インタビュー

【特集:ニッポンAIの明日】第1回 生成AIに立ち後れた日本の活路は―スタートアップを生み出す研究者、松尾豊さん

2024.11.13

宇津木聡史 / サイエンスライター

 今、人工知能を意味する「AI」という言葉を聞かない日はない。2022年11月、米オープンAIが生成AI「チャットGPT」を公開して以来、一般の人たちもAIを活用するようになった。しかし、その技術の多くは米国発のもので日本は立ち遅れているのが現状だ。「ニッポンAI」の明日は。AI関連スタートアップを生み出している東京大学の松尾豊教授に聞くと、非常に厳しい戦況下で活路を見いだそうとする現場の様子が浮かび上がった。

松尾豊さん。国の「AI戦略会議」の座長も務める(松尾さん提供)
松尾豊さん。国の「AI戦略会議」の座長も務める(松尾さん提供)

技術と資本を融合しないと勝てない

―生成AIの研究開発において、日本は世界的に見てあまり良くない状況だと思うのですが、その理由は何でしょうか。

 生成AIの研究開発はグローバルに進んでいます。ただ、簡単に言ってしまうと、GAFAMに代表される巨大IT(情報技術)企業が圧倒的に強いです。大規模な計算機やデータを使って新領域を切り開くという開発は、今は完全に巨大IT企業しかできません。日本は、ほぼ太刀打ちできない状況です。これは、当たり前と言えば当たり前の結果なのですね。

 2005年から07年まで米スタンフォード大学で客員研究員をしていました。シリコンバレーにある大学なので周辺にはIT企業がたくさんあって、当時はグーグルやフェイスブック(現メタ)がものすごい勢いで巨大になっていました。グーグルのキャンパスに行く度に、「あのビルもグーグルになったのか」という感じで。

スタンフォード大学時代の松尾さん(松尾さん提供)
スタンフォード大学時代の松尾さん(松尾さん提供)

 周りにいた研究者も所属が大学からグーグルに次々に変わっていきました。グーグルのような企業では、巨大な資本が技術の事業化へ明らかに流れ込んでいて、計算リソースやデータの量が半端じゃないという感じでしたね。やがてウエブの検索やマイニングに関する世界トップレベルの研究はそこでしか行えないという状況になっていきました。

 その様子を目の当たりにしたとき、この分野での競争は技術と資本が融合しないと勝てないと思い知りました。これからは一人の天才が画期的なアイデアでイノベーションを起こして世界を変えるということは、もうない。技術と資本が結び付いて初めて大きなイノベーションを生み出せる時代に変わったのだということを、2006年ごろの時点でまざまざと感じました。

 「兵たん」の重要性と言っても良いと思いますが、リソースを大量に送り込むための補給路が最重要で、そこで勝敗が決まるということです。AIの開発なら、例えば人材やGPU(画像処理装置)、データなどです。だから日本に帰ってきて、大学での教育研究と企業での事業化がスムーズに連携するような、技術と資本が融合するエコシステムを整えようと取り組み始めました。

 でも、理解されないことがすごく多かった。技術と資本が融合することによってイノベーションが起きるという時代になりつつあった20年前、日本はその考え方に全くついていけませんでした。今、AIの技術を先導しているのはGAFAMなどの巨大IT企業、シリコンバレーのベンチャーキャピタルの巨大な投資に支えられるスタートアップなど、大資本に支えられたプレイヤーですが、当時からこうなることは目に見えていたわけです。

弱いなりに合理的な戦い方を一つ一つやるしかない

―厳しい状況にある日本ですが、ご自身の研究室「松尾研」からは今、若い人たちによるスタートアップが次々に誕生していますね。

 客観的に見れば、日本は圧倒的な差で負けています。日本の中で松尾研が多少、善戦しているように見えるとすれば、それは20年前から、技術と資本の融合を意識し続けてきたからだと思います。もちろん日本全体でスタートアップも増えてきて、イノベーションに対する意識も変わり、少しずつ変化してきていると思いますが、全体としては圧倒的に負けています。

 ただ、そうした「圧倒的に負けている」という現実をしっかり認識することから、次の一手が見えてくると思っています。では、どうすれば少しでも戦況が良くなってチャンスが少しでも生まれてくるようになるのか。一つは、技術を作ることができる人を増やすことです。

 かつて、日本の自動車産業は国際的にとても弱かったけれど、それでも日本人は技術者を育てて自分たちで自動車を作り続けました。今は負けているが、未来が少しでも良くなるようにと長期的な視野で教育に投資することは、弱いなりの合理的な戦い方なのです。

 今、松尾研では「グローバル消費インテリジェンス寄付講座(GCI)」などのAIに関する講義をオンラインで開き、今年は年間2万5000人以上の学生(中学生以上)や社会人にAIの基礎を教えています。受講者は毎年2倍ずつ増えています。ここで学んだ学生たちの中にはスタートアップを立ち上げる人たちもいて、これまで26社が出ています。そのうち2社は上場しています。

 松尾研発のスタートアップの一つである「ELYZA(イライザ)」(東京都文京区)は、日本語のLLM(大規模言語モデル)を開発してGPT4(オープンAIの最新版自然言語処理AIモデル)より高い精度を出すなど高い技術力を持っていますが、最近KDDIグループに入り、生成AIの技術開発の中心を担っています。松尾研からのスタートアップは、今後さらに数を増やして、近い将来には年間100社に増やしたいと思っています。

 ただ、何度も言いますが、米国に比べたら規模的に大きく負けていて、戦いにはなっていません。しかし、多くの学生が集まって学び、優秀な人材が育って最前線で活躍するような補給路を作ることで、成果が多少出るようになってきました。全体が指数的に大きくなるように設計していますので、今後、さらにインパクトは大きくなるはずです。

松尾さんの研究室からはAI関連のベンチャー企業がいくつも誕生している。画像は「松尾研発スタートアップ(R)」の一覧(松尾さん提供)
松尾さんの研究室からはAI関連のベンチャー企業がいくつも誕生している。画像は「松尾研発スタートアップ(R)」の一覧(松尾さん提供)

■松尾研発スタートアップ(R)「ELYZA」
日本語LLMに焦点を当てた研究開発を行う。「ELYZA LLM for JP」は米・メタが開発したAIモデル「Llama」を土台に日本語の追加事前学習と指示学習を施した。グローバルモデル以外の新たな選択肢の提供を掲げ今後は海外のオープンモデルの日本語化や独自LLMの開発、企業向けサービスの展開などを見込む。

現状を歪めずに正しく認識することから始まる

―今の日本にとって何が一番大事なのでしょうか。

 まず現状認識ですね。多くの場合、人は自分の見たいように現状や世界を歪めてしまいます。「敵を知り己を知れば百戦殆からず」という言葉がありますが、いつも意識している言葉です。正しく状況を認識すれば、自ずと勝機が出てくると思っています。

 では、これから日本がAIでどうやって世界で勝つのか。正直、とても難しい。よく「勝ち筋はなんですか」と気軽に聞かれるのですが、そんなものはありません。

サイエンスポータルの取材に応じる松尾さん
サイエンスポータルの取材に応じる松尾さん

 大事なのは、状況を正確に認識し、冷静に分析し、弱いながらもできることを考え、実行していく。そして、ただただ合理的な正しい手を一つ一つ打っていく。

 新しい技術にできるだけ早くキャッチアップする、グローバルな動向を把握し良い取り組みがあれば真似をする、若い人の能力を最大限発揮させる場を整える、事業化のために資本が流れ込む仕組みを作るとともに長期の研究を大事にする、そんな当たり前のことを地道にやっていくだけです。

 それから若い人へのメッセージですが、科学技術には力がありますし、若者には力があります。しかし、日本中で歪めた現実を見てしまっているから、優秀な日本の若者も現実が見えなくなっていると思います。国が駄目でも組織は成長できます。また、国や組織が駄目でも個人は成長できます。主語をどのように置くか。国や組織に置いてはいけません。主語を自分に置いて、その上で活躍をして欲しい。

生成AIに対する国の動きは速い

―松尾さんは、国の「AI戦略会議」の座長を務めていらっしゃいますね。

 はい。そこでも日本がデジタルの分野において負け戦になっているということはきちんと伝えています。その上で、弱い者なりに取るべき手、打つべき手を地道に打つしかありませんが、これまでのところしっかり最善手を打てていると思います。

 日本が生成AIの開発をしたいと思うのであれば、例えばGPUをきちんと確保しなくてはなりません。各国がGPUを争って買うような状況で、もうそれは熾烈な競争になっています。しかし、きちんと国が努力を続けることで、日本のGPUのリソースは、この2年で相当に増やすことができました。

■AI戦略会議で示された「可能性」
2024年5月22日に開かれた内閣府の第9回AI戦略会議で座長の松尾さんから「生成AIの産業における可能性」として、日本が取るべき合理的な方策についての考えが示された。その中でGPUの増強、リスクへの対応、グローバルな議論のリーダーシップ、AI戦略会議での議論などを指摘。また、オープンAIなど海外の巨大IT企業・スタートアップが日本に拠点を置きはじめるなど日本の存在感が増していることに加え、国内企業のデジタルトランスフォーメーション(DX)化の遅れが逆にAI活用の伸びしろにもつながると示唆した。



松尾さんがAI戦略会議で提唱した日本のAI戦略の可能性(松尾さん提供)

 あるいは、既存のAIを使って日本の企業や役所の業務を効率化したり、新しい事業などにつなげていったりすることにも積極的に取り組むべきですが、そうした試みも増えています。また、AIについては国際的にもさまざまな懸念が持たれており、リスクに対応するフレームワークが必要です。

 これについては、昨年の先進7カ国首脳会議(G7)においてAIの活用と規制に関する「広島AIプロセス」で日本が議論をリードしたことは大変大きな成果でしたし、「AIセーフティ・インスティテュート」という組織が、情報処理推進機構の下に今年2月に立ち上がりました。

2024年8月2日に開かれた第11回AI戦略会議の様子。一番左が松尾さん(首相官邸提供)
2024年8月2日に開かれた第11回AI戦略会議の様子。一番左が松尾さん(首相官邸提供)

 珍しいことかもしれませんが、AIに対する今の国の意思決定はかなり速く、とても良い形で物事が進んでいます。状況は多少良くなっているとも思います。弱いなりにまともな手を着実に打っていくと、少しずつ戦況が良くなり、取れる選択肢が増え始めます。

 ただ、大枠で負けているという状況は変わらないでしょう。努力を継続していく必要があります。繰り返しますが、すべては現状をきちんと認識することから始まるのです。

■広島AIプロセス
2023年5月開催のG7広島サミットで生成AIの議論のために立ち上げられた枠組み。安心で信頼できる高度なAIシステムの普及を目的とした指針と行動規範からなる初の国際的政策枠組みで、同12月には「広島AIプロセス包括的政策枠組み」がG7首脳に承認された。

■AIセーフティ・インスティテュート(AISI)
2023年12月21日のAI戦略会議で岸田首相(当時)が設立を表明し、24年2月14日に発足。日本におけるAI安全性の中心的機関として、情報処理推進機構(IPA)の中に設置された。関係省庁・機関協力のもと、AIの安全性確保に取り組む海外機関とも連携しながら、安全性に関する評価手法や基準を検討している。

「特集:ニッポンAIの明日」では、生成AIをめぐる日本の現在地と将来展望について、有識者からの提言を掲載します。

松尾 豊(まつお・ゆたか)

東京大学大学院工学系研究科 人工物工学研究センター/技術経営戦略学専攻 教授

1997年 東京大学工学部電子情報工学科卒業。2002年 同大学院博士課程修了。博士(工学)。産業技術総合研究所研究員、スタンフォード大学客員研究員を経て、2007年より、東京大学大学院工学系研究科准教授。2019年より、教授。専門分野は、人工知能、深層学習、ウェブマイニング。人工知能学会からは論文賞(2002年)、創立20周年記念事業賞(2006年)、現場イノベーション賞(2011年)、功労賞(2013年)の各賞を受賞。2020-2022年、人工知能学会、情報処理学会理事。2017年より日本ディープラーニング協会理事長。2019年よりソフトバンクグループ社外取締役。2021年より新しい資本主義実現会議 有識者構成員。2023年よりAI戦略会議座長。

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