私は国立天文台に所属する天文学者で、水沢VLBI観測所(岩手県奥州市)の所長を務めつつ、国内外の電波望遠鏡のネットワークを使って銀河系の構造やブラックホールを研究している。天文学は純粋な好奇心に基づく基礎科学であり、私も含めて多くの研究者は自分自身の好奇心から研究を進めている。たとえ銀河系やブラックホールについて理解が深まったとしても、それが直ちに人類に経済的な利益をもたらすわけではなく、ほとんどの研究者はそのような短期的な利益とは無縁な研究をしている。では、基礎科学の本質的な価値とはいったい何なのか。私なりの考えを述べたい。

純粋な好奇心こそ研究の原動力
多くの人々は「宇宙」と聞くと、まずはロケットや人工衛星が飛んでいる地球近傍の宇宙空間を思い起こすだろう。そこで展開されている各種の宇宙技術は既に日常生活に深く浸透しており、それらなしでは現代社会が成立しないレベルに進歩している。例えば、携帯やカーナビでGPS衛星の信号を受信し、自分のいる位置を把握した経験のある人は多いはずである。また、天気予報で気象衛星「ひまわり」を見るのも日常生活の一部となっているし、衛星放送を視聴している人も多いだろう。

これらの身近な宇宙技術と基礎科学としての天文学は、一見、無関係に思えるかもしれない。しかし、歴史をさかのぼれば、天文学が現代の宇宙技術に深く関係しており、人類の技術の発展に大きく寄与していることがわかる。例えば、飛行機を飛ばしたり、人工衛星を打ち上げたりするには「力学」という物理学の体系が必須である。そして力学は、コペルニクスやガリレオによる地動説の提唱と、ケプラーによる惑星の運行法則の導出、そしてニュートンによる万有引力の理論的体系化を経て構築された学問分野である。その起源は天文学にあるといってよい。
力学の法則なしには現代科学の発展はありえないのだが、天文学の研究を通じてそれに寄与した過去の科学者たちは、いずれも自身の研究が何かの役に立つことを目指していたわけではない。私たち現代の天文学者と同様、「自然や宇宙の真理を明らかにしたい」という純粋な好奇心が原動力だったのである。科学技術の根幹を支える基礎科学を進めるのは、時代を問わず、未知なるものに対する知的好奇心に他ならない。この視点に立てば、今後の人類の進歩のためにも、即座に役立つか否かに関わらず、好奇心に基づく基礎科学研究を継続することが重要だと多くの人に理解していただけると思う。

予算削減とコスト増に苦悩する現場
しかし現在、日本の基礎科学がおかれている状況は極めて厳しい。私が勤務する国立天文台でも、長期的な予算の削減や、ロシアのウクライナ侵攻に端を発する電力コストの増加、円安や物価高などの影響で、研究活動の維持が困難な財政状況にある。これは国立天文台に限ったことではなく、基礎研究を支える大学や他の研究機関でも同様である。実際、最近も国立大学協会が現状を危惧するメッセージを発信したり、東京大学などが学費を値上げしたりしている事実からも、研究現場の苦境を察することができる。
もちろん私たち研究者も、手をこまねいているわけではない。私たちの観測所は2022年、研究支援のためにクラウドファンディングを実施し、1200人以上の支援者から計3000万円を超える寄付をいただいた。研究費を確保できたというだけではなく、私たちの研究に多くの人々が関心を持ってくれていることを改めて実感することができ、観測所の研究者にとって大きな励みとなった。
また、私たちは企業と連携し、若手研究者の共同雇用や育成なども進めてきた。任期付きの研究者が多い若手層は、予算不足による悪影響を最も受けやすい。若手が継続的に研究できる環境の整備に努めた結果、企業に採用された研究者が企業の仕事をしながら天文学の研究を続けるという新たな例も出てくるようになった。

「手段の目的化」は研究力を先細りさせる
ただし、こうした新たな挑戦は、当然ながら多くの試行錯誤と時間を要する。政府は大学や国立機関に対して独自の財源確保のための自助努力を求めているが、それが行き過ぎれば、資金調達そのものが目的化し、結果として研究のための時間がますます削られるという本末転倒な事態に陥りかねない。
そのような事態は日本の基礎科学の未来にとってマイナスであり、日本の研究力を先細りさせるだろう。研究者が一定の研究時間と研究費を安定的に確保できる状況を確かなものとすることが、基礎科学の長期的な発展には必要なのである。
特に近年、予算やポストの削減のせいで、若手研究者は不安定な任期付きポジションを長期的に続けざるを得ない状況にある。時間はかかるが夢のある大きな研究に挑戦できる環境がないようでは、優れた人材は研究の世界からどんどん離れていってしまう。私たちが取り組んだブラックホールの撮影も10年がかりの大型プロジェクトで、数多くの研究者たちが連携して進めてきたものである。しかし、短期雇用の若手研究者がこのような長期的な成果を目指すのは、現実的にますます難しくなっている。
本質突くファラデーの「名言」
この状況を改善するには、「基礎科学は人類の長期的な進歩のために必要である」という歴史的な事実を私たちが改めて認識し、適切に資源を配分していくことが必要である。もちろん、医療や福祉など喫緊の国民的課題を差し置いて、基礎科学を優先するべきだなどと言うつもりはない。しかしながら、基礎科学にも適切に予算を投じることが、人類の未来への重要な投資であることを強く訴えたい。
19世紀に電磁気学の基礎となる電磁誘導の法則を発見したマイケル・ファラデーは、「その法則はいったい何の役に立つのか?」と問われたとき、「生まれたばかりの赤ん坊が何の役に立つか、誰にわかるでしょうか?」と問い返したという。この言葉は基礎科学の本質を突いた名言である。
実際、ファラデーの電磁誘導の法則が生まれなければ、私たちが電波技術の恩恵にあずかることはなく、世界中の人々がスマホを手にしながら生活する社会も到来していなかっただろう。すぐに役立つかどうかわからない「科学の赤ん坊」を今後も生み育て、人類の進歩につなげていくことを心より願う。
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