インタビュー

第3回「将棋棋士の強さの秘密も小脳に?」(伊藤正男 氏 / 理化学研究所 脳科学総合研究センター 特別顧問)

2008.02.12

伊藤正男 氏 / 理化学研究所 脳科学総合研究センター 特別顧問

「社会の期待集める脳研究」

伊藤正男 氏
伊藤正男 氏

脳は研究対象としてもっとも難敵であり、それだけに研究者にとっては魅力にあふれた領域でもある。研究者だけではない。難病あるいは高齢社会に伴って増えている痴呆症などの治療や、より高度なコンピュータやロボット開発に向けてのブレークスルーにつながる成果を期待し、先進各国がもっとも力を入れている研究分野となっている。さらに最近は、最適な教育法を求める観点から脳の研究が大きな関心を集めている。日本の脳科学の先駆者で、いまでも指導的な役割を担う伊藤正男・理化学研究所脳科学総合研究センター特別顧問に教育にかかわる面を中心に脳科学の現状を聞いた。

―昨年、日本将棋連盟と協力して、プロ棋士が差し手を考えているときの脳の働きを解明するプロジェクトをスタートさせるニュース(注)が話題になりましたが。

大脳と小脳は相補って機能しており、どちらか片方では半分の働きしかできない、と言いました。小脳は自身では新しいものはつくり作り出せないが、大脳が最初に一生懸命働いて外の世界のモデルをつくり、それを小脳に移す仕組みができているのではないか、という考えかたです。将棋のプロ棋士とアマチュアが将棋を指しているときの脳の働きを比較してみると、この仮説が実証できるのではないかと考えたわけです。

最近、機能的磁気共鳴画像(fMRI)という手法が発達したおかげで、脳の部位と機能の関係を調べることができるようになりました。脳のある部分が活動するとその部分に酸化ヘモグロビンが多く供給されるため、その濃度分布を計測し画像化する手法です。おそらく、アマは指し手を選ぶ際、すべての可能性を考えようとしていると思われます。特に大脳の前頭葉を使ってですね。しかし、プロ棋士は多分、前頭葉はあまり使わず小脳を多く使っているのではないか、と思われます。定石というものがありますが、大方のところはいちいち考えずに素通りしてしまい、「この局面は」というところになると長考一番、前頭葉が働き出す、と予想されます。

プロ棋士は、思考を重ね経験で得た情報をもとに、アマのように一手一手考え込んだりしなくても、直感的に瞬時に次の一手を繰り出すことができます。対局中の脳の働きを調べれば、思考過程での小脳の役割というものも解明できるのではないか、「内部モデル」説がプロ棋士の脳の使い方から実証できるのではないか、というのがこの研究プロジェクトのきっかけです。やってみたら仮説通りではなかった、となってしまうかもしれませんが(笑い)。

―コンピュータの将棋ソフトもだいぶ強いものができており、最近、高段者との対局がこれまた話題となりました。まだプロ棋士の思考法とコンピュータには差があるということでしょうか。

人工知能と言われだして40年たちました。日本ではかつて第5世代コンピュータ開発計画が「推論するコンピュータを創る」と言って大騒ぎしましたが、結局、何もできていません。外国でも、時々「考えるコンピュータを創る大計画」などと新聞に出たりしますが、すぐに消えてしまいますね。自動翻訳も、すさまじい文章が出てきますし、とてもいいものができているとは思えません。不思議ですね。人間の脳がコンピュータとどこがどう違うのかということは。

モーツァルトという人は、シンフォニーのような長い曲でも、パッと見えてしまったそうです。大きな山のように曲全体が浮かんで見えて、そのため、全体の構図をみながら一部を直すなど、簡単にできてしまったのではないでしょうか。

ポアンカレにも有名なエピソードがあります。難しい数式を数カ月考え続けて、答えが見つからない。ところが旅に出ようと、馬車のステップに足をかけた途端、パーッと求めていた数式が出てきた。これこそ正解だ、と確信が持てる形で出てきた、というのです。何カ月もの間、無意識のうちに正解を考えていた、ということです。われわれも、うまい考えが出ないで困っていたらある日、急にひらめいた、という体験ありますよね。

日本将棋連盟と協力してわれわれが証明しようとしている小脳仮説「内部モデル」は、「集中して勉強し続けることで大脳に思考のモデルが形成され、それが小脳に写し取られる」、「問題が与えられると、そのモデルをもとに小脳が考えるようになる。小脳でのことは意識に上らないので、本人には考える内容がわからず、考えているという実感がないまま思考が潜在的に進行する」。「そこへ、理由も分からず突然正解が出てくるので、直感的にひらめいたと感ずる」という3つのポイントから成ります。

無意識の世界というものも大事ではないか、と考えられるわけです。

プロ棋士の直感思考の解明を目指す研究プロジェクト発表の席で握手する野依良治・理化学研究所理事長(中央)、米長邦雄・日本将棋連盟会長(右)、秋草直之・富士通会長
(提供:理化学研究所)
プロ棋士の直感思考の解明を目指す研究プロジェクト発表の席で握手する野依良治・理化学研究所理事長(中央)、米長邦雄・日本将棋連盟会長(右)、秋草直之・富士通会長
(提供:理化学研究所)

(続く)

伊藤正男 氏
(いとう まさお)
伊藤正男 氏
(いとう まさお)

伊藤正男(いとう まさお)氏のプロフィール
1928年名古屋市生まれ、53年東京大学医学部医学科卒、70年東京大学医学部教授、1986同医学部長、89年理化学研究所国際フロンティア研究システムチームリーダー・グループディレクター、1991年 同国際フロンティア研究システム長、97年同脳科学研究センター所長。2003年から現職。94-97年日本学術会議会長。86年日本学士院賞・恩賜賞、96年文化勲章受章、日本国際賞受賞。国際脳研究機構会長、国際生理学連合会長も歴任。小脳の神経細胞に見られる「長期抑圧」という現象が学習機能そのものであることを初めて証明した画期的な成果など多くの研究業績で国際的に知られる。日本の脳科学の進展に果たし役割は大きく、「日本の脳研究のゴッド・ファーザー」と呼ぶ人(立花隆氏「脳を極める」)もいる。

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