オピニオン

垂直磁気記録の研究を顧みて(岩崎俊一 氏 / 東北工業大学 理事長、2010年日本国際賞受賞者)

2010.03.01

岩崎俊一 氏 / 東北工業大学 理事長、2010年日本国際賞受賞者

東北工業大学 理事長、2010年日本国際賞受賞者 岩崎俊一 氏
岩崎俊一 氏

 この度の日本国際賞の受賞は、まだプレス発表段階ですが、垂直磁気記録が示す科学的な寄与、独創性と、その結果の社会における効果を総合して決定されたと伺いました。これは二つの価値観の統合と言えます。国際科学技術財団のそのような理念には、私は以前から強い共感と尊敬の念を抱いておりました。この価値観の統合は、10年以上も前に同じ工学者としての立場から、当時日本学術会議会長の吉川弘之・国際科学技術財団理事長とともに議論し、共鳴し合ったテーマでもあります。

 以上のようなことから、私は今回の国際科学技術財団からの表彰をこの上ない名誉と考えております。

 垂直記録に関しては、自分が発明した技術が、今、年間数億台の規模をもつ工業生産が行われていることで多くの人々の生活を支え、またその製品が極めて多くの人々によって使われていることに研究者冥利(みょうり)といえる喜びを感じています。

 また、この発明が多くの国の人々に職場を与え、かつ工業を活性化して、今の経済危機を克服する上にわずかでも役立っていることは望外の喜びです。

 発明の動機について一言述べておきます。私は50年前、当時としては画期的な性能をもつ水平型記録を行うメタルテープを発明しました。これは録音の歪(ひずみ)をなくす交流バイアス法(1938年永井健三博士の発明)が、当時の常識を超える大振幅磁界のもとで動作しているという新しい解釈に基づくものでした。メタルテープは今も使われていますが、水平方式では高密度化のために磁性層を薄くしなければならないという原理上の制約があり、すでに1970年代半ばには磁気記録技術の本質的課題として早晩解決を迫られると私は考えていました。

 この疑問と模索の結果到達したのが1977年に発明した垂直記録です。これは厚い記録媒体では高密度記録時に垂直磁化が増加していくという新たな事実の発見に基づいたものでした。

 この垂直磁化の発想に至った時、当時並行して行っていた磁気光効果を用いた磁気記録の実験のなかで、僥倖(ぎょうこう)とも言えるコバルト・クロム合金による垂直磁化膜の発見があり、垂直記録の研究はこれに基づいて着実に展開しました。1980年には現在の垂直磁気記録の基本形態である垂直・水平複合膜による2層膜媒体、単磁極ヘッドによる記録・再生方式が確立しています。また、垂直-水平方式間の特性上の相補性(コンプリメンタリティ)についても原理的な理解が進みました。

 従って、垂直記録の原理、記録媒体、磁気ヘッドはすべて私の発想に基づくもので、まさに日本の独創技術と言えることを誇りに思っています。今、アメリカを初め海外でもその製造と応用が広がっているので、1980年代に頻繁に言われた「基礎研究ただ乗り」の批判に対する十分な答えになったと思っています。

 磁気記録は、初期のピアノ線記録(これは長さ方向だけの一次元記録といえます)から、磁気テープ(これは平面内の二次元記録です)を経て垂直磁化を用いる究極の三次元記録に到達したといえます。すなわち、高密度化には最終の形態ですので、今後記録媒体の改善などいろいろあっても、垂直記録という原理は将来も不動でしょう。

 このような経過から、垂直磁気記録という目標は私の研究のなかで自然に発生したもので、私以外には誰も気が付くはずのないテーマでした。そのような意味で当時としては全く独創的な研究のテーマだったと言えます。すなわち、メタルテープの研究は、水平記録の限界を見極めたという意味で、その後の研究のための助走であり、この助走がなければ垂直記録の研究を確信を持ってできなかったと思います。これが、たとえ何年かかろうとも工業として成功するまで研究を続けてきた最大の理由です。もしこれが(国の重点研究テーマのように)他から与えられたテーマだったら、自身の発想でないため責任感が希薄になり、90年代の“死の谷”の時期を乗り越えられなかったと思います。具体化のために細分化された重点課題を設定して与えると、逆に他から与えられたテーマである以上、研究者の責任感は希薄になると思います。

 なお、当時、メタルテープの研究に比べ、垂直記録は大きな研究テーマと予想したので、日本学術振興会に磁気記録第144委員会を作りました。私をリーダーとするこのような研究チームができたのも、メタルテープ以来の研究実績に基づくものだったと思っています。

 以上の研究体験を通じて、独創的な研究を計画しそれを成功させるためには、

  • 先見性を持って構想を練ること。
    先見性は独自の実験事実と革新技術に対する歴史観から生まれます。
  • 勇気を持って第一歩を踏み出すこと。
    世の中で全く初めてのことを行うには真の勇気がいります。
  • それが人々の役に立つものになるまで研究を続けること。
    このためには多くの人々の協力や新たな組織が必要になりますが、それを用意するのも研究のうちです。

 と私は考えています。これを完璧(かんぺき)に行ったのが、垂直磁気記録の研究ですが、最後の局面ではディジタル化という時代の流れが助けてくれたと私は思っています。これを多くの人がそれを必要とするに至ったということで、「時代が追いつく」と表現する人もいます。正しく、かつ、確かなことを行っていれば、必ず社会が追いついてくるものだと思います。この場合、研究テーマの選定は特に重要です。

 最後に、技術が文明にまでかかわることを述べたいと思います。現在、磁気ハードディスク装置(HDD)は、数百エクサバイト(10の20乗バイト)もの膨大な情報が流通する高度情報化社会を支えています。その産業規模も2010年には年産6億台を超すと予想されています。これは同時に、この膨大な情報を後世に伝える「ロゼッタストーン」の役割を果たすことになるでしょう。脳情報や自分の全歴史が数万円で買えるHDDに記録できる時代になりました。個人の知識すなわち価値が、飛躍的に増していく新時代が開けつつあると感じています。それは「IT文明」の形成ともいえるでしょう。

東北工業大学 理事長、2010年日本国際賞受賞者 岩崎俊一 氏
岩崎俊一 氏
(いわさき しゅんいち)

岩崎俊一(いわさき しゅんいち) 氏のプロフィール
福島市生まれ。1949年東北大学工学部通信工学科卒、東京通信工業(現ソニー)入社、51年東北大学電気通信研究所助手。同助教授、教授を経て86年同所長。89年東北工業大学学長、2004年から同理事長。東北大学名誉教授、日本学士院会員。1987年文化功労者。2010年日本国際賞受賞。

関連記事

ページトップへ