インタビュー

第2回「忘れられている過去の経験」(前田正史 氏 / 東京大学 理事・副学長)

2009.10.26

前田正史 氏 / 東京大学 理事・副学長

「イノベーションの議論を超えて」

前田正史 氏
前田正史 氏

2006年3月に閣議決定された第3期科学技術基本計画で「イノベーション創出」が大々的に打ち出されて3年半たつ。目に見える成果があったか、はっきりしない。それぞれ都合よく解釈、使用されているだけで、本質はさっぱり理解されていない、という厳しい声も聞かれる。そんな折、「Beyond Innovation『イノベーションの議論』を超えて」(丸善)という本が出版された。イノベーション論議に何がどう不足していたのか、編著者である前田正史・東京大学理事・副学長に聞いた。

―「イノベーション誘発のための研究開発戦略」というシンポジウムが4月にありました。主催した科学技術振興機構・研究開発戦略センターのセンター長を辞められたばかりの生駒俊明・キヤノン副社長が「日本のイノベーション議論は全然なっていない。ほとんど本質を理解していない」という趣旨の発言をしていました。

生駒先生はいつも発言が極端です。先生は、確信犯で言っているんですね。本当はこの辺なんだが、ここの辺まで言わないと多分関心を持ってもらえないだろうと見越して発言されるので、それだけ聞くと時々極端過ぎて、あまり受け入れられない(笑い)。その生駒先生も、ではどういう具合にいえばいいかとなると相手のあることでなかなか明快な答えは出し得ていないように見えます。

―今のイノベーション議論の不徹底さをもう少しうかがいます。

ちょっと古い言葉ですけど、パラダイムが変わるものをイノベーションと言うのだと思うのです。イノベーションの定義については、総合科学技術会議でかなり深い議論をして、結論が出ていると思います。科学技術をベースにして社会的な価値を生むものである、と。その多寡はいろいろあるでしょう。小さな技術でも社会的に非常に大きなインパクトがあるものだったら、本当のイノベーションなのかもしれません。

私は、どれもイノベーションと呼んで別に間違いではないと考えます。ただ、われわれ日本がこれから乗り越えなえればならないいろいろな課題を考えたら、小さなインパクトも大事ではあるけれども、それではまだ不足。社会的な構造が大きく変わるようなイノベーションをつくっていかなきゃいけない、ということではないかとも思います。

レオナード・リンという米国の大学院生が書いた「イノベーションの真実」という本があります。彼が挙げたイノベーションの一つが日本の鉄鋼生産です。酸素上吹き転炉といい大量の溶けた鋼をつくる技術で、1950年代から1960年代のイノベーションなんですが、これは、言ってみれば小さい技術かもしれません。炭素を4%含む銑鉄から炭素を取り除いて鋼にする。ベッセマー転炉以来、それが一番の問題でした。太平洋戦争前から平炉というものでやっていたわけですが、大体十数時間かけてちんたらやっていたわけです。十数時間も 1,500度ぐらいの鋼を溶かしておくわけですから、エネルギー効率はめちゃくちゃ悪いわけです。それを20分くらいに短縮してしまったわけです。

実は酸素上吹き法の基本特許は、元々はオーストリアの企業が持っていたのです。しかし、彼らは小規模のプラントはつくったものの、急速には広まらなかった。それが日本に導入されるや、世界の製鉄が変わってしまったわけです。発明者はたしかに向こうですけど、それを実際に応用して産業化していくという、これも大きなイノベーションだと私は思うんですね。まさに製鉄のパラダイムを変えましたから。

これと同じことが実はカセイソーダでも起こっています。チッソが水俣病を起こしましたね。あの後、旭化成がソーダ電解の方法をすべて水銀法から隔膜法に変えました。これはあまり目立たないですが、全く水銀を使わないソーダ電解というパラダイム変化をやっています。コストは当初全く合わなかったのですが、やり遂げました。

ですから、日本というのは過去にパラダイムシフトを随分クリアしてきていているのに、そういう知恵を皆さん見ないのです。過去の技術の流れ、たくさんのイノベーションの集積の上に今のわれわれがあるのに、あたかも過去に何もなかったかのように言って、新たなイノベーションなんていうので、「それは何なの」と言いたくもなるわけです。

―せっかくのイノベーションの経験が学ばれていないということでしょうか。

えー。過去の経験に学んでいないのです。ですからそうしたイノベーションの議論を超えたいのです。

(続く)

前田正史 氏
(まえだ まさふみ)
前田正史 氏
(まえだ まさふみ)

前田正史 (まえだ まさふみ)氏のプロフィール
1976年東京大学工学部卆、81年同大学院工学研究科博士課程修了。東京大学生産技術研究所教授、同総長補佐、生産技術研究所サステイナブル材料国際開発センター長、評価支援室長、生産技術研究所長、総長特任補佐などを経て、2009 年4 月から現職。専門は循環材料学・材料プロセッシング。1998年半導体シリコンの精製のために、ベンチャービジネス 株式会社アイアイエスマテリアルを創立、資本金7 億円で生産活動を行っている。主な著書に、『大学の自律と自立』(日本化学会編)、『「ベンチャー起業論」講義』(丸善)、『金属材料活用事典』(共著、丸善)、『金属事典』(前田正史編集、産業調査会事典出版センター)。工学博士。

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