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死の谷越えの方法論(矢部 彰 氏 / 産業技術総合研究所 理事)

2008.10.06

矢部 彰 氏 / 産業技術総合研究所 理事

産業技術総合研究所 理事 矢部 彰 氏
矢部 彰 氏

 現代社会では、多くの技術が生み出され、産業を起こし、社会を牽引(けんいん)している。産業技術を研究開発している研究者としては、自分が新しい技術を生み出し、それが社会に受け入れられるとともに、社会に変革をもたらし、世界に貢献出来ることを夢見ている。ところが実際の研究開発では、多くの技術シーズが生み出され、論文や特許の形で発表されるが、そのほとんどは、実用化の段階まで到達できず、「死の谷」と言われる段階で、研究開発が行き詰まってしまう。

 この「死の谷」を乗り越えて実用化した研究開発の成功例を分析し、どのようにすれば、実用化まで結びつく研究開発ができるのかを、方法論として体系化しようとする試みを、産総研としては、研究所を挙げて取り組んでおり、その成果の一端をご紹介したい。特に、「死の谷」を越えるプロセスの研究開発に関しては、死の谷越えの方法論に汎用的な手法があり、体系化が可能であると考え、「第2種基礎研究」と名付けて取り組んでいる。そして、国立研究機関である産総研の使命として、一つの産業技術が実用化するまでの研究開発プロセスを構成する、技術シーズを作り上げる「第1種基礎研究」と、「死の谷」を越える「第2種基礎研究」、そして、「製品化研究」の3つのプロセスを総合的に研究開発することに取り組んでおり、この取り組みを「本格研究」の実践ととらえている。

 産業技術の研究開発における実用化の成功例を分析してみると、技術シーズが出来上がって実用化に至るまでの「死の谷」と呼ばれる期間の間に、技術シーズは多くの観点から検討され、補強される。具体的には、製品としての信頼性や耐久性が確立されなくてはならず、ユーザー企業の高い要求仕様を満足するように、基本設計からの見直しが行われる。また、既存技術との差別化を実現するだけの高性能化が要求され、製造コストの低減による経済性の確立も必須である。さらに、具体的な製品としての技術の適用分野が明確にされなければならず、技術の実証試験を成功させることにより社会的な信頼を得ることも重要となる。また、併せて、製品が環境保全の視点から問題がないか、また、製品製造に当たって原料の品質や製造方法の精度が保証されるトレーサビリティーを持てるか、国際的な標準化を実現できる戦略を持っているかなども必要な要件となる。

 この死の谷を越える研究開発のプロセスは、「アナリシス」(解析)の視点での研究開発ではなく、ものを作り上げるという「シンセシス」(統合、構成)という観点での研究開発である。このプロセスでは、技術シーズが他の多くの技術と統合し、実用化に向けて邁進(まいしん)する。例えば、材料精製技術と融合して耐久性を確立したり、計測技術に補強されて信頼性を向上したり、制御技術と統合して新たな機能を発揮するように進化する場合もある。このものを作り上げるシンセシスのプロセスは、研究開発における最重要プロセスの一つであるが、多くの分野の専門家との共同作業であり、膨大な検討と調整の時間を必要とし、かつ、ノウハウが多く論文などで成果を発表しにくいプロセスでもある。

 また、このプロセスは、研究開発資金さえあれば実現できるプロセスではなく、技術シーズが他の技術との統合により、補強され、進化し、実用化に近づいて行く上で越えなければならない難しいステップである。この技術の統合のプロセスを論文の形で記述し、新たな構成学の観点から議論することは、死の谷越えの方法論を体系化する上でも重要であるので、産総研では、“Synthesiology”と名付けた新たな雑誌を創刊・編集し、技術の統合のプロセスの体系化に貢献するべく努めている。

 より多くの技術シーズが実用になるためには、「死の谷」に橋を架け、死の谷を越えるために有効な方法を提示することが重要である。例えば、技術シーズを提示するのではなく、技術シーズを汎用的な技術プラットフォームの形まで体系化して提供し、個別なニーズに対して技術を適用したときのイメージを持ちやすくすることは有効である。また、明確な概念を示す形で技術シーズを提供することも、ニーズ側がイメージしやすいことから有効である。さらに、経済性シミュレーションを早い段階から実施し、研究開発にフィードバックをかけることにより、製造コストの低減を図ることも有効である。

 また、地域の強いヒューマンネットワークを活用し、種々の観点から検討することも重要であろう。このような汎用的な死の谷越えの方法論を見出し、多くの方々と議論しながら共有し、より多くの技術開発に活かされ、多くの新しい技術が世の中に出ることを期待したい。

産業技術総合研究所 理事 矢部 彰 氏
矢部 彰 氏
(やべ あきら)

矢部 彰(やべ あきら)氏のプロフィール
1979年 東京工業大学大学院理工学研究科博士課程機械物理工学専攻修了、通商産業省工業技術院機械技術研究所入所。エネルギー部流体工学研究室長、極限技術部量子技術研究室長、機械量子分子工学特別研究室長、企画室長を経て、2001年独立行政法人産業技術総合研究所マイクロ・ナノ機能広域発現研究センター長。同中国センター所長、循環バイオマス研究ラボ長、産学官連携推進部門長を歴任し、08年から現職。工学博士。この間1998年から、筑波大学大学院システム情報工学研究科教授(連携大学院)、東京理科大学客員教授(理工学部)、金沢工業大学客員教授、東京工業大学連携教授、米カリフォルニア大学バークレー校Springer Professorも併任。

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