レポート

シリーズ「日本の安全と科学技術」ー 「食糧安全保障と日本農業の課題」第1回「逼迫(ひっぱく)する世界の穀物需給」

2011.12.02

柴田明夫 氏 / 資源・食糧問題研究所 代表

日本経済の「萃点(すいてん)」

柴田明夫 氏資源・食糧問題研究所 代表
柴田明夫 氏(資源・食糧問題研究所 代表)

 本日のお話のポイントは、日本の農業は海外と国内の両方で資源の供給制約問題に直面しているということです。特に3月11日の東日本大震災があってから、まず国内では、東日本を中心に長期的な電力不足懸念に直面しています。海外に目を転じますと、食糧に限らずエネルギーや金属資源など、あらゆる資源価格の騰勢がとまらない状況です。この価格の騰勢は、ともすれば投機マネーによる「一時的なマネーゲーム」あるいは「一過性の現象」などとマスコミ的にはとらえられていますが、私はそうではなく、資源の均衡点価格の変化、すなわち過去30年の価格帯といったものが、もう一つ上の段階にずれ上がる、そうした変化が始まっていると見ています。背景には中国やインドなどの新興国の猛烈な需要の拡大に伴って資源の枯渇問題が起き、その結果、日本経済あるいは日本の農業も、海外・国内両面からの新たな資源の供給制約に直面しているということがあります。

 日本の対応としては次の3点を同時に進めることが重要です。一つは、資源の供給制約が強まり世界中で争奪戦が始まっているわけですから、日本は官民挙げて資源の安定供給を図ることです。これは商社の役割です。2番目は、資源の枯渇問題や強まる地球温暖化の傾向に対して、できるだけ資源を使わず、効率的利用を内外で進めること。代替材料や代替エネルギーの開発もそうです。これらは科学技術の分野ですね。もう一つは、農業などの国内資源のフル活用を図るべきだと思っています。

南方熊楠の萃点
南方熊楠の萃点

 ここに、一見、訳のわからない絵があります。南方熊楠(みなかた・くまぐす、1867-1941年)という世界的な民俗学者で、粘菌の研究などでも有名ですが、彼の本の中に『萃(すい)点の話』というのが出てまいります。私なりに解釈すると、図でイ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、トというのは、例えば日本の抱えたさまざまな問題点を示します。地方経済の疲弊とか格差の問題とか、あるいは環境とか医療・介護・年金問題など将来的な社会不安とか、これらさまざまな問題点の絡み合ったところが「萃点(すいてん)」です。この萃点を見つけて解きほぐすことによって、抱えている日本の経済・社会問題を解決する糸口がつかめるということです。そこであらためて「日本経済の萃点とは何か」と考えた場合、私はそれは農業・農村ではないかと思っております。世界の資源・食糧問題を考えた場合、日本の農業・農村を「もう一度しっかりと見直していくときが来たな」と考えています。

穀物急反騰の背景

 海外の経済・マーケットから日本国内を見てみると、まず世界経済では、リーマンショックが2008年9月15日に起こりました。その直後、「つるべ落とし」のように世界経済が大きく落ち込み、戦後初めてのマイナス成長になりました。これは「百年に一度の危機だ」という認識で、各国政府がなりふり構わず財政・金融政策を打ち出したので、幸い世界的な大恐慌に至りませんでした。そのため、世界経済は昨年(2010年)が5%成長、今年と来年が4%台半ばの成長と予想されるなど、景気的には回復してきています。

 もう一つの世界的な傾向は、パワーシフトがより鮮明になったことです。成長の源泉が先進国から新興国、特に中国に移ってきている。経済も米国の一極化から多極化構造へと変わってきて、もはや「グループ・オブ・セブン(先進7カ国)」あるいは先進8カ国で物事が解決できなくなってしまった。G20とか、参加国が広がってくると、それぞれが国益を追求するという勝手な動きになって、結局、グローバルなイシュー(課題)としての資源の枯渇問題や地球温暖化問題の解決が困難になり、もはや「Gゼロだ」とも言われています。本来、この資源の枯渇問題は、国際的な資源の管理体制ができればよかったのですが、それができないとなると、期待されるのは技術革新によって資源の効率的利用とか、できるだけ使わないとかの技術開発によるところが大きくなります。

 経済構造のパワーシフトについては、90年代までは、人口8億人弱の先進国が世界経済をけん引し、資源もほぼ独占して使っていました。ただし、それらの先進国は70年代のオイルショックを契機に成熟化したので、経済が成長しても毎年、新たな資源の需要が喚起されるわけではありませんでした。そのため、先進国の景気変動に応じて資源の需給が変化し、資源価格もあるレンジの中で循環的な変動を繰り返していたというのが90年代までの姿です。

 しかし2000年代に入り、いわゆる「BRICs現象」としてブラジル、ロシア、インド、チャイナ(中国)という、人口が合わせて約30億人にもなる大国が新たに工業化してきたことで、資源の需要が毎年新たに喚起される状況になりました。

 結局、リーマンショック以降の世界経済では、三つの潮流がより鮮明になりました。景気が予想以上に拡大してきている。パワーシフトが進む。その影響が資源の市場に、より先鋭的に現れるようになった。その現れ方も単なる価格の上昇ではなく、価格のステージが一段上がるような「均衡点価格の変化」として現れるようになったのです。

 「均衡点価格の変化」という点では、現在は、70年代と同じようなことが起きていますが、違いは二つあります。一つは資源の枯渇問題、もう一つは地球温暖化の問題です。これら2つの危機が不可逆的な流れとして進み出したということです。果たして「資源は枯渇しているのか」。私が申し上げている「資源」とは、いわゆる「濃縮されて経済的な場所に大量に存在する自然物」のことですが、こうした「優良な資源」「生産コストが安い資源」は発見し尽くされています。拡大する資源需要に対応しようとすれば、「濃縮されていない資源」としてのバイオ燃料、あるいは「経済的な場所にない資源」としての深海油田など、いわゆる「質の悪い、生産コストの高い資源」まで総動員しないと間に合わなくなってきているのです。

 では「いつまで価格が上がるのか」、「どこまで上がるのか」と、よく聞かれます。現在の動きは「つなぎ」というか移行の期間であり、いずれあるところに行くと落ち着きます。その移行期間と価格水準は、おそらく今後の中国の経済成長の中身と、成熟化するまで、時間軸でいうと2020年ぐらいまでは、こうした上昇傾向が続くと思います。

穀物価格の変動

 この資源価格の上昇は、食糧についても同様です。シカゴ商品取引所における大豆、小麦、トウモロコシの価格の動きを見ると、2008年のときにこれらは歴史的な高値をつけました。その後、リーマンショックもあって急落しましたが、下がったその位置は、過去の価格と比べても、10年に一度の干ばつで大相場が出たときの高値と同レベルにとどまるなど、マーケットは一段と高値不安定になっています。それが、昨年の後半から一段と価格の騰勢が強まり、今年に入ると穀物の価格、中でもトウモロコシの価格は2008年の高値をすでに抜いている状況です。

 きっかけは、ロシアの干ばつです。この干ばつによって、ロシアだけでなく、カザフやウクライナといった世界の小麦生産の15%を占め、世界の小麦輸出量では3割近くを占める地域が減産に追い込まれ、ロシアは輸出を禁止した。これら3国の小麦は主に北アフリカや中東諸国に輸出されている。それがストップしたわけです。そうした中で、チュニジアでは「ジャスミン革命」が起き、エジプトではムバラク政権が転覆するなど、北アフリカや中東などで民主化運動が高まる事態となっています。小麦の輸入が止まると、こうした諸国はアメリカから買いつけたことで、米国の小麦価格が暴騰する格好となりました。小麦が上がるとトウモロコシ、大豆も連動して上がりました。南半球で生産が増えれば、これら北半球の減産分はある程度補えるはずですが、昨年は南米・アルゼンチンの干ばつとか、オーストラリア西部の干ばつ、東部の大洪水などもあって、投機マネーが一段と入ってくる状況となりました。この間、中国は大豆を昨年11月時点で5,700万トン、今年はすでに5,800万トンを輸入しています。トウモロコシも100万トンを超える輸入国に変わってきています。ロシアの小麦生産は昨年ドンと落ちて、今年はやや回復し、昨年比500万トンの増加が見込まれますが、輸出量は一昨年のレベルまでは回復していません。

「世界の食糧需給」の視点

 海外の食糧市場でも、資源市場と同様に「均衡点価格の変化」が起きています。背景には世界的な食糧需給の逼迫傾向があり、さらに、その後ろ側にあるのが中国の影響です。食糧の供給サイドにも制約があります。食糧の生産量は〔耕地面積×単収〕で計算されますが、その耕地面積、単収ともに制約条件が強まっているのです。見逃せないのは、世界の食糧の供給構造です。現在、地球上で大量に商業生産されている作物は、コーヒーや砂糖、野菜・果物なども全部含めて150種類ぐらいあり、約44億トンの生産数量になります。そのうちコメ、小麦、トウモロコシ、大豆の生産量が22億トンを超えているので、世界の食糧供給の半分以上が、この特定の4種類の作物に依存しているという構図です。それだけに、これらの作物の生産性が高いということになりますが、逆に、植物あるいは「生物の多様性」の面から見ると、「かなり脆弱(ぜいじゃく)化しているのではないか」と捉えられています。「多様な植物の世界ほど、環境変化に打たれ強い」と考えられているからです。

 こうした情勢の中で、バイオエタノールの生産が米国においては増加しています。これからの世界の食糧市場では、3つの性格の争奪戦が始まると思われます。1つ目は国家間の奪い合い、2つ目はエネルギー市場との奪い合い、それから3つ目は、水と土地をめぐっての農業分野と工業分野の、産業間の奪い合いです。工業化が進めば、次に都市化がやってきます。水については農業用水と工業用水とで奪い合っていたところに、都市生活用水の需要が急速に増加することになります。土についても同様であり、食糧も有限資源化の傾向が強まってきていることになります。

 90年代までの資源の問題は、いわゆる「枯渇性の資源」「希少性の資源」がますます希少になってきたという問題でした。しかし、21世紀に入ってからの資源の問題は、従来の「枯渇性の資源」に加えて、それほど希少性に問題のなかった水や温暖な気候、多様な生物といったものまでも、新たに「希少性の性格」を帯びてきていることに心配点があります。

長期的に見た穀物価格

 「穀物および原油価格の推移」のグラフ(IMF資料)を見ると、横軸のある年代に穀物(小麦、トウモロコシ)および原油の「均衡点価格」のレベルが、新たな高いレベルに移っていることが分かります。タイ米の輸出価格(トン当たり)についても、2000年代初めまでは200ドル台でしたが、2008年に1,000ドルを超え、その後反落しましたが、500〜600ドルのところで下げ止まり、高い価格レベルにステージが変わりました。

 2008年はそれほど上がらなかった農産物もありますが、今年はあらゆる農産物の価格が上昇しています。FAO (国連食糧農業機関)による食料価格指数(2002-04年=100)でも、今年1月に230.0を突破して過去最高になり、コーヒー、砂糖も最高レベルにきています。綿花についても、以前は1ポンドあたり50セントぐらいでしたが、今年になって一時、220セントの高値を付けました。現在は若干下がりましたが、それでも150セントぐらいです。これは、綿花に対する需要の拡大が一つの要因となっています。

逼迫化する穀物需給

 穀物価格が上昇するのは、生産に問題があったからではありません。実際に、世界の穀物生産は年々増えており、今年から来年にかけては史上最高を更新するような大増産が見込まれる中でも、価格は上昇傾向にあります。

世界の穀物需給は再び逼迫傾向へ
世界の穀物需給は再び逼迫傾向へ

 問題は在庫率の低下にあります。これまで世界的には消費が一途に拡大し、2000年代の前半には、この消費拡大に生産が追いつけず、世界の在庫を取り崩すといった構図になっていました。2007年の年末には、期末在庫率(年間消費量に対する在庫の比率)が16%台まで落ち、瞬間的に、1973年の世界的な食糧危機騒動のレベル(期末在庫率15.3%)を下回りました。供給の逼迫感から穀物価格が上がり、レーショニング(rationing)によって農家、生産者の増産意欲もわいて大増産となりましたが、その一方で消費も伸びたことから、結局、在庫が積み上がらない状況になってしまいました。ちなみに、レーショニングとは、価格が上がれば生産が増え、消費が抑制されて需給が均衡し、価格が元に戻るといった動きを指します。

 楽観派が指摘する通り、現在は22億トンの穀物生産量があります。これを人口70億人で割ると、1人当たり年間310キロぐらいになります。これに野菜、果物を加えれば、必要な1日のカロリー数2,000キロカロリーは摂取でき、飢えの心配はないはずです。ところが地球上から飢えがなくならないのは、「分配が問題だ」というわけです。実は、この22億トンの生産量の4割以上は、いわゆる家畜の餌で、人間がすべての穀物を直接食べているわけではありません。現在の期末在庫率についても18%台と、FAOが掲げる適正在庫率(年間消費量の2カ月分に当たる17-18%)をやや上回っていることから、食糧が不足している地域に「いくらでも回せるはずだ」と考えたくもなりますが、実は、世界の在庫の3分の1は中国で在庫されているのです。特にトウモロコシとコメは、世界の半分近くが中国の在庫です。中国の在庫分を除くと、例えば現在、需要が急速に拡大しているトウモロコシは10%しか残らないので、やはり価格を押し上げることになります。

 旺盛な消費に生産が追いつかない構造になっている理由の一つは、40年間で2倍になるというペースでの世界人口の増加です。供給サイドについて見ても、世界の耕地面積は過去50年間、7億ヘクタールのところで頭打ちになっています。専ら単収を引き上げることで穀物の生産量を増やしてきましたが、単収の伸びも鈍化してきている状態です。

 これに対して「耕地面積にはいくらでも開発の余地が随分ある」との見方もあります。しかし、過去50年間、耕地面積が7億ヘクタールで安定してきたというのは、ただ何もしないで定常状態にあるのではなく、これまでもどんどん農地開発を進める一方で、森林破壊や砂漠化などによって、農地の改廃も進むといった、足し算・引き算の結果によるものですから、耕地面積を飛躍的に増やすことは、机上の計算では可能でも、実際には難しいと思います。

 「単収の引き上げ」についても、「アフリカなどで窒素肥料を倍与えれば、いくらでも単収は伸びる」と楽観派は言いますが、窒素やリン酸、カリウムなどの肥料の値段も今、倍ぐらいになって、肥料コストが高くなっています。さらに、潅漑(かんがい)の整備コストも上がっているということです。「コストが上がる」とは、生産者にとっては悩ましいことですが、価格が上がらないと開発意欲がわかないし、価格が上がると飢餓人口が増えてしまう。そうしたジレンマを、どう解決していくべきなのか。

柴田明夫 氏資源・食糧問題研究所 代表
柴田明夫 氏
(しばた あきお)

柴田明夫(しばた あきお) 氏のプロフィール
1969年宇都宮東高校卒。76年東京大学農学部卒、丸紅入社。鉄鋼営業部門、調査部門などを経て、2001年4月丸紅経済研究所主席研究員、06年4月同研究所所長、10年4月同研究所代表。11年9月から現職。

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