアルミニウムと酸素という基本の骨格を大きくは変えられないという限界がありますが、PCPでは金属イオンや有機配位子を置き換えることによって、ナノ空間を自在に設計でき、その可能性は無限に広がります。

 しかしながら、従来、有機物を含むPCPは、無限につながった格子の構造が感動するほど美しい(図1-1〜図1-5)と言われるのですが、残念ながら壊れやすいという常識がありました。PCPの合成は溶媒中で行われるため、その細孔には溶媒の分子が詰まっていて、その分子が抜けた途端にボロボロと崩れてしまうという理解でした。

図1-1.PCP(Cu2BDC2)の構造
図1-1.PCP(Cu2BDC2)の構造
図1-2.PCP(Cubpy2SiF6)の構造
図1-2.PCP(Cubpy2SiF6)の構造
図1-3.PCP(CPL-1)がアセチレンを吸着したPCPの構造1
図1-3.PCP(CPL-1)がアセチレンを吸着したPCPの構造1
図1-4.PCP(CPL-1)がアセチレンを吸着した構造2:黄色の分子がアセチレンで赤く示されているところが表面活性サイトの酸素原子が存在する場所
図1-4.PCP(CPL-1)がアセチレンを吸着した構造2:黄色の分子がアセチレンで赤く示されているところが表面活性サイトの酸素原子が存在する場所
図1-5.PCP(JAST-1)の構造。空間の大きさは0.8ナノメートル程度
図1-5.PCP(JAST-1)の構造。空間の大きさは0.8ナノメートル程度

 そんな中、北川進(きたがわ すすむ)京都大学教授によって、あるPCPが構造を崩さずに気体を吸っているという画期的な事実が発見(図2)されました。1997年に論文発表した時には、世界の学者から多くの批判を受け、苦難の時期もありましたが、やがて同様の事例の発見があり、世界各国の研究者が競うように研究に取り組むようになっています。

図2.世界で初めてガス吸着を示したPCPの構造と吸着等温線
図2.世界で初めてガス吸着を示したPCPの構造と吸着等温線

2.日本におけるPCP研究開発の現況

 多くのPCPは、ガスの圧力とガス吸着量が正比例しますが、ガス圧に応じてガス吸着量が突然変化するという特殊なPCPが存在します。中には、ガス圧が閾値以下であればガス吸着量がほとんどゼロ、閾(しきい)値を超えたとたんに最大量のガスを吸着するような現象が観察され、ゲート現象(図3)と名付けられています。

図3.ガス圧とガス吸着量。一般吸着材によるガス吸着と特殊PCPが示すゲート吸着の違い
図3.ガス圧とガス吸着量。一般吸着材によるガス吸着と特殊PCPが示すゲート吸着の違い

 このようなゼオライト、活性炭では観察されない「信じられない」PCPガス吸着現象は、2001年に世界に先駆けて日本で、金子克美(かねこ かつみ)信州大学教授(当時千葉大学教授)により報告されました。そして、このPCPのゲート現象が、圧力差によって伸縮する構造変化メカニズム(一例が図4)によることが、2002年に北川進教授により解明、報告されました。現在では、温度差によるゲート現象も明らかになっています。

図4.ゲスト分子の吸脱着によって構造が変化する様子
図4.ゲスト分子の吸脱着によって構造が変化する様子

 このようなゲート型吸着を示す吸着材は、わずかにガス圧を変動させることで、容易にガスを吸着/脱着することが可能であるため、ガス分離材料として非常に優れているものと考えられています。当然のことながら、このような材料はPCP登場以前には存在しておらず、この興味深い材料は、日本人が発見して継続的に研究してきた経緯もあり、日本の研究が世界をリードしています。また、このゲート型PCPによる各種ガス分離の実用化についても、日本が中心となって研究を進めています。2013年、北川教授は、同年JST(科学技術振興機構)が開始した戦略的創造研究推進事業 ACCELにおいて、「PCPナノ空間による分子制御科学と応用展開」(以下、北川ACCELプロジェクト)を開始しました。北川ACCELプロジェクトでは、この"構造変化型PCP”によるガス分離の世界に先駆けた実用化を目指しています(図5、写真1)。

図5.COを特異的に吸着するPCPの空孔と細孔構造
図5.COを特異的に吸着するPCPの空孔と細孔構造
写真1.COを特異的に吸着するPCPの結晶写真
写真1.COを特異的に吸着するPCPの結晶写真

3.世界の研究状況

1) PCPの研究の位置付けと国別アクティビティ

 表1では、ドイツの一流化学雑誌(Angew. Chem., Int. Ed. Eng.誌)に掲載されたPCP関連論文状況を、2005年と2012 年で比較してみました。2005年時点では特殊な研究とも言うべき位置付けですが、2012年ではサイエンスの重要な一領域となっているのが分かります。次に、図6に、2005年と2011年の国別論文状況を示しました。両年ともに、PCP研究グループの多い欧米、中国からの論文数が日本を大きく上回っていますが、日本のアクティビティが向上している傾向も読み取れます。

表1.一流化学誌におけるPCPの論文掲載数
表1.一流化学誌におけるPCPの論文掲載数
図6.世界の化学誌におけるPCPの国別論文数<br />
J. Am. Chem Soc. 誌、およびAngew. Chem., Int. Ed. Eng.誌、Chem. Commun. 誌に2011年に掲載された論文を分類
図6.世界の化学誌におけるPCPの国別論文数
J. Am. Chem Soc. 誌、およびAngew. Chem., Int. Ed. Eng.誌、Chem. Commun. 誌に2011年に掲載された論文を分類

2) PCP研究のトレンド

 前項と同様の方法で、どのようなPCP研究で分野のアクティビティが高いかを図7にまとめてみました。吸着・分離分野が最も多く、次いで形態制御、触媒関連です。吸着・分離分野の研究が多いのは、もともとPCP研究に「火が付いた」のがガス吸着現象であったことに加え、ガスの吸着分離条件が、その特性に合っているからだと考えられます。形態制御は、PCPを膜や繊維に成形する手法、他の材料(例えばアルミナ等)と複合化する手法などであり、材料研究の基礎的な側面に加え、実用化に不可欠な研究として大きな割合を占めています。

図7.PCP研究の分野別分類と形態制御の内訳(2001年)
図7.PCP研究の分野別分類と形態制御の内訳(2001年)

4.世界の実用化状況

 世界中で研究が続けられているPCPですが、現在の所、大きなスケールでの実用化は果たされていないのが実情で、その開発と実現が喫緊の課題です。日本を含め、各国が競うように実用化を目指しています。

 例えば、独・BASF社はPCP技術のメタン自動車への適用を目指しています。現在のガス自動車の数十気圧の圧縮ガスボンベを、PCPを装填することでガス圧を低下させ、ガス搭載量を増大することが主な目的です。

 このPCPは、北川ACCELプロジェクトの"構造変化型PCP”とは異なり、古くから使用されているゼオライト、活性炭と類似の特性であるガス圧力とガス貯蔵量が正比例するものですが、PCPの有する大きな空隙率と比表面積が、多量のガスを吸着できるという特性からの実用化を目指しています。

5.将来の展望(ビジネスチャンスなど)

1) 一酸化炭素

 一酸化炭素は、最近では、通常の生活空間においては、ほとんどなじみのないものですが、燃料としての利用や酢酸やポリカーボネート等の化成品原料としても利用できるものです。国内の製鉄業では、年間600万トンほどの一酸化炭素が製鉄工程で発生していますが、この工程で発生する一酸化炭素は窒素との混合ガスであり、分離が難しいため、現在は低カロリーの低品位ガスとして利用されています。この一酸化炭素と窒素の分離は、おのおのの物理特性が酷似しているため、ゼオライトや活性炭での分離がほぼ不可能でしたが、北川ACCELプロジェクトでは、一酸化炭素と窒素を効率よく分離しうるPCPの研究、開発、実用化を目指しています。分離が可能となることで、600万トン/年の一酸化炭素がメタノール原料として利用できれば、国内需要をカバーしうる規模であり、酢酸原料として利用できれば、世界の酢酸需要を上回る規模であるため、そのインパクトは非常に大きいと言えるでしょう。

2) 酸素分離

 全世界の年間酸素消費量は1300億立方メートルという膨大な量で、製鉄、化学、セメント、ガラス等各業界で使用されています。酸素の製造法としては、共に空気から分離するもので、大規模の場合は深冷分離法(極低温で空気を液化してそこから酸素を取り出す)、小?中規模ではゼオライト等を使用するPSA法があります。深冷分離法は大規模プラントが必要であり、PSA法は電力等の操業コストが高いなどの問題点があり、簡易に酸素分離ができればコストの削減が見込まれるため、最近発見された室温付近で酸素を容易に吸脱着する現象に、期待が高まっています。なお、高性能の酸素分離PCPが開発できれば、酸素の製造に係るコストの削減に貢献するのみならず、肺疾患等に利用されている携帯用の酸素ボンベの小型軽量化なども可能になります。

3) アルゴン等希ガス類の分離

 アルゴンは、照明、溶接、金属精錬等に使用され、国内市場は500億円規模にも上ります。空気に含まれるアルゴンは微量(1%弱)で、採算よくアルゴンを製造するためには、毎時数10万立方メートル規模の大型プラントが必要となりますが、日本ではこのような大規模なプラントが少なく、海外からの輸入に頼っているのが現状です。同様に、産業、医療に利用されるヘリウムも輸入に頼っており、近年、生産国での製造トラブル等で輸入量が激減し、国内のヘリウム備蓄が払底しかけるという「ヘリウムショック」に何度か見舞われています。このような例を挙げるまでもなく、重要な産業ガスを輸入に全量頼ることはあまり好ましいとは言えず、希ガス類の分離は今後のPCP開発の一つの有力な方向性と言えるでしょう。

 資源小国と言われる日本ですが、空気は、その範疇に入らず潤沢に利用することが可能です。空気を資源へと変換することが可能な材料開発の意義は非常に大きいと言えます。

※戦略的創造研究推進事業 ACCEL/戦略的創造研究推進事業などで創出された世界をリードする顕著な研究成果のうち有望なものの、すぐには企業などではリスクの判断が困難な成果を抽出し、プログラムマネージャー(PM)のイノベーション指向の研究開発マネジメントにより、技術的成立性の証明・提示(Proof of Concept : POC)および適切な権利化を推進することで、企業やベンチャーや他事業などに研究開発の流れをつなげます。

山本 高郁 氏

山本 高郁(やまもと たかいく)氏のプロフィール
1952年大阪府生まれ。1977-2007年住友金属株式会社(現新日鐵住金株式会社)で製銑,製鋼,環境部門の現業〜研究開発に従事。2007-15年大阪大学大学院工学研究科『鉄鋼元素循環工学共同研究講座』招へい教授。この間、国プロ「新製鋼フォーラム」技術委員会委員長に従事(1991-2000年)。14年4月より、科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 ACCELプログラムマネージャー。2015年4月より、京都大学大学院工学研究科特任教授。化学工学会会員、日本鉄鋼協会会員(理事)、日本金属学会会員。工学博士。

関連記事

ページトップへ