レポート

エディンバラ・サイエンスフェスティバルを考えるー 第2回「日本のあり方を考える-英国との比較から」

2007.06.27

長神風二 / 科学技術振興機構

 前回、エディンバラのサイエンスフェスティバルの模様を報告した上で、サイエンスフェスティバルをめぐって、日英の間に、漠然とした違いを感じることを述べた。今回は、その違いについて、詳しく考えていきたい。

エディンバラ新市街から旧市街の丘頂上の古城をのぞむ。
エディンバラ新市街から旧市街の丘頂上の古城をのぞむ。

 日本において、サイエンスフェスティバルの開催期間が総じて短いことは、前回述べた通りだ。また、フェスティバルでくくられていない、単発のイベントの中にユニークなものが多いことも述べた。実は、この2つが全体的な違いを読み解く鍵だと、私は考える。

 フェスティバルが2週間も開催され続けると、否応なく、町に浸透していく。開催場所そのものが人々の目に触れる期間は延びる。開催直後にメディアに取り上げられたとして、それを見たことで参加を決めることもより容易になるだろう。

 日本の現状で、2週間続くフェスティバルはなかなか難しい。平日の昼間に来場者を見込めないこともあるが、運営側の基礎体力の問題も大きい。日本においては、フェスティバルに専従の人員がおかれていることは稀で、短期集中での準備となる。一回目で述べた大きなフェスティバルの事務局長などは、開催直前からろくに睡眠も取れず開催期間は3〜4日までが限度というのが、偽らざるところだろう。この状況は、腰を据えた交渉が必要になるスポンサー獲得などにも響いてくるだろう。エディンバラのフェスティバルのパンフレットを開くと、多くのスポンサーロゴが躍っている。

 短期集中型で確実な集客を見込むためには、ターゲット層を絞り込んで明確にし、その層が丸一日楽しめるイベントが組まれている。一方で、フェスティバルのコンセプトに沿うイベントの種類は多様ではない。大掛かりにまとめることのできるコンセプトから漏れるイベントは、それぞれ単発のものになっていく。たとえれば、日本のフェスティバルは大型の専門店であり、英国のそれはスーパーマーケットである。地域の幅広い層に訴えやすいのは英国型だろうと類推してしまうのも、あながち早計とは言えないであろう。

 当然だが、日本型にも独自の良い点が多くある。専門家同士のネットワークは強固になり、お互い切磋琢磨することもできる。何より、「実験・工作」(科学の祭典)、「親子」(富山大学 親子フェスティバル)、「自然史」(大阪自然史フェスティバル)と、手法、年齢層、テーマのいずれかを、完全に絞っているにもかかわらず、万の単位の動員力を持っている。それぞれタイプは違うが、基本的には地道に築き上げた草の根のネットワークに裏打ちされているものだ。陰に隠れた関係者の並々ならぬ献身的な努力がある。日本の今後を考えるにあたっては、英国型の良い点は見習いつつも、日本の先行事例を活かしつつ発展させていく道を考えていくべきであろう。その道に関して、現時点で自分に明確な解答はないが、現在取り組んでいるサイエンスアゴラは、多数の試みを融合しお互いの連携を見つけていくための方策の一つにはなるだろうと考えている。

富山大学親子フェスティバルでの、人体の構造についてのワークショップ
富山大学親子フェスティバルでの、人体の構造についてのワークショップ(写真提供:富山大学 林衛 氏)
エディンバラでの「医療現場」を体験する子ども向けのワークショップ
エディンバラでの「医療現場」を体験する子ども向けのワークショップ

 最後に、もう一つ、英国のサイエンスフェスティバルの特徴を述べておこう。ニューキャッスルのものなど一部の例外を除いて、子ども向けまで含めて、それぞれのイベントに入場料がかかるのが普通、という点だ。エディンバラのフェスティバルの場合には、総運営費用の3分の1を入場料収入が担っている。お金を払って来るからこそ、イベントに対する参加意識も高いし、事務局側も重要なウェートを占める金額を回収するべく人々の関心を惹くことに注意を払う、という好循環があるようだ。筆者がインタビューした、エディンバラの事務局の責任者は言う。「6〜8ポンド(1500〜2000円)のチケット、映画を見るのと同じくらいさ。90分の講演、ちょうど映画一本と同じくらいの時間だろう?」

 ロードショーを観るのと地続きで、科学のイベントへの参加を語れること。単純な欧米礼賛にくみするつもりはないが、ここは単純に目指したいところだ。遠いようだが、努力を結集することで、決して不可能ではない、と信じている。

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