レポート

シリーズ「日本の安全と科学技術」ー「食糧安全保障と日本農業の課題」第3回「水や森林資源のフル活用を」

2011.12.13

柴田明夫 氏 / 資源・食糧問題研究所 代表

TPP参加と農業資源のフル活用

柴田明夫 氏(資源・食糧問題研究所 代表)
柴田明夫 氏(資源・食糧問題研究所 代表)

 私は、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については、「参加することを“危機バネ”に、国内の農業資源のフル活用をすべきである」と考えてきましたが、なぜか反対が多いのです。この間、自民党に呼ばれて農業政策について話をしたときも、TPPの“T”と言った瞬間に「ダメだ」となり、その後TPPの話題については言い方を変えるようにしています。参加しようが参加を阻止しようが、要するに、今まで30年間、日本農業への危機意識を共有しながらも、実は何もやってこなかったということなのです。

 『80年代農政の基本方向』という報告書が、1980年に農政審議会によって出されています。全中(全国農業協同組合中央会)も82年に、同様な報告書を出しています。当時から、日本農業の危機感を共有し、農業の高齢化問題、米国からの農産物自由化の圧力問題、さらにソ連のアフガン侵攻に対する米国の禁輸措置の問題など、こうした様々な問題に耐えられる国内農業を持つことの重要性では認識が一致していました。「耐えられる農業」というのは、単に農地が維持され、耕地があればよいというのではなく、人(優秀な農業者)や水資源、森林資源など、食糧の生産力と密接に結びついた地域資源が丸ごと保全されている農業のことです。これらを保全し、水田をフル活用することで、コメの輸出に活路を開こうとしたわけですが、そう言いつつも、何もできてなかったのが現状です。それだけに、今さら「TPP参加で日本の農業は壊滅する」といった話もないだろうにと、思うわけですが……。

TPPとコメへの影響

 農水省によると、TPPに参加すれば「コメはコシヒカリを除いて壊滅する」ということですが、果たして、世界で日本にジャポニカ米を供給できる国はあるのでしょうか。

 あらためて見てみますと、オーストラリアは干ばつ傾向のために、かつて150万トン生産し輸出していたコメは、もう壊滅的な状態になっています。2006年、07年には1万8,000トンまで生産量が減り、今、回復したといっても10万トンあるか、ないかのレベルで、とても輸出はできません。

 米国は、700万トンほどコメをつくっています。うち300万トンほど輸出していますが、これは中南米、カリブ海諸国にインディカ米を輸出しているのです。ジャポニカ米は、ほとんど輸出できていません。しかし農水省は「たちどころに400万トンのジャポニカ米が日本向けに輸出される」と言いますが、まあ、そんなことはないでしょう。

 中国は1億4,000万トンのコメをつくっています。その3割の4,000万トンぐらいがジャポニカ米です。三江平原では1ヘクタールあたりの収量が10トンから13トンもとれる「スーパーハイブリッドライス」がつくられていますが、味は「推して知るべし」で、とても競争力はないということです。むしろ、日本のコメのほうが中国へ輸出の可能性が高い。すでに、秋田の「JA秋田おばこ」では、オーストラリアや米国、欧州にも、150トンほどコメを輸出しています。

 乳製品についても、農水省によれば、TPP参加で壊滅的なダメージを受けるといいます。要は「何もしなければ壊滅的になる」ということなのですが、実は、TPPに参加しなくても、10年後には、すべて壊滅的になってしまうのが日本の農業なのです。

 ただし、TPPには、農業だけに限らず、日本の経済構造を変えるほどのいろいろな分野が入っているので、慎重になるに越したことはないのですが、農業団体はもう大反対です。これは、農業生産法人要件の緩和で企業が参入できるようにしたり、農地の売買を自由化したり、農協の独占事業となっていた加工・流通を民間に開放しなさいという話ですから、農協は黙っていません。さらに、農業委員会の廃止、新農業地域金融の規制緩和も入ります。農業の金融については、昔は個別の零細農家には銀行が金を貸してくれず、農協がその役割を果たしていたのですが、そうした構図も今は変わってきたということです。

東日本大震災の経済的影響

 大震災により、被災地では企業の生産設備、それから道路や港湾、鉄道などのインフラ、さらに住宅などの資本ストックが失われました。これらに対して、設備投資の増加、公共事業の増加、住宅の着工などという格好で、復興需要が今年後半に現れ、GDPを押し上げるという構図が描かれていますが、ここにきて、原発事故による電力供給不足の問題や、放射線被害に伴う風評被害という輸出への影響が出てきました。

東日本大震災の経済面における影響 ⇒ 長期にわたる電力不足懸念
東日本大震災の経済面における影響 ⇒ 長期にわたる電力不足懸念

 「東日本は電力が長期的に不足する」と思いきや、積水化学など一部の企業は早々と生産拠点や本社を関西に移しました。関西の原発の運転が承認されないとなると、今度は、企業は海外にシフトします。電力不足で海外に出る動きと、サプライチェーンが寸断され、リスク回避のために海外に拠点を一部移すような動きが出始めています。

 心配なのは、復興需要が出ると予想しているところに、電力不足問題によって復興需要が出ないまま、一部海外生産シフトなどが進み、震災前の経済レベルの手前で定常状態に入ってしまうことです。阪神大震災のときは、経済レベルがドンと落ちて、電力問題はありませんでしたから、復興需要がそのまま現れてGDPを押し上げたという構図でしたので、今回とは違います。

大震災後の政策方針

 これまでお話ししてきたように、震災前までは、「過剰」と「不足」が併存するのが日本の農業でした。世界の食糧は有限資源化し、価格・品質・供給の安定が脅かされる時代となったならば、「不足」を前提に、日本の農業を水田フル活用という格好で切り替えるべきだ。その際には、TPP参加を“危機バネ”にして、輸出に活路を開く——。こんなことを考えていたわけですが、大震災の結果、このシナリオは、長期的には変わりありませんが、短期的にはそうもいかなくなりました。鮮明になったのは、食糧というのは単なる商品ではなく、足りなくなればパニックを起こす「政治財」だということで、食糧の安全保障が再認識されました。

 さらに今回の震災によって、一次産業によって立つ東日本の経済の構図、国際競争力の強化を目指す西日本の経済の構図が随分変わった形になるかもしれません。人々の価値観、ライフスタイルが変わり、この対照的な経済は、いわゆる「成長」なのか「安定」なのかということです。「成長」を目指して、相変わらず民主党は「新成長戦略」をもう一度、見直すとか、やっていますが、東日本は「安定」に基盤を置かざるを得ない。その「安定」も、電力不足、エネルギーの供給制約の中で「安定」を目指すとなると、やはり農村・農業を中心とした一次産業に基盤を持った経済になるのではないでしょうか。幸い、失われた“地域のきずな”も確認できたし、そこでの生活も一次産業をベースにした形になると思われます。

 その場合も、単に昔の農村共同体に戻るのではなく、農業を「太陽エネルギー産業」として見直し、バイオ燃料や水資源、土壌浄化、植物工場など、いろいろな方法があると思います。

津波で失われた農地

 今回の大津波により、千葉県以北の太平洋沿岸部では、推定2万3,600ヘクタールの農地が被害を受けました。全国460万ヘクタールの農地面積からみるとわずかに0.5%ですが、岩手、宮城、福島、茨城各県のコメの生産、農業生産でも全国の約15%です。それに青森、栃木、千葉各県を加えると、全国生産の2割以上を占める農業地帯です。津波被害に加えて、放射能汚染による影響も非常に大きいわけです。放射能汚染による風評被害を防ぐためには、具体的なデータをもとに出荷基準を明確に示すこと、その上で、消費者が国内の農産物をしっかり食べることが、海外へのアピールにもなると思います。

 津波で「失われた農地」にも集中投資し、エタノールの生産や、「エコタウン」(2世代・3世代住宅、太陽光発電、小型水力発電などを複合利用)の建設、およびそれに関連する雇用創出、水や森林などの地域資源のフル活用を図ることです。その水も森林も、住宅復興に当たっては国内の材料、国産材をすべて使うべきだと思うのです。岩手、宮城、福島、茨城の4県だけでも大きな需要となります。

コメの100万トン備蓄

 コメについても、先ほど申し上げたように、年々消費量が減ってきています。93年の冷夏のときにパニックがあり、2003年にもちょっとした冷夏があって、このときもパニックになりました。農水省は、800万トンのコメ需要に対して800万トン以上の生産があり、さらに100万トンの備蓄があるので大丈夫だといいますが、例えばうちの女房などは、コメが品薄のときにスーパーにコメがあったりすると、玄米を1袋10キロを余分に買ってきてしまう。消費者とはそういうもので、月10キロのコメを食べる4人家族が10キロ買いだめすると、全体のコメ需要はたちまち普段の1.5倍、1,200万トンぐらいになり、コメが足りずにパニックになります。

2011年の「コメ不足懸念は小さい」とは言うものの
2011年の「コメ不足懸念は小さい」とは言うものの

未活用の木材資源

 世界の木材資源は多伐採によって足りなくなり、資源の枯渇の問題が出てきています。日本国内の木材資源についても、「伐採しない」「使わない」という問題があります。日本の国土面積の3分の2は森林で、海外から見ればうらやましい限りですが、戦後の住宅難を解消するために大造林を行い、今や4割が成長スピードの速いスギやヒノキの人工林になっています。ところがそれが、手入れをしていないために、もう滅茶苦茶になっているのです。

 毎年、森林は太るわけで、木の蓄積量(木材体積)は2000年が40億立方メートル、それが現在は50億立方メートルほどになっています。立木換算で毎年1億立方メートルずつ太っている計算です。一方、日本の木材需要(2009年)は丸太換算で6,500万立方メートル弱、立木換算(歩止まり60%)で約1億立方メートルに相当します。木材需要は国内の住宅木材が主で、国産材で十分賄える計算ですが、国産材の生産量はこの10年間で1,800万立方メートル程度に止まり、あとは輸入しています。ところが輸入先の諸国でも、過伐採による森林資源の枯渇問題が出てきて、木材の輸出を制限する動きも強まりました。中国では1998年に揚子江の大洪水が起き、その原因が上流部の森林伐採にあるということで、天然林の伐採を原則禁止し、木材の輸入を自由化しました。そうした環境の変化によって、日本の海外材の輸入量は2000年の約8,200万立方メートルから、09年には約4,600万立方メートルに半減しています。日本も、いち早く国産材を使うようにすべきなのです。

“太陽エネルギー産業”として

 福島第一原発の事故をきっかけに、将来の日本のエネルギー供給源として、太陽光発電など、太陽エネルギーを利用する動きがあります。考えてみれば、日本の農業というのは、昔からの“太陽エネルギー産業”です。農地はソーラーパネル、農産物は太陽エネルギーを最も効率よく濃縮・固定化した自然の装置——といったところでしょうか。農村・農業を基盤にした社会こそが、目指す「低酸素社会」です。ソーラーパネルをベースにしたエコ住宅を建設し、さらに2世代・3世代住宅を建てて、家族や仲間内による在宅介護の充実を図るなど、農村・農業を中心に地域社会を見直していくことです。

水資源のフル活用を

 日本の年平均降水量は約1,700ミリメートルで、約170センチの背丈分です。これに国土面積(37万8,000平方キロ)を掛けたものが日本全体の水資源量(約6,500億立方メートル)となりますが、そのうち2,300億立方メートルが蒸発し、残り4,200億立方メートルが水資源賦存量(理論上、人間が最大限利用可能な水量)となります。ところが使っているのは、わずかに850億立方メートル。その7割が農業用水としての利用です。海外では水資源賦存量の半分ぐらいを利用しています。日本は「雨が降れば、洪水になる前に、速やかに海に流れてほしい」という思想で来ており、森林もスギやヒノキなどの保水力のない森林になっているので、なかなか水は利用されていません。

 ところが日本が3,000万トンの穀物を輸入する場合には、穀物1トンあたり収穫までに約2,000トンの水を使うので、600億トンの水を輸入することにも相当します。世界の水が足りず、食糧も足りなくなるときに、日本は国土資源をフル活用せずに海外から持って来るというのでは、倫理面で非難される可能性が高くなります。

 日本の水資源の活用法には、災害時の緊急支援としてだけでなく、普段からの渇水支援として国内外に供給・輸出することが考えられます。高知の四万十川とか、日本海サイドでも水の豊かなものがあります。特定港からの輸送方法についても、タンカーのバラスト水として、あるいはダブルハル化(二重底化)された空隙に水を積んで輸送することや、特別な水バッグを用意して運ぶことなどが考えられます。

農業の多面的機能

 農業・農村には多面的機能があります。国土保全や水源の涵養、自然環境の保全といったものから良好な自然環境の形成、文化の伝承、農業体験などの保健休養の側面、あるいは地域社会の維持活性化の役割、そして食糧安全保障のための機能です。そうなると、単に「農産物の自由化」といっても、簡単にはいかないことがよく分かります。それを理解するには、水田のフル生産、フル活用をすることです。フル活用に農政のかじを切り替えることによって初めて、何がボトルネックになっているのか、人が足りないのか、水が足りないのか、農村社会がいけないのか、この辺がよりはっきりしてくるのではないか。

 リーマンショックの後で、銀行の「ストレステスト」がしばしば行われています。経済環境の変化に対して、この銀行は果たして耐えられるのかというテストです。日本の農業も、そのストレステストをやってみればいいと思うのです。果たしてどのぐらいの「復元力」が備わっているのか。案外、何ら復元力はなく、いざというときの「食料の安全保障」が問題化してくるかも知れません。

「萃点(すいてん)」としての農業・農村

 農業にはあらゆる技術、土壌学、化学、気象学、機械工学、電子技術、土木工学、情報工学、動植物学、経済学、農学、経営学、遺伝子工学などが関係しています。これに「農村社会学も入れてくれ」と言われているのですが、さらに、いろいろな技術の入る余地が非常に大きい分野でもあります。私たちの研究所も、いろいろなデータを集めて経済を分析し、事実認識や問題意識を共有しますが、大体がそこでとどまるケースがほとんどです。そのため、そうした事実認識の上で「どうすべきなのか」という価値判断をできるだけ行うようにしています。日本の農業・農村についても「これからどうすべきなのか」。さらにまた、問われているようです。

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柴田明夫 氏
(しばた あきお)

柴田明夫(しばた あきお) 氏のプロフィール
1969年宇都宮東高校卒。76年東京大学農学部卒、丸紅入社。鉄鋼営業部門、調査部門などを経て、2001年4月丸紅経済研究所主席研究員、06年4月同研究所所長、10年4月同研究所代表。11年9月から現職。

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