細胞内で特定のたんぱく質を作るための指令を出すメッセンジャーRNA(mRNA)を使ったワクチンは、新型コロナウイルス感染症のパンデミックに対応して瞬く間に開発され、世界中で利用されている。mRNAワクチン開発で中心的な役割を担った人物の一人、米モデルナ社のメリッサ・ムーアCSO(最高科学責任者)が「サイエンスアゴラ2022(科学技術振興機構主催)」に参加した昨年11月の来日時、サイエンスポータルのインタビューに応じ、同ワクチンの今後を展望した。
副反応はいずれ軽くなる
―日本では新型コロナウイルス感染症のワクチン接種率が高く、安全性に対する信頼性も高いですが、新しい技術に抵抗を感じる人も依然います。改めてmRNAワクチンについて、簡単に説明していただけますか。
「mRNA」という名前が頭についていることで、奇妙なものと感じる方がいるかもしれませんが、mRNAは生命体にとって不可欠なもので、人体にも、他の生物の体内にもたくさん存在しています。体にとって異物ではありません。mRNAがワクチンとして体に入った場合、mRNAは「どういうたんぱく質を作ったら良いかを知らせ、それを作る指令を出すことができる」ということになります。
mRNAは、体内で一時的にしか存在できません。特定のたんぱく質の生産を指示し、役目を果たした後は細胞内で消化されてしまいます。恒久的に存在することができないため、DNAなどに干渉したり、長期的に体内に滞在することで悪影響をもたらしたりするということができないのです。
今回のワクチン開発で私たちにとって新しい部分は、mRNAを体外で作る方法を確立できたこと、そしてそれをどうやって体内に挿入すれば良いかを発案できたことだと思います。この技術を使うことで、人の体中に特定のたんぱく質を作って、疾患の予防や治療が実現できるようになりました。
―新型コロナウイルス感染症のmRNAワクチンは、その副反応のつらさや頻度の高さが指摘されています。今後の研究開発で、こうした副反応を小さくすることはできるのでしょうか。
私たちは現在、副反応のモニタリングシステムを設定して継続調査しています。モニタリング結果から、私たちはmRNAワクチンの副反応のリスクが他のワクチンと比べて突出しているものではないとみています。副反応の有害事象の数自体から心配される方々の声も聞きますが、実際は限局的だと私たちは捉えています。
副反応を小さくする技術についても、現在社内で研究開発を進めているところです。ワクチン開発や送達方法などに関して、さまざまな取り組みをしています。例えば接種後の腕の痛みや頭痛に関しては、将来的に軽減されたワクチンが提供できるようになると思います。
インフルのような定期接種へ
―モデルナ社では新型コロナウイルスの変異に対応するワクチンが開発され、BA.1対応ワクチンは承認済み、BA.5対応も2022年10月に承認されました。こうした中、「私たちはワクチンをいつまで打ち続けるのか」という声もあります。今後、ワクチンやこの感染症はどうなっていくと考えていますか。
新型コロナウイルス感染症は現在、パンデミック(世界的な流行)から、エンデミック(流行が特定の地域で日常的に繰り返されること)のフェーズに移行している段階だと考えています。今のところ、このウイルス(SARS-CoV-2)が消失することは考えられず、長期的に私たちと存在を共にしていくと予想されます。今後も現在のように、感染者が増えたり減ったりということが続いていくとみられます。
こうした状況は、季節性インフルエンザに似ています。そのため、インフルエンザの感染拡大を毎年のワクチン接種で抑えるのと同様に、新型コロナウイルス感染症についても定期的な予防接種を続けていくことになると考えています。また、インフルエンザウイルス同様、新型コロナウイルスも毎年変異を続けるとみられますので、ワクチンのアップデートを継続していくことになると予想しています。
毎年の接種となる可能性があることから、新型コロナウイルスと季節性インフルエンザに対するワクチンを混合型で生成する開発計画もあります。季節性インフルエンザで確認されているように、多くの方々がワクチン接種によって重症化を防げると考えています。
好奇心が導く基礎研究
―今回脚光を浴びたmRNAワクチンの技術においても実用化される前に基礎的なフェーズがあったかと思いますが、これまでどのようなモチベーションで研究してこられましたか。
mRNAの発見は1961年で、今から約60年前になります。mRNAの研究はこの60年間のほとんどを基礎研究という形で、主に政府からの助成金で研究されてきたと思います。(こういった技術を応用していくには)まず、システムがどう機能しているかを理解する必要があります。理解なくしてエンジニアリングはできませんし、機能全体を理解していないと問題が起きたときに対処できません。
私のキャリアの大半は基礎研究に従事していて、研究機関の教授として研究グループを主導したり、指導したりしていました。その間は、好奇心に基づいてさまざまなことを解明する基礎的な研究をしていて、例えばmRNAがどのようにたんぱく質を産生しているのか、細胞によってどのように分配されるのか、などの研究に取り組んでいました。そうした基礎研究を多くの研究者たちと共に積み上げていったことでmRNAの解明が進み、応用できる段階になったのですが、それはここ3年ほどの話だと思っています。現在はmRNA理解が十分に進んで、応用の可能性が大きく広がっている段階だと思います。
研究開発に政府や民間が大規模な投資を継続していくことは大事なことである、と私は考えています。特に好奇心に導かれているような基礎研究は、いろいろなところで追求され続けなければならないと思います。そうした知識を積み上げていくことで、生物学的なシステムが解明されていき、その活用が新薬開発などにつながっていきます。
自分の情熱を追求してほしい
―これから研究者などを目指す科学技術人材に期待すること、ご自身の学生時代の話なども交えて教えてください。
研究者を目指す若い方々には、私たちが今日の時点で不可能だと思っていることを実現していってほしいです。私が学生だった30年前は、私自身がmRNAを応用して何か治療に生かすというようなことは不可能だと思っていましたし、今の私の仕事は全く予想できていませんでした。
若い学生の皆様には、自分の情熱を追求してほしい、ということを伝えたいです。そして、好奇心を持てることを見つけたら努力を惜しまず取り組み、幅広く学びながら研究に従事してほしいです。研究の過程では、ときに自分がどこに向かっているのか分からなくなることもあります。でも、その中で自分の可能性に対して常にオープンな状態でいることが重要だと思います。
研究者になることの素晴らしさは、自分が新しい知識を作っていけることだと思っています。研究者として課題と対峙していると「だれも知らなかったけれど、ずっと存在していた事実」を発見する機会に遭遇します。もちろん、研究者として発見する事実というのは大小さまざまです。しかし、どんな些細なことであっても、新しい発見というのは「今までの歴史の中でずっと存在していたのに、その人だけが事実について突き止めて認識した」瞬間なのです。
治療法がない病気にも対応
―今後mRNAワクチンを生んだ技術は、医療・医学分野でどのように生かせると思いますか。その可能性を、可能ならば実現の時期的見通しとともにお聞かせください。
現在は、mRNAを使った治療薬の開発を進めています。例えば、食物を消化するために必要な酵素が作れないという小児の先天性の疾患があります。この患者の方々はこれまで、何の治療法の選択肢もありませんでした。この方々に対して、必要なたんぱく質を体内に生成するための指令を出すmRNAを投与することで、症状が改善に至るということが予想されています。
こういった明確なアンメット・メディカル・ニーズ(まだ有効な治療法がない病気に対する医療ニーズ)にも対応できることは、我々が進めている「橋渡し研究」(基礎研究などの成果を活用するための橋渡しをする研究)の結果であると考えています。
ワクチン技術の開放で世界に貢献
―モデルナ社は世界のコロナワクチン市場で大きな社会貢献を果たし、同時に企業として多くの利益も出しました。今後の国際社会でどのように社会貢献していきますか。
1つは製造拠点の展開です。現在私たちは、世界中のいろいろな国・地域で製造工場を立ち上げています。その理由は、mRNA技術を使ったワクチンや医薬品をそれぞれの地域で生産することで、地域のニーズに迅速に対応できるようになると考えているからです。地域の感染症への対応が早くなるほか、一部の国や地域でだけ必要になったワクチンや医薬品への個別対応などが可能になると思います。
世界では、250種を超えるウイルスが存在するといわれています。現在、人類がワクチンを持っているのは25種だと思いますので、私たちはもっといろいろな種類を作っていかなければなりません。もちろんモデルナ社の一社だけが全ての研究をして、すべてのワクチンを開発するということは不可能です。
そこでもう1つとして、私たちは「mRNA Access」というパートナーシッププログラムを発案しました。このプログラムの重要な点は、基礎研究から臨床研究までさまざまな場にいる研究者に対して、私たちがmRNAワクチンで応用している技術などを開放して、必要なワクチンなどに関して設計を試みてもらえるというものです。
このmRNAの提供に際し、特別な条件を紐付けしません。研究者は、(成果の)知的財産をモデルナと共有せずに研究開発を進めることができるのです。ワクチンに最適なデザインを設計した研究者が、信頼できるパートナーとして私たちのところに戻ってきて、一緒に開発を進めること、それが私たちの期待する姿です。
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