私は福島県立医大の災害医療支援講座の教員として相双地区に派遣される形で、福島県相馬市にある相馬中央病院で今年の4月から勤務を開始しました。
3.11 から1年余りが過ぎました。相双地区は大変な医師不足です。地震、津波の被害、原発への不安は、この地域の方々の心身の健康に、いまだ大きな爪痕を残しております。
百年前の偉大な内科医ウイリアム・オスラーは、このような言葉を残しました。「医療はアートであり、取引ではない。使命であって商売ではない。その使命を全うする中で、あなたはその心を頭と同じくらい使うことになる」
相双地区の皆様の心が、過去の災害による傷とこれからの健康や仕事の心配でいっぱいになっているとき、自身の病気や肉親の死を、災害の影響を受けなかった 他の地域の方々と同じように受け止められない、ということが起きても不思議ではありません。身体症状が、心の問題から来ているかもしれません。もしそうだ とすれば、この地域における医師はどうあるべきでしょうか?
この質問に対する答えを見いだすために、くしくもオスラーの言う"心を頭と同じくらい使うことになる"という言葉に込められた彼の思いが、重要な考えるヒントになるのではないかと感じます。
また、患者さまに対する医師の数が絶対的に少ない場所で、医師が自らの専門分野にこだわらず広く各科の知識も持つ必要があることは、言うまでもありませ ん。各医師がまずは、どんな症状を訴える患者さまも診察し、自身が扱える状態のものか、専門医に紹介すべきものかを速やかに判断する能力を持ち合わせてい なければなりません。そうして、1つの病院ですべての診療ができるほどの規模の病院は相双地区には存在せず、臨機応変に患者の状態に応じて他施設に転送す るなどの病院間の連携が極めて重要です。
そのために、都市部ではよく問題にされる学閥や専門性という垣根を取り払い、さまざまな分野の医師が積極的に意見を述べ合い、知識や技術を共有し、いわば 「総合医療(comprehensive medicine)」というべきチームワークが必要であると考えます。これまでの日本では、医学部の教育は優れた専門医をたくさん輩出するシステムを取っ てきました。しかし、欧米のように高い専門性を持ちつつも、総合医療のセンスのある医者を育てるという土壌が十分には育っていません。これでは、高齢化社 会への対応ができません。
私はこれまで免疫学を軸として、臓器移植やエイズウイルス(HIV)感染の仕事に携わってきました。移植は免疫抑制剤を使うので、術後、感染症、免疫抑制剤の副作用(腎障害、神経障害、発がんなど)といったさまざまな合併症と戦わなければなりません。
HIV感染では、近年すぐれた抗HIV薬の登場でウイルス量を極端に少なくすることが可能になりましたが、体内に少量でも残存したHIVが動脈硬化、が ん、骨粗しょう症、慢性腎不全、アレルギーといった複数の領域の病気を引き起こして、いまだに感染者の生活の質の向上を妨げております。そのため多くの感 染者が自らの命を絶っている、という悲しい現実があります。
しかし、この2つの領域で培ってきた私の経験は、患者さまを「総合的(comprehensive)に診察する」という、今の福島で求められる医療の確かな足掛かりとなったと思っています。
相双地区には、福島県立医大災害医療支援講座の発足による医師の確保や、東京大学医科学研究所の上昌広教授、地元、立谷秀清相馬市長の多大なご努力によ り、全国から相当数の医師が集まってきております。相双地区という日本でも唯一の特殊な事情を抱えた地域で、日本中の英知を集結して福島問題に取り組むこ とは、福島県の皆様の安心へと少しずつつながるはずであり、ここで展開される医療は「福島モデル」「相馬モデル」として、万が一、世界のどこかで同じよう な災害が起きた時、「医療チームはどうすればよいか」という問題を考える上で貴重な参考になる、と固く信じます。
福井県の原発の再稼働に関して、「3.11 の教訓をどのように生かしたのか」という記事を最近、目にしました。しかし医療面において私たちは、常に3.11の教訓を今後の医療へ生かすことを考えて います。3.11は大変に不幸な出来事でした。しかし、「その不幸を上回るだけの幸福が福島県に訪れたときこそ、復興を成し遂げたと言える」と私は思って います。
さらに、相双地区は、日本の他地域に比べ、20-30 年も高齢化が進んでいるとされています。従ってこの地域で必要とされる医療体制、すなわち総合医療と病院間連携を構築することで、全国に訪れる高齢化社会 に対応しうる医師の育成への具体的な提言を、実践的に示すことができるかもしれません。いわば、相双地区での医療は時代を先取りしたもので、若手医師が私 たちの考えに関心を抱いてくれることを願ってやみません。
私は京都生まれ、京都育ちです。歴史をひも解けば、幕末、徳川の血統を引く会津藩の松平容保は、治安の乱れた京都へ京都守護として来られ、都を守ってくださいました。そう考えると、この私が今、福島の地を踏みますことを、とても感慨深く思います。
小柴貴明 (こしば たかあき)氏のプロフィール
京都市生まれ。ヴィアトール学園洛星高校卒。1992年京都大学医学部卒、2003年京都大学大学院医学研究科外科系専攻博士課程修了、02年京都大学医学研究科先端領域融合医学研究機構臓器移植免疫寛容グループ助教授、07年京都大学医学研究科次世代免疫制御を目指す創薬医学融合拠点准教授、12年4月から現職。