インタビュー

第1回「大震災で露呈した医療課題」(田邉一成 氏 / 東京女子医科大学 教授、同病院 副院長)

2013.03.25

田邉一成 氏 / 東京女子医科大学 教授、同病院 副院長

「大きく変わる医療の姿」

田邉一成 氏(東京女子医科大学 教授、同病院 副院長)
田邉一成 氏(東京女子医科大学 教授、同病院 副院長)

国民皆保険や国民一人当たりの医療費の安さなど日本の医療の実態には優れた面が少なくない。一方、基礎研究成果を医薬品や医療機器といった実用につなげることに関しては欧米の主要国に明らかに見劣りする。IT(情報技術)やロボット技術の急速な進歩で医療の形が急速に変化すると予測する東京女子医科大学 教授、同病院 副院長 田邉一成 氏に、医療の近未来像と対応を迫られている課題について聞いた。

―先生は、東日本大震災でいち早く現地で支援活動を始め、現在も福島県いわき市の病院にスタッフを交代で送り込むなど継続的な支援を続けていると伺いましたが。

地震発生時、私は東京にいました。東京女子医科大学病院は、電気や水道は止まらなかったのですが、多数の外来患者さんが帰宅できなくなったり、余震が続いていたりで大変でした。多数の患者さんが入院しており余震も頻繁に起こっていましたので5日間くらい病院に泊まっていました。東京女子医科大学泌尿器科では大学病院以外の教育基幹病院と綿密な連携をとりながら研修を行っています。もちろん泌尿器、腎不全専門医の数が少ない地域では専門医療にも大きな貢献ができるわけで、福島県いわき市にある常盤病院がその一つでした。

常磐病院では、通常でも透析患者が300人ほどいて、透析に関しては地域の基幹病院となっています。地震直後からいわき市のライフラインは大変な状況に陥っていたのですが、さらに福島第一原発の爆発からさまざまな生活物資の供給が途絶えてガソリンも食べ物もない悲惨な状態が続きました。大震災発生の1週間後、3連休を利用して毎日、車で食料とガソリンなどを運びました。とにかく常磐病院には多数の透析患者さんがいて患者さんの食料は言うに及ばず、治療している病院職員の食料もなくなり毎日おにぎりだけという日が続いていたのです。

常磐病院は、さらに原発周辺から移送されてきた透析患者さんも多数受け入れたため、最大時には400人を超える透析患者さんを治療するという大変な事態になりました。その後、ご存じの方も多いとは思いますが、ついに透析に必要な機材の供給が途絶えてしまい、やむなく透析患者さんを新潟、東京、千葉などの施設に緊急移送いたしました。この時、患者さんの移送に要する移動手段(バスなどの手配)が見つからず、一時は患者さんが透析を受けられなくなるのではないかと非常に心配したものです。何とか、ぎりぎりの最終段階でバスの手配ができ移送することができましたが…。その後も5日、7日と透析を受けていないという患者さんが来院され、混乱を極めました。

現在もいわき市では慢性的な医師不足から医療事情は決して楽観できる状況ではなく、私たちも少しでも被災地での医療に貢献できればと考えて常勤の若い医局員を新たに派遣するなどして支援しております。常盤病院は、他の病院から引き受けた患者も含め、現在でも300人を超える透析患者さんを治療していますが、女子医科大学泌尿器科からは平日は日帰り、週末は現地泊で常に1-2人の医師を派遣しています。

常磐病院への人員派遣にあたり原発に近いこともあり派遣に協力しない(できない)医局員もあるかもしれないと思い、医局員に支援について意見を聞いたところ、医局員は積極的に支援を希望してくれました。医局の負担はもちろんありますが、被災地での医療に従事することは医局員にとってもいろいろな意味で非常に意味のあることと考えています。

―東京で大地震が起きたときの対応はもっと大変なことになりそうですね。

やはり東京は日本国の政治、経済の中心で人口が集中していますから当然ですが、大変なことになることは容易に想像できます。

全国の大学医学部、医科大学のうち約4分の1が首都圏に集中しており、医療人材も首都圏に集中しています。これが地震で機能できなくなったら日本国の医療全体に対する影響は甚大です。今回の東日本大震災でも患者さんの移送には、常磐病院の例でも分かるように大変な困難がありました。人口密集地帯の東京で震災が起こり、短時間に大量の患者さんを移送することは困難を極めるものと考えられます。

このような意味からも、なんとか都心の病院が震災に持ちこたえて、医療が途切れることなく行えるようにすることは必須ともいえるかもしれません。

個人的には大震災時の状況は、戦場と同じと考えています。常磐病院で経験したように地震による直接的被害がなくてもほとんどの物資、食料の供給が途絶してしまうと、そこで入院している患者さんは治療を受けられなくなったり食料が不足したりして大変なことになります。職員も例外ではなく物資の補給が途絶えれば、多数の受傷者の治療に忙殺される職員も活動が制約されることは容易に想像されます。食料も含めて職員の作業環境が十分保障されなければ職員が十分に救援活動できなくなる、と考えられます。これに備えることも非常に重要ですが、予算の制限などもありなかなか十分には準備できないのが現状です。

副院長としての担当の中には医療機器の管理も入っています。医療機器が使えなくなった場合の影響は、極めて深刻です。現在、医療は高度化の一途をたどっており、高精度の医療機器がなければできない治療が非常に多くなっています。例えば点滴をするにも精密ポンプによって初めて安全に注入できる薬液も少なくありません。一般の生活でもコンピュータがない生活は考えられないように、現在の医療ではこれらコンピュータ制御の医療機器の存在なくして医療そのものが成立しえなくなりつつあります。

地震ではこれらの精密医療機器がどれだけ使えるのか、はなはだ不安です。電気、水道といったインフラが止まるわけですから、医療機器の稼働はかなり困難になると考えられます。すなわちインフラが止まるということは、医療機器が止まることを意味しています。手足をもがれる感じだと思います。

さらに医療スタッフの確保の問題もあります。災害が起きたとき、もちろん医師、看護師、臨床工学技師をはじめとした医療スタッフは絶対に必要です。昼間であれば多くの医療スタッフ病院内にいますが、夜間に震災が発生したらどうでしょう。都内の大病院では病院の近くに医師や看護師が住む職員用住宅を持っていないことも少なくありません。このような状況での夜間の震災に対する対応が心配されます。できるだけのことを機械ができるようIT化し、インフラをしっかりしておくことも現実的には重要なことになるでしょう。

このように今回の震災ではさまざまな医療上の問題点が露呈しました。震災に際して、私が個人的に感じたことで最も重要なことは、少なくとも震災発生後数日間から1週間は何とか「現地で自力で医療が続行できる体制が必須」であるということです。

(続く)

田邉一成 氏
(たなべ かずなり)
田邉一成 氏
(たなべ かずなり)

田邉一成(たなべ かずなり) 氏のプロフィール
福岡県うきは市生まれ。福岡県立浮羽高校卒。1982年九州大学医学部卒、九州大学医学部泌尿器科入局、84年東京女子医科大学腎臓病総合医療センター入局、戸田中央総合病院泌尿器科部長、米国クリーブランド・クリニック泌尿器科 泌尿器腫瘍学研究室リサーチフェローを経て、2004年東京女子医科大学 泌尿器科大学院医学研究科、腎尿路機能置換治療学分野教授。06 年から東京女子医科大学 泌尿器科主任教授、診療部長。08年から東京女子医科大学病院副院長も。腎臓移植、泌尿器科ロボット手術、移植免疫、腎血血管性高血圧、腎血管外科、泌尿器腹腔鏡手術、腎がん、慢性腎不全、一般泌尿器科など基礎から応用まで専門分野は広い。医学博士。

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