インタビュー

第2回「五重塔の美と知恵再現」(澄川喜一 氏 / 東京スカイツリーデザイン監修者、元東京芸術大学 学長)

2011.02.18

澄川喜一 氏 / 東京スカイツリーデザイン監修者、元東京芸術大学 学長

「ものづくり国のシンボル- 東京スカイツリーの魅力とは」

澄川喜一 氏
澄川喜一 氏

高さ634メートルという世界一の電波塔、東京スカイツリーの建設が着々と進んでいる。設計・監理を日建設計、施工を大林組というタワーや高層ビル建築で十分な実績を持つ企業が担う一方、名高い彫刻家で元東京芸術大学学長の澄川喜一 氏がデザイン監修者としてかかわっていることが注目される。監修を任された理由や東京スカイツリーに込められた造形的魅力は何かを澄川喜一 氏に聞いた。

―五重塔と東京スカイツリーが結びつくとは意外です。なぜ五重塔を、と思われたのですか。

高校時代を過ごした山口県岩国市に錦帯橋という木造の橋があります。1年生、入学当時は旧制でしたから今の中学1年生と同じ年齢の時に、この橋と出会いました。それが彫刻家になろうと思ったきっかけだったのです。それはとても面白い、美しい橋でした。東京芸大を卒業してから木彫を始めたのですが、木彫の原点みたいなものは木造建築なんですね。錦帯橋もまた日本の木造建築を参考に造られたものなのです。くぎを使っていません。ボルトも使わず、木を束ねるだけであれだけのもの造っているのです。アーチ型の橋ですが、人が渡ると動くくらい柔軟なんです。面白いのは、木を5種類ぐらい使っているんですね。適材適所ということで強度の要るところには強い木、柔軟さが要るところは軟らかい木、それから水に浸かるところには水に強い木といった具合にです。

この美しいアーチ型の橋をスケッチするだけで満足できなくなり、いろいろ調べてみて驚きました。鎌倉時代に復興した奈良・東大寺の材料が、山口県と島根県の県境の山で採れたヒノキであることが分かったのです。遠いところから運んだものです。法隆寺も調べたのですが、その結果、日本の木造建築の知恵を最大限利用したのが錦帯橋だと、知りました。ということで錦帯橋にはよく出かけて飽きずに見ていたものです。

―いつごろ造られた橋なのですか。

300何年か前ですね。ところがこの橋が1950年に私の見ている前で流されてしまったのです。キジア台風で水量が増えたためと言われていますが、実際は米軍が岩国基地の滑走路を延長する工事のために、素晴らしい河原の砂を大量に取ってしまったのが、本当の原因です。その年の3カ月前に朝鮮戦争が始まり、岩国基地の役割が大きくなっていたわけです。下流側の川底を掘られたら、橋の土台も崩れてしまいますよ。地元の人たちが橋の上にたるを並べ、ホースで水を注入し、重みで橋が流されるのを必死で防ごうとしたのですが駄目でした。ぼうぜんと眺めるばかりでしたが、橋が崩れた時は本当にショックでした。それで彫刻をやろうという気持ちが固まり、東京芸大に入ったのです。

―法隆寺の五重塔のお話を聞かせてください。

日本には近世以前に建てられた五重塔が22くらいあります。その中で一番古いのが法隆寺です。その構造の特徴はまず中心に心柱(しんばしら)という柱があることです。その外側に4本の四天柱があり、さらにその外側に12本の側柱があります。それら周囲の柱は心柱に触っていないのです。一番上の五重目で初めて、ちょうどこうもり傘のように触っているだけなのです。触っているといっても固定されているわけではなく、五重目の上にある露盤という部分でわずかな隙間を空けて接しているだけです。五重目から下は心柱と周囲の柱などからなる建屋(塔身)との間は全くつながっていない空洞です。だから心柱とそれ以外の柱は、地震や強風時にそれぞれ勝手に動くのです。

さらにてんびん工法といってたくみな木の組み方をしています。雲形肘木(ひじき)という水平材を使い、ちょうど重量挙げをしているような形でうまくバランスをとっています。実はこの前、ある学校でその話をしたら「てんびんって何ですか」と聞かれましてね。「夏に金魚売りが、てんびんかついでやってくるだろう」と答えたら「金魚ってすくうもんじゃないんですか」って(笑い)。天秤(てんびん)棒の姿を想像してもらえなかった。

建築というのは、バランスが肝心ですから、五重塔にもこのような知恵が詰まっていますし、錦帯橋もそれに近い工夫が施されていたのです。

―東京スカイツリーの構造に、五重塔の知恵はどのように取り入れられているのですか。

心柱に相当するものがあります。直径8メートルの心棒で中空になっており、中に補修用の階段が付きます。木というわけにはいきませんから、鉄筋コンクリート製です。その外側にもう一つパイプを造り、そのパイプの中にエレベーターが据え付けられます。心棒と、エレベーターとの間はすき間になっており、ぜんぜん触れていません。心柱と周囲の柱などがつくる塔身がくっついていない五重塔と同じです。すき間があるから、揺れても別の動きをします。

五重塔も心柱の一番上の部分、五重目から突き出た先がスーッと伸びていますね。相輪と言って下から9つの輪や、水煙、宝珠といった装飾品が付いています。これはデザインとしてもとてもよいのですが、重さが大きな意味を持っているのです。頭の部分は重くて動きにくくなくてはいけないのです。頭が軽くて、振れやすかったら強い風が吹くと倒れてしまいます。

だからこれ人間の体と同じだ、と私は言っているんです。人体には206個の骨があります。それを輪ゴムみたいに筋肉がまとめているわけですが、腹のところは背骨だけしかありません。ここが物を拾うとか、体の向きを変えるとか多くの動きを担っているのですね。人間も頭はできるだけ動かさないようにしているのです。私、若いころ背が高いので野球部に駆り出されていましたが、野球のバッティングでも頭が振れたら駄目です。ゴルフも同じでしょう。五重塔も人間の体も同じで、だから両方とも狭いところにも立っていられるのです。

東京スカイツリーも、同じです。アンテナをつける上の部分は動かさないようにし、真ん中の3分の1くらいは逆に動くように柔軟に造ってあるのです。

日本の塔なのだから心柱が必要、というコンセプトで造ったタワーですが、高さ30メートル強の木造の塔と同じというわけにはいきません。当然、新しい技術も入っています。頭が振れないよう油圧のダンパーや揺れを戻すばねとかを使っています。ただ、五重の屋根があってその上の3分の1くらいの長さに相輪がスーッと伸びている。そうした美的なバランスのとれた美しさを、という考え方は貫かれています。当初は高さを610メートル程度と発表されましたが、634メートルと上部を伸ばしたことで、非常にバランスがよくなりました。

第2展望台があって、そこからアンテナ部分がスーッと伸び、まさに美しい五重塔の相輪に似ています。

(続く)

澄川喜一 氏
(すみかわ きいち)
澄川喜一 氏
(すみかわ きいち)

澄川喜一(すみかわ きいち) 氏のプロフィール
島根県生まれ。山口県立岩国工業高校機械科卒。1956年東京芸術大学彫刻科卒、58年東京芸術大学専攻科修了、同大学彫刻科副手、61年彫刻家として独立し、作品を数々の展覧会に出品。67年彫刻科講師として東京芸術大学に戻る。助教授、教授、美術学部長を経て95年学長。2003年同名誉教授。08年文化功労者に。日本芸術院会員。島根県芸術文化センター長、石見美術館館長、横浜市芸術文化振興財団理事長、山口県文化振興財団理事長も。そりを生かした木彫作品で注目され、御影石やステンレスなどの野外彫刻、さらに大きな環境造形作品と表現法は幅広く、注目される作品も数多い。代表作は、環境造形「風の塔」(東京湾アクアライン浮島人口島)、同「カッターフェイス」(東京湾アクアライン海ほたる)、野外彫刻「鷺舞の譜」(山口県庁前庭)、同「光庭」(三井住友海上火災保険ビル)同「そりのあるかたち」(札幌芸術の森野外美術館)、木彫「翔」(京都迎賓館)、同「そりのあるかたち02」(日本芸術院)、御影石彫「安芸の翼」(広島市現代美術館)、同「TO THE SKY」(岐阜県民ふれあい会館)、金属彫「光る風」(JR釧路駅)、同「TO THE SKY」(国立科学博物館)など多数。

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