日本エッセイスト・クラブ会長就任記念講演「北里柴三郎の求めたるところを求めて」(同クラブ主催、2023年9月26日)から-
今日は学生の顔も見られますし、いろんな方がいらっしゃいますので、幅広くお話しさせていただきます。私が研究者の道に入った経緯は、他の研究者とは異なり、特異なところがあります。
私は自然の中で育ち、高校・大学はスキーにのめり込んでいました。一流の指導を受けたいと、新潟県・妙高高原池ノ平スキー合宿に合流し、横山隆策先生にご指導いただきました。横山先生はオリンピックに出るような名選手を多く育てられた方ですが、この新潟のチームは北海道に行って、教わってきては練習するが、いつも北海道に負けてばかりでした。そこで横山先生が言われたのは、「教わるのをやめて、自分たちで工夫して練習しなさい」ということ。それから、北海道に勝てるようになったんです。
これは研究においても同じです。教わってきたことをやるだけではなく、自分で考えて工夫してやっていくことが大事です。独創性がないと人は越えられません。
「実践躬行(じっせんきゅうこう)」が私の信条
私は山梨大学を卒業しましたが、そこでお世話になったのが有機化学の丸田銓二朗教授と地質学の田中元之進教授。丸田教授はいつでも実験ができるようにしてくださっていたので、私は年がら年じゅう実験をしていました。また、田中教授が言われた、「どこの大学を出たとか、何を学んだとか、大事なことかもしれないが、一番大事なことは、大学卒業後、5年間、何事も真剣に研さんすることだ」という言葉は忘れられません。
その後、自分が東京の墨田工業高校(定時制)で教えるようになった時も、田中先生の言葉ではないけれど、昼間を自分の研さんに充てようと東京教育大学(現筑波大学)理学部の聴講生として、その後は東京理科大学の修士課程で学びました。そこで、日本で最初に設置された核磁気共鳴(NMR)スペクトルメーターの操作に関わるようになったのですが、これは後に自分が北里研究所で研究するようになった際、大変役に立ちました。
一方、定時制の化学の教員として教えながら、卓球部の指導をしたり、働きながら途中で学校を辞めていく生徒が多いのを、何とか全員で卒業を目指そうと取り組んだりしました。その卒業生たちが建ててくれた記念碑に「実践躬行(じっせんきゅうこう)」という言葉が刻まれています。これは私の信条で、「自分で言ったことは身をもってしっかりとやってみせる」という意味で、信用を勝ち取るためには約束は絶対に守ることが大切だと考えています。
「北里先生の求めたるところを求めて」微生物と化学を使った研究へ
1965年に私は北里研究所に入りました。創立者の北里柴三郎先生は2024年7月に予定されている新紙幣(千円札)に肖像が載ることが決まっています。先生は誰もできなかった破傷風菌の分離・純粋培養に成功し、破傷風の血清療法を確立。その後、ジフテリアにも応用するなど細菌学の分野で多大な功績を挙げられました。ドイツの医学者、エミール・フォン・ベーリング氏が、ジフテリアに対する血清療法の研究で、1901年に第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞しましたが、この時に北里先生も第1回ノーベル賞の有力候補であったことが新聞で報じられています。
北里先生が目指された医学は、先生が学生時代に「人民に摂生保健の道を説いて病を未然に防ぐことが医の本道である」と「医道論」に記しているように、病気にならないように予防することが本当の医学だという予防医学です。また、先生は、「研究の結果はなるべく適切に実地に応用して国利民福を増進することにある」と演説されています。
この実学の精神は、幕末の思想家、横井小楠の実学思想が元になっております。松尾芭蕉が空海の言葉を引用して、門弟の森川許六に餞別として贈った言葉に、「先人の跡を求めず 先人の求めたるところを求めよ」という言葉があります。私も「北里先生の求めたるところを求めて」、微生物の生産する新しい有用な化合物を探索する研究の道に入ってまいりました。
「君子は器ならず」リーダーには幅広い能力が必要
北里研究所で当初私は、抗生物質の構造を調べていました。しかし、他人が見つけた物質の構造決定だけでは物足りなくなり、隣の研究室が新しい抗生物質を懸命に探しているのになかなか見つからないのを見て、自分も研究者として「物を見つける」仕事をしようと専念するようになりました。そしてその先に抗寄生虫抗生物質「エバーメクチン」の発見があったのです。
研究所では学生や研究者に力を付けさせること、今で言うと人材育成のために、セミナー開催に力を入れました。セミナーは1975年~2008年までに500回開催されましたが、海外からの研究者は1/3を占め、何人かはノーベル賞受賞者です。私は海外から研究者を招いて、若い人たちに刺激を与えようと頑張ってきたわけです。
私は求められるとよく、「至誠惻怛(しせいそくだつ)」という言葉を書いて差し上げますが、これは「真心といたわりの心をもって人に接する」という意味です。また、「君子は器ならず」という言葉のとおり、指導者には幅広い能力、対応力が必要です。科学ができればリーダーになれるかというと、それだけではダメなんです。
こういう風に人を育てながら研究に取り組んできたことは、間違っていなかったと思います。学位を取った人は120名以上、教授になった人は30名を越え、そういう人たちが頑張るわけですから成績も良く、微生物は100種類以上、新しい化合物は500種類以上見つけることができました。これができたのも人を育てることに力を入れてきたからだと思います。
熱帯病撲滅へ年間3億人に無償供与されたイベルメクチン
アメリカへの留学を経て、帰国後、大手製薬会社メルク社(米国)と共同研究の覚書を結んだのは1973年。われわれが菌類を採取して、それぞれの菌の基礎的研究をし、これは面白い、他とは違うといった菌を選び、それらのデータを付けてメルク社に送付。メルク社でこれを受け取って実験に取り組んだのが、一緒にノーベル賞を受賞したウィリアム・キャンベル氏らでした。この共同研究で見つかったのがエバーメクチンです。そして、その化学構造に一部手を加えて寄生虫を殺す効果を高めたのが「イベルメクチン」で、これは世界の動物薬市場で20年間トップの売り上げを続けてきました。
当時、ブヨが媒介する線虫によって起きるオンコセルカ症は、西アフリカ諸国の人々の健康と経済的な見地から最も重篤な病気といわれていました。1987年の世界保健機関(WHO)の資料によると、オンコセルカ症の感染危険地域の人口は2億人以上、失明患者は115万人です。
また、蚊が媒介とする線虫が引き起こす、リンパ系フィラリア症の感染危険地域に暮らす人は13億人以上で、これは地球の人口の20%にあたり、2000年時点の感染者は1億2000万人。この熱帯の寄生虫病であるオンコセルカ症とリンパ系フィラリア症に効くイベルメクチンの製剤(メルク社のメクチザン)は、2017年には両熱帯病の撲滅に向けて、年間約3億人に無償供与されました。
写真の真ん中に写っているのは私で、この時、初めてVサインをしましたが、うれしかったですね。イベルメクチンの投与で、この子たちはもうオンコセルカ症で失明することはない、それに自分たちが貢献したんだということです。
ノーベル賞受賞講演で「茶の湯」の日本文化を紹介
2015年にノーベル賞を受賞した際、受賞講演で最後に使ったのが「茶の湯」のスライドです。私は化学分野の人間ですが、海外で公演するとき、必ず科学以外の日本の文化について入れることに決めています。この時、私は茶道に由来する「一期一会」について説明し、人と人の出会い、つながりを大切にすることで研究も発展してきた話をしました。
また、私は病院内のヒーリングアートを手がけたり、韮崎大村美術館を作ったりしてきました。そしてよく質問されることですが、私にとっては芸術も科学も同じで、どちらも独創性がないとだめです。それから想像力を発揮して形作る、あるいは成果を上げるという点でも共通性があります。
最後に、今日は若い人も参加されていますが、若い人たちへ私からのメッセージとして、これは私の祖母の受け売りですが、生きていく上で大事なことは、人のためになること、世の中のためになることを喜べる人間になることだと思います。
◇10月24日追記
本文の一部を訂正しました。
16段落目、リンパ系フィラリア症について
誤「2000年までの感染者は1億2000万人」
正「2000年時点の感染者は1億2000万人」