国の政策は科学的裏付けに基づいて決定され、評価されるべきだが、そのデータや解析が不十分であれば誤ることになる。今回、深刻な被害を生むこともある子どもの「虐待」や「非行」をテーマに、望ましい政策立案の在り方について、東京科学大学生命理工学院教授の黒田公美さんに聞いた。また、青少年に関わるさいたま少年鑑別所(さいたま市)を訪ね、「政策」が実際に生かされている現場を体感した。
平均値では測れない虐待リスク 個別に把握
―子どもの虐待について科学的に研究してきた結果、どのようなことがわかりましたか。
虐待の原因は、「貧困」「子だくさん」「養育者が被虐待者」「低学歴」「薬物等への依存」などが挙げられてきました。しかし、この要素のどれがどの程度重要で、どのような相互関係があるのでしょうか。そこを数値的に明らかにしないと、「虐待を防ぐ」という目標に対し、エビデンスではなく、肌感覚や経験則で政策が決まってしまう危うさをはらんでいます。
これを調べるには、厚生労働省、法務省が発行する白書や報告書にある集計を見るだけでは不十分で、個々の子ども虐待の事例から広範な情報を取得する必要がありました。
そこで、子どもへの虐待加害により有罪判決を受け、受刑している養育者に直接お願いし、38人に400問以上の質問に答えていただきました。この研究の結果、孤立子育て、低い最終学歴、複雑な家族構成、幼少期に受けた虐待の程度などが、子どもへの虐待に至るリスクとして重要であることが確認されました。
このように述べてくると、虐待を受けた人は必ず虐待を繰り返してしまうように聞こえるかもしれませんが、それは間違い。これまでに行われた調査では、虐待を受けた人は受けなかった人に比べ、自分の子を虐待する率の上昇度はわずかです。多く見積もっても、虐待を受けた人の過半数は虐待を繰り返しません。
確かに虐待を受けると、平均すれば将来虐待を行う率は若干高くなります。しかし平均値は個人の実態とは異なります。虐待を受けた人の多くは、自分の子には虐待を繰り返すまいとしているのです。このように、データを正確に扱う必要があります。
鑑別入所した少年には「就学支援」政策が有効な可能性
―データを取り扱う中で、他に分かったことはありますか。
少年鑑別所に入所する未成年女子の過半数、男子では30%が虐待を受けているという統計があります。また彼らは知能に問題がなくても、入所しなかった子供に比べ中卒や高校中退が多く、低学歴に陥りやすい。このような「能力に見合わない低学歴」は、その子の問題というよりも、教育を支える家庭の機能が不十分であったために起こったと考えられます。
高卒未満の最終学歴は日本の若年成人では5パーセント未満で、就労の問題や低収入に陥りやすくなります。これらの問題が重なると、犯罪に至りやすくなります。そのため、男女を問わず、鑑別入所した少年たちには「教育支援(就学支援)」という政策が有効な可能性が高いです。矯正施設では就労支援は力を入れていますが、「高卒資格を得る」などの就学支援も効果があるのではないかと期待されます。
一方、虐待をする親の側にも男女差がある要因もあります。男性の重度子ども虐待のリスク要因として、「実父非同居」は女性より大きな影響がありました。母子家庭などが想定されます。しかしこれは母子家庭がいけないということでは決してありません。日本ではひとり親家庭の相対貧困率がOECD(経済協力開発機構)平均と比べかなり高いというデータがあります。ひとり親への支援が不足しているために、子どもの教育を十分支えることができず、将来的に子ども虐待に至るリスクが高まっているという経路が考えられます。
女性では、男性と比べDV(ドメステイックバイオレンス)被害を受けていることが大きなリスク要因となります。また子育てを誰も手伝ってくれない孤立も大きな影響を及ぼしていました。それなら、政策としては「子育てを孤立させない支援」という対人支援の対策をすれば効果が期待できます。
科学は正確な政策へのアシスト
ー科学的な裏付けがあったとしても、それが政策に届くには大変長い道のりです。
それは重要な課題です。そこで子ども虐待の文理融合研究では、家族法や少子化対策に関係する経済学の専門家にも声をかけてグループ研究をしています。私たちは基礎科学なので、政策決定というシュートは決められません。政策立案者や各種審議会のメンバーがシュートを決めることを、科学がよいパスを出すことでサポートしたいと考えています。家族関係で困っている人を自己責任にするのではなく、社会システムが支援することを科学でサポートしたいと思って、これからも研究していきたいです。
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鑑別所 統計に裏打ちされたツール活用し再非行防止
では、具体的に政策が科学的データに裏付けられた例にはどのようなものがあるのだろうか。少年鑑別において統計に基づいた政策が用いられていると聞き、鑑別所を訪ねた。
さいたま少年鑑別所はさいたま市浦和区に位置しており、おおむね12~20歳までの男女が入所している。少年鑑別所とは、少年院に送られるかどうかや保護観察などの家庭裁判所による審判の判断を待つ少年(男女含む)が約4週間入所する施設だ。その間に、職員である法務技官による面接や心理検査、行動観察、医師によって心身の健康確認が行われる。同所の統計では、令和5年度(2023年度)に入所した非行名で一番多いのは男子が傷害、女子が詐欺だった。
所内を案内してもらうと、入所時に衣類を着替える部屋や、運動場、面接室などがあった。「所内ではアクセサリーや化粧で飾ることはできない。素の状態の少年たちはあどけない印象がある」と職員は話す。ここでは、食事は隣のさいたま拘置支所から温かいものを運んでもらう。「1日3食決まったときに食事が出てくることは、例えば、ネグレクト(育児放棄)の家庭で育った少年にとっては大きな安心につながる」と聞き、筆者は「なるほど」と膝を打った。
法務省の少年矯正統計によれば、入所してくる少年の知能指数は平均的な一般の子に比べやや低い傾向にある。学歴も中学卒業や高校中退であることが比較的多く、学習面の困難さから「学校に行きにくい」といった問題も浮き彫りになった。加えて、ひとり親の家庭は約4割にのぼる。内閣府の男女共同参画白書令和6年版(2024年版)によると、子どもがいる家庭のうちひとり親家庭は2割程度とされる。
そのため、同所の職員は、「少年鑑別所に入所する少年と一般的な少年のデータを比べると課題が見えてくると思う。少年の再非行を防止し、健全な育成を期するためにはどういう対応が必要になるのか。それは学習支援なのか、生活指導なのか、家庭環境の調整なのかを考え、非行リスクも考慮した上で、鑑別判定や処遇指針について検討している」という。また、希望する入所者には外部講師による学習支援を行うこともある。
法務省は平成25年(2013年)から再非行の可能性と教育上の必要性を4区分に分けるアセスメントツールを導入した。より精度の高い鑑別を実施することで、家庭裁判所の審判に活用している。
このツールは過去の全国の少年鑑別所入所者を対象にした調査結果と統計的分析に基づき、再非行と密接に関連する要因を特定したもの。諸外国における同種のツールと同じくらいの、高い信頼性・妥当性が確認されている。この客観的なデータを用いて、少年院や保護観察所における再非行防止のための処遇に役立てているという。
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