インタビュー

「あの時」から10年-「震災伝承」を広め、未来へ活動を続ける大切さを説くー武田真一氏

2021.03.12

内城喜貴 / サイエンスポータル編集部

 東日本大震災は戦後起きた自然災害で最大の犠牲者を出してしまった。1万6000人近くが亡くなり、行方不明者は2500人を超える。「あの時」から10年。沿岸部の被災地には新たな防潮堤が、高台には災害公営住宅が建った。その一方で、時間が止まったまま、いまだに帰りを待ちわびる家族がいる。犠牲になった人の数の何倍も何十倍も悲しい物語がある。

 多くの被災者は「10年」は節目でも何でもないと言う。そして忘れられない、忘れてはいけない記憶を伝え続けてほしいと言う。大震災当時、仙台市に本社を置く新聞社、河北新報社で震災報道の陣頭指揮を執り、今は宮城教育大学の特任教授として、同時に「3.11メモリアルネットワーク」の共同代表として、「震災伝承」活動の大切さを説く武田真一さんに聞いた。

インタビューに「復興は教訓を未来に伝え継ぐことだ」などと語る武田真一氏(3月8日、東京都内で)
インタビューに「復興は教訓を未来に伝え継ぐことだ」などと語る武田真一氏(3月8日、東京都内で)

防災報道、「役に立たなかった」を反省

―どのような経緯で「震災伝承」の活動に携わるようになったのですか。

 10年前は河北新報社の報道部長として大震災を伝えることに必死だったのですが、私の新聞社の発行地域で多くの人が命を落としたことに衝撃を受けました。それまで宮城県沖地震が「30年内に99%の確率で起きる」と言われていましたから、防災報道もしていました。しかしあまりに多くの犠牲者の数に愕然(がくぜん)としました。

 大震災の半年後に被災した購読者を対象にアンケートを実施し、「震災前の防災報道は避難に役に立ちましたか」と尋ねたところ、実に4分の3の人は「役に立たなかった」という答えでした。メディアとして何か震災前にできることはなかったのか、救える命はあったのではないかという自身への問いかけ、後悔、反省がありました。

 新聞社内で別な取り組みが必要だと思い、翌年の2012年から記者が被災地の地域に入って被災者に必要な対策などを聞き、語り合う試みを始めました。16年には社内に専門の部署「防災・教育室」もできました。新聞社でそうした取り組みをした後、2年前に退職し、大学教員として教員を目指す学生と震災を考える場に入りました。

 大学では、大震災に関連したゼミや全国の教職員を対象にした被災地視察研修などを担当しています。また、被災地に立って被災体験や教訓を語り続ける語り部と伝承団体とを連携させる「3.11メモリアルネットワーク」のお世話をしながら持続的な伝承活動の仕組みづくりに取り組んでいます。

「草の根」でつながって持続的に

―「3.11メモリアルネットワーク」はどのようなことをしている組織ですか。

 伝承活動をしている団体や語り部が「草の根」でつながって持続的に活動していくことを目的とする組織で、私が共同代表をしています。2017年の暮れに石巻市で伝承活動していた人たちが中心になってできました。現在では被災各県の組織・団体が約70、個人として約500人が参加しています。原発事故被災の福島県の活動も含めて連携して伝承活動を続けていこうというものです。

 この活動は、災害で命が失われないような社会、被災地、被災者が苦難を軽減して再生に向かえる社会、そうした社会づくりに「伝承」を通じて貢献することが目的です。被災者の辛い体験、それは数えきれませんが、その一つ一つが具体的な、貴重な教訓になるのです。私たちはもっとそうした体験を聞くべきだと思います。

 たくさんの教訓を広く伝えるために、次世代を軸にした語り部の人材育成、共同イベントの企画、伝承のための研修プログラムの作成などにも取り組んでいます。年間1000万円程度の基金を確保し、活動助成もしています。

 私たちの組織のほかに、国土交通省東北整備局が中心になって2019年秋に「伝承ネットワーク協議会」という組織ができました。青森県を含めて東北4県の担当部局、自治体の長や研究者も参加し、伝承を推進するための体制づくりが始まりました。具体的には伝承施設、遺構を登録し、道路管理者の立場からネットワークを形成する動きです。実働組織として「3.11伝承ロード推進機構」もできています。

2017年秋、大きな犠牲者を出した宮城県名取市閖上地区の日和山から沿岸部を臨む。その時点でがれきは撤去されていたがその後、復興作業が進み、現在は高台には災害公営住宅が建ち、沿岸部には水産加工団地や閖上港朝市の施設などが再建された(2017年9月1日撮影)
2017年秋、大きな犠牲者を出した宮城県名取市閖上地区の日和山から沿岸部を臨む。その時点でがれきは撤去されていたがその後、復興作業が進み、現在は高台には災害公営住宅が建ち、沿岸部には水産加工団地や閖上港朝市の施設などが再建された(2017年9月1日撮影)

資金と人材確保が大きな課題

―「3.11メモリアルネットワーク」の課題は何ですか。

 震災復興の枠組みと方向を決めた政府の東日本大震災復興構想会議が掲げた7原則がありました。その「原則1」は「大震災の記録を永遠に残し、広く学術関係者により科学的に分析し、その教訓を次世代に伝承し、国内外に発信する」となっていました。ここでは伝承重視、伝承こそが復興の起点であるとしています。しかし、被災地の伝承活動を支える動きは停滞していて、基盤はとても弱いです。伝承と言ってもその範囲はぼんやりしていて所管官庁が明確でないということもあります。

 支える仕組みを皆で考えていかなくてはならないのが現状です。資金的に活動基盤が弱く継続に不安を抱えています。復興予算による伝承施設の整備には資金が出ましたが、維持費は地元負担です。料金をもらっているところでも赤字のところが多く、資金の確保は今後の運営継続上の大きな課題です。個人や企業からの寄付を基に運営しているものの、この先どうなるか不安です。会員を増やしたいと思っていますが、安定的な運営のために是非公的支援を求めたいと思います。

 それぞれの伝承施設、活動の連携をどう進めているかも課題です。伝承する人も自分の仕事を抱えながらボランティアで動いています。自己資金と各種の助成金をよりどころに活動しているのが現状です。高齢化や若者の流出もあって将来にわたる人材の確保も大きな課題です。

日本記者クラブ(東京都港区内幸町)で記者会見する武田真一氏(3月8日)
日本記者クラブ(東京都港区内幸町)で記者会見する武田真一氏(3月8日)

体験しなかった人も担い手にしたい

―コロナ禍の影響はありますか。

 私たちの調査によると、昨年の前半に震災視察訪問をした人は前年比で95%減。昨秋には少し盛り返しましたが、年明けには首都圏などに緊急事態宣言が再び出てキャンセルが相次ぎました。震災学習プログラムを持つ22団体では昨年1年間のキャンセルが4万人に及び、伝承施設の訪問者は3分の2になってしまいました。

―大学の教員として日常的に学生と接していますね。若い人の伝承に対するモチベーションは高いですか、低いですか。

 私の知る限り多くの若い人は高いと思います。私の大学では教員を目指している学生や被災県の出身者が多いので、10年前に起きたことを見つめ直してきちんと伝える役割を担いたいという学生は多いです。でも全体を見ると東北地方でも日本海側や内陸の出身の学生が多く、被災地に一度も行ったことがないという学生もいます。8、9割はそういう学生です。

 彼らは「家族を亡くした学生もいるのに『3.11に向き合いたい』」などと言うのはおこがましいと思ってきた」「被災地に負い目もあった。それでもずっと気になっていた」と言います。自宅が揺れて停電した程度の経験であってもそうした経験をした学生は明確にその記憶を覚えています。

 ゼミでは「自分は伝承する立場にないという意識を変えていかなければいけないね」という話をしています。「たいへんな体験を語ることはできなくても、体験した人の語りに触れてそれを語り継ぐ人にはなれる。教員はそれをしていくのが務めだろう」。そんな話もしています。

 体験をした人だけに頼っていったら活動は衰退していきます。体験した人は自分自身の体験だけで終わってしまう。体験しなかった人がいろいろな体験に触れながら、それを整理していくことで、きちんと伝承する人になれると思います。そういう人から伝承を受け継いで担い手になっていくという意識を全国の人に持ってもらいたいと思います。10年前は「それぞれの3.11」がありましたから。

真の「復興」はまだこれから

―大震災の「あの時」から長く復興を見てきた1人として現在の状況をどのように見ていますか。

 ひと言で「復興」と言ってもどうとらえるかは難しいです。復興を行政、政治用語として「復興事業」ととらえれば予定、計画したことはその通りになりました。例えば、三陸自動車道は「復興道路」として10年以内にやると言った通り、大雨被害を受けた一部を除きほぼ全通。基本的に計画されたものは実行されているので行政、政治用語としての復興は予定通り進みました。

 しかし、復興を「被災した人たちが地域を作り直して自分たちも再生に向かう」という意味でとらえると、復興はまだまだと言わざるを得ません。私は復興とは、あの出来事を皆できちんと振り返って語り合い、そこから得られたものを教訓としてしっかり未来に伝え継ぐことだと思っています。このように復興を伝承ととらえると、10年で終わるはずはない。これからが最も大切な局面になると思います。

 阪神淡路大震災から今年の1月で26年が経ちました。今年もメディアが報道したのはまだまだ伝えきれないことがあるからです。東日本大震災については、個人の辛い体験を乗り越えて10年の時を経て今ようやく口を開いた人、とてつもない苦難を少し整理できて話し始めた人もいます。そう考えると復興はまだまだで、だからこそ伝承が大切なのです。

伝承と教訓の発信が最大の防災

―メディアの出身者としてメディアに、また最後に広く訴えたいことは何ですか。

 大震災10年ということで大きく被災地報道をしてくれていますが、伝承を継承する重要性にももっと目を向けていただければと思います。メディアは伝承に重要な役割を果たします。記憶や教訓を伝え継ぐ活動そのものがメディアのリソースです。10年を過ぎて震災報道が急に下火になることを懸念しています。

 南海トラフ巨大地震への備えが叫ばれ、「防災」の名が付く予算がかなり使われていますが、直近の大災害である東日本大震災の伝承と教訓の発信こそが最大の防災になるのではないかと思います。

武田真一氏

1959年、宮城県栗原市生まれ。東北大学文学部卒。河北新報社入社、東日本大震災時は同社報道部長として大震災取材の陣頭指揮。編集局次長などを経て新設の「防災・教育室」室長。2019年、同社退職後、宮城教育大学に新設された「311いのちを守る教育研修機構」の特任教授就任。震災伝承連携組織の「3.11メモリアルネットワーク」共同代表も務める。

関連記事

ページトップへ