インタビュー

第5回「関係志向支えるシステムの再構築を」(内田由紀子 氏 / 京都大学 こころの未来研究センター 准教授)

2012.07.25

内田由紀子 氏 / 京都大学 こころの未来研究センター 准教授

「幸福度とは」

内田由紀子 氏

「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」(6月20-23日)の宣言に、「幸福度」指標を盛り込もうとした日本政府の思惑は功を奏しなかった、と報じられている。国内総生産(GDP)といった経済成長の度合いだけではない物差しで幸福度を捉える考えには、まだ多くの国の指導者たちが同調できないということだろう。東日本大震災を機に幸福とは何かを考えた人も多いと思われる。心理学者として幸福感に関心を持ち続けてきた内田由紀子・京都大学こころの未来研究センター准教授に、日本人の幸福感の変化や、豊かさの指標の変化とその背後にある価値観の転換などについて聞いた。

―「日本人にとっての幸福とは何か」を考える場合、外国との違いを考慮する必要があるということでしょうか。特に「自己の能力を可能な限り高め、発揮することが幸福につながる」とみているような米国流幸福感との違いとか。

日本的な幸福感は、他人との関係、周囲からの評価というのを抜きには考えられません。米国が個人の状態に対する絶対的な能力評価を行う場合には、査定のシ ステムなどは日本に比べるとオープンです。しかも米国では職業の流動性が日本よりは高く、転職も可能ですので、スペシャリストとして自分をより高く評価し てもらう所に移ることもできます。

これに対して日本の場合、より継続的な関係をもつことが前提となっています。すると査定がもたらす関係性のあつれき(例えばあの人には評価してもらったの に、この人には評価されなかったなど)などがどうしても頭に入ってしまい、査定する側もされる側も、ストレス、緊張感が高くなるのではないかと思います。 そして結局のところ評価があいまいになり、全体のパフォーマンスも下がってしまいます。

大学でも似たようなことがあります。米国では「テニュアトラック制度」といって明確な評価基準をもとにした査定が行われ、アシスタントプロフェッサー(助 教)で雇われたら、5年の間に同僚たちに厳しく審査されます。合格して「テニュア」をもらえると准教授に上がることができ、定年までの雇用になります。ち なみにこの審査は非常に厳しく、半数の助教は大学を去ることになるようです。

日本でもテニュアトラックを導入しようと、文部科学省や大学関係機関は努力しているのではないかと思いますが、結局日本の大学で起こっていることは、米国 でのテニュアトラックのような評価基準の策定と評価後の昇進のない、単なる「任期付き雇用」の形態の定着であるように見えてしまいます。実際、若手の多く は1年から5年ぐらいの任期付き雇用で雇われますが、この任期期間中にきちんと「審査する」とは明示されてはいませんし、任期が切れたときの更新や昇進が ない場合もあります。日本の大学の現状は経済的に厳しく、数年後のテニュアのポストが約束できないという台所事情もあります。さらにいえば日本の大学は全 体のポストの数が決まっており、そのポストが数年後に空くかどうかは分かりません。結局、2-3年ごとにいろいろな大学を転々という現実が出てきてしまい ます。

―2-3年の任期付き雇用というのがあるのですか。

1年というのもあります。実力主義、成果主義とされながらも、成果を出すことによる未来が明確ではありません。若い人にとっては厳しい環境です。そのよう な中でも自分の現在の所属機関に対する貢献と自分の能力の発揮の双方を目指す「タフさ」あるいは「自信」のようなものが必要だと思いますが、これまで述べ てきたように、なかなかそううまくいきません。「雇用主もそう(自分を長きにわたるパートナーと見なしてくれない)なのだから、こちらも(忠義を立てる必 要はないので)個人主義でやります」という風潮になってしまいます。雇い主・雇われ主の双方にとって幸せな状況ではありません。これは流動性が高い状態で はあるけれど、米国のような互いの評価とパートナーシップに基づいて生起する流動性とは異なります。

パートナーシップ(日本的にいえば信頼関係、あるいは古くは「ご恩と奉公」のようなものも含まれるでしょうか)を現在の日本社会の中で持つことが難しい状 況になっているとすれば、それは変えていく必要があると思っています。成果主義なども含め、日本が北米型制度を取り入れるときにはどうしても表面だけに なってしまい、矛盾が生まれやすくなっているような気がします。

―研究現場でも容易ならざる現実があるということでしょうが、若者にやる気を起こすための処方箋と、日本にふさわしい「幸福度指標とは何か」を最後に伺います。

大震災の前後に行った私たちの研究結果から明らかになったことは「未曽有の事態を目の当たりにしても幸福感が低いままの20-30代の若者が半数おり、その理由は経済格差や雇用状態のみから生じているとは結論づけられない」ということでした。職に就いているか否かにかかわらず、「仕事に不満を持ち、心理的 な疎外感を感じている人たちの幸福感が低いまま」という傾向がみられたということです。

「若者が変わっていけるかどうか」「他者のこと、周囲のことに敏感になり、幸福を感じる力を持つことができるかどうか」には、人間、あるいは自分自身の 「可塑性」に関する信念も大きく作用すると思います。日本人はそもそも「努力志向だ」と言われてきたのですが、それは「人間は努力すれば変われるのだ」と いう能力の可塑性を信じているからなのです。

米国などは必ずしもそうではなく、才能は神様から与えてもらった「贈り物(ギフト=才能)」であって、「努力によって達成できる」という考え方とは基本的 に異なります。ですから、例えば理科は不得意だけれども国語がすごくできる子には、「あなたは国語がよくできるからその才能をもっと伸ばしましょう」と言 います。翻って日本の先生や親はおそらく、「もうちょっと理科を頑張りましょう」となるでしょう。足りないところに注目し、人並みになることを理想にする 文化的規範と、努力すればかなうという可塑的能力観の双方が連動しています。

ところが、ニート・ひきこもり傾向が高い人では、「努力したところで人間は変わらないのだ」と考える傾向が強いのです。どうせ頑張っても無駄である、と。残念ながらそういう「負の学習」をしてきてしまったのかもしれません。失敗した時、うまく支えてもらった経験もあまりなかったのかもしれません。ですから こういう状態になってしまった若者には、叱咤(しった)激励するよりも、小さくても良いから成功経験を積ませて、少しでも「こういうことができるのだ」と 思わせることが重要かと思われます。もちろん、本来はそれ以前に、失敗から何かを学び取ることの大切さもきちんと学習しておくことが必要と思いますが。

日本ではどんな場所でも皆がきちんと働いている、そのことをかつて当たり前と思っていましたが、他の国にいってみると必ずしもそうではないことに気づかさ れます。米国では少数のいわゆるエリートが社会や集団を引っ張っていて、多くの税金も納め、寄付もして全体を支える社会のシステムになっています。これは格差を生み出す問題としておそらく深刻でもあります。しかし米国のように国土が広く、人の流動性がある国ならまだそれでも成り立つのかもしれません。一方 で日本のような国ではおそらくそのようなシステムにすると、足の引っ張り合いが生じ、結果的に誰しもが不満になり、立ちゆかなくなるということがあちこちであるのではないでしょうか。

震災からの復興に向けては、周囲とのつながりや協力、信頼関係がその原動力にもなっています。もう一度、日本人にもともと強かった「関係志向」を支えるような地域・組織システムを構築することが、日本のレジリエンス(回復力)を高める有力な方策になるのではないでしょうか。

(完)

内田由紀子 氏
(うちだ ゆきこ)
内田由紀子 氏
(うちだ ゆきこ)

内田由紀子(うちだ ゆきこ) 氏のプロフィール
兵庫県宝塚市生まれ。広島女学院高校卒。1998年京都大学教育学部卒(教育心理学専攻)、2000年京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了、 03年同博士課程修了、博士号取得(人間・環境学)。日本学術振興会特別研究員PD、ミシガン大学客員研究員、スタンフォード大学客員研究員、甲子園大学 専任講師を経て、08年京都大学こころの未来研究センター助教、11年から現職。研究領域は、社会心理学、文化心理学、特に幸福感や対人関係の比 較文化研究。10年から内閣府の「幸福度に関する研究会」委員。

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