レポート

科学のおすすめ本ー 太陽電池はどのように発明され、成長したのか -太陽電池開発の歴史-

2012.05.25

浅羽雅晴氏 / 推薦者/科学ジャーナリスト

太陽電池はどのように発明され、成長したのか -太陽電池開発の歴史-
 ISBN: 987-4-274-50348-1
 定 価: 1,800円+税
 著 者: 桑野 幸徳
日本太陽エネルギー学会 編
 発 行: オーム社
 頁: 430頁
 発売日: 2011年8月

取り返しのつかない福島原発事故をきっかけに、安全な太陽電池への期待が高まっている。発電コストは徐々に下がり、今年7月からは全量を電力会社が固定価格で買い取る制度もはじまる。来年は米国で太陽電池が発明されてから60年目にあたる。日本は最近まで約40年間にわたり最大の太陽電池生産国だったことはあまり知られていない。この間の研究開発の苦労や実用化への努力、将来展望までをドラマチックに科学的に描いた格好の歴史・解説本だ。

著者はこの分野の専門家で、元三洋電機社長も務めた。随所に研究者ならではの“こだわり”が色濃く感じられる。

最初のこだわりは、「誰が太陽電池を発明したか」だ。一般的には1954年、米国ベル研究所のピアソンとされる。だが物質に光が当たり電気を起こす「光起電力」のこととするなら、溶液中では170年も前に、固体(セレン)中では140年前に発見されている。現在主流の「シリコン太陽電池」の発明となるとピアソン(物理学)独りではなく、ベル研の仲間のフーラー(化学)とシャピン(電気工学)の協働なくしては実現しなかったと強調する。原著論文を吟味し注意深く読み取りながら、「半導体理論、不純物拡散技術等の関連技術があったからこそ実現した」と、単独発明説を退けている。

太陽電池の歩みをひもとくと、20世紀後半の産業革命を引き起したトランジスタの開発過程で芽を出し、米ソの熾烈な宇宙開発競争で大きく育てられ、オイルショックの影響を色濃く受けた。いまや原子力発電を代替する希望のエネルギー源の一つと期待されるまでになった。“非力さ”のために常に脇役に甘んじてきたが、“還暦”を前に主役をうかがうまでに成長した渋いキャリアは、擬人風にも読み取れてなかなか興味深い。

2つ目のこだわりは、技術開発の「見通しの難しさ」についての事例紹介だ。著者はアモルファスシリコン太陽電池を世界で初めて実用化した専門家だけに、一般には知り得ない秘話も幾つか取り上げている。アモルファスシリコン太陽電池は、米国RCA社で偶然発明されたものだが、会社からはなかなか公認されなかったという。また、現在の薄型液晶テレビにつながる液晶ディスプレー(LED)もRCA社で発明したものの、「応用の見通しが立たない」として研究を早々と中断してしまった。これに対して日本の電機メーカーは、腕時計や電卓に少しずつ応用しながら時間をかけて育てあげ、ついには太陽電池や液晶テレビを最初に製品化させた。

3つ目は、関西系の企業が「なぜ太陽電池の開発に熱心だったか」を探っている。不安定なエネルギー源だけに、採算重視の企業にとっては難物である。それをシャープ、京セラ、三洋電機、パナソニック(旧松下電器産業)と、関西系の電機メーカーがこぞって、初期の段階から熱心に取り組んできた。

シャープ創業者の早川徳治氏は、1960年代に研究室に出向いては「もっと深く研究を」「わが社の携帯ラジオに付けて商品化を」と鼓舞したという。京セラ創業者で名誉会長の稲森和夫氏は、25年前に普及促進を目指して「太陽光発電懇話会」を設立し、売電などの社会制度を早々に整備した。後に失敗はしたものの、結晶シリコン製造の合弁会社を松下電器産業、シャープ、京セラなどとともに設立している。さらに途上国に太陽電池を寄贈し、寒村に照明を灯すプロジェクトも実現した。

もちろんこうした背景には、旧通産省による先駆的な「サンシャイン計画」の後押しがあり、日本は数年前まで世界一の太陽電池生産国を誇った。しかし著者は、「技術者と共に太陽電池に賭ける(創業)経営者がいたこと」が、関西系メーカーの大きな強みだったとみている。個性の強い創業者が、将来のエネルギーとして「太陽」に夢を託していたことが、現実主義的な関東系のメーカーに差をつけたようだ。

太陽電池開発に賭けたロマンチストたちの失敗と成功の物語は、技術開発で壁に直面している研究者たちにとっても、ヒントと勇気を与えてくれるカンフル剤になるに違いない。

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