広島大学 東京イブニングセミナー(2008年10月17日、広島大学主催)講演から
マレーシアのパソというところで熱帯雨林の研究を続けている。熱帯雨林は高さが50メートルを超える突出木層の下に30-40メートルの高さの林冠層、さらにその下に亜高木層や低木層が広がる多層構造を呈している。この森にはたくさんの種類の動物が棲(す)んでいる。そしてそれぞれの得意な場所で生活をしている。たとえばギボン(シロテテナガザル)、リーフモンキー、ロリスは森の上層のほうに、シベット、マレーバク、イノシシ、マメジカなど森の下の方で多種多様な動物が棲み分けている。またリス類やツパイなど上下に移動する動物もいる。空間だけでなく昼または夜を主に活動時間にするもの、昼夜にかかわらず活動する動物など、時間的にも棲み分け現象が見られ、こうしたニッチ分割が熱帯雨林の多様性を維持しているメカニズムの一つとも言われている。
ところが最近になってパソの森に棲んでいる動物の種類が減っていることが分かった。1995年ごろまでの文献やデータを調べるとパソ森には110種の哺乳類がいることになっていたのだが、最近の調査で約半分に減っていることが分かった。ゾウはいなくなりトラの生息は確認されていない。原因として森林伐採の影響がある。森林伐採は有用木だけ選択的に伐採するやり方(択伐)とすべての樹木を伐採してしまう皆伐とがある。マレーシアでは木材生産のための商業伐採は基本的には択伐である。択伐を行っても森林そのものは残っているが、実は突出木などの大径木が切られてしまうため林冠構造の凸凹が少ない(不均質性の低い)単純な森になってしまう。天然林が本来持っている複雑な森林構造が崩れてしまうのだ。そのため哺乳類だけでなく昆虫相やキツツキなどの鳥類などの多様性や組成が変化することが分かっている。
一方、森林をオイルパームなどのプランテーションに転換する場合は皆伐を伴う。パソの森の周辺部は1970年代初頭まではほとんど森に覆われていた。その後、プランテーション開発の名の下に森林伐採が進み、1980年代後半には森林面積は約半分になっていることが分かった。1971年の土地利用図と96年の衛星画像データを比較するとオイルパームプランテーションは約3倍に、ゴム園は1.5倍に増加した。
このように森林が皆伐されてしまうと生態系に甚大な影響が出る。例えばオイルパームプランテーションでの土壌流出量は、天然林の場合の約7倍である。
動物への影響も大きい。プランテーション化によってすみかを追われたり、生息域を狭められてしまう動物もいる。残存しても森のサイズが小さくなれば十分な活動場所が保証されず、さらには森林が断片化すると移動に支障を来すからだ。例えば森林の上層に棲んでいるギボンやリーフモンキーはプランテーションには棲めない。プランテーションが森林を取り巻いてしまうとその残存林から出ることもできなくなるのだ。
こうした動物の不在は反作用として植物の定着や再生産にも影響を及ぼす。種子散布を動物に頼っている植物にとって動物の不在化による影響は大である。例えば断片化した森では、大きなサイズの森から遠く離れるほど、イチジク類の個体密度が減少することがこれまでの研究で分かった。サルなど樹上の動物がいれば種子が運ばれることによって個体数が維持されるが、イチジクを食べる動物が少なくなると種子がばらまかれなくなってしまう。さらに魅力的な餌が無くなれば動物もますます遠ざかっていく。花粉の媒介者もいなくなると、樹木の遺伝的多様性が低下する。
また肉食動物がいなくなると一部の動物が増えるなど、連鎖反応的に影響が出てきて、森が崩壊することになる。さらに重要なことは森の健全性が失われてしまうことで、有用木の再生ができなくなるなど長期的には木材生産にも影響が出てくることが懸念される。
熱帯林の特徴である高い生物多様性を守るためにはどうすればよいだろうか。一方的に森林を守れ、生態系を守れ−だけではかけ声だけに終わってしまう。インセンティブ(動機づけ)を無視しても地域社会と調和した自然資源の保全は望めない。なぜならば自然資源を手早く切り売りして現金収入を得るというドライビングフォースが大きいからだ。規制が無ければ木材生産のための商業伐採を行う際も生態系への影響を配慮してやろうなどと面倒なことはやらない。その点,木材にエコラベルをはろうという認証制度はよく考えられた仕組みで効果が期待できる。木材が採られたルートをトレースバックし、適正な森林管理を行って得た木材にはラベルをはる。ラベルがないとマーケットで取引できないようなシステムで、違法伐採を防いだり森林の適正管理の推進をするうえで大変よい仕組みといえるだろう。
研究者レベルでできることもある。例えばエコシステムマネージメントのための研究である。エコシステムマネージメントでは森林、河川、水、土壌など生態系全体を調和的に管理することを目標とする。例えば森林には炭素貯蔵や土壌流失防止機能、多様性保全機能などいろいろなエコシステムサービスがあるが、どこをどれだけ壊すとどこにどのような影響が出るか、またそのリスクを回避したり、最小限に食い止めるためにはどのようなオプションがあるのかなどを研究するテーマである。意思決定のプロセスにおいてさまざまなリスクやベネフィットを俎上(そじょう)に挙げて議論をするための材料を提供しようという狙いである。
温暖化防止のための京都議定書に盛り込まれたクリーン開発メカニズム(CDM)によって熱帯林保全がうまくいくか分析したことがある。CDMにより森を増やして炭素の量を売買するのと、オイルパームプランテーションとして経営するのとどちらが費用対効果があがるかを比較した。CDMの場合、それから上がる排出枠による収入が入るが、認証に多くの費用が掛かる。一方のオイルパームは、設置費用は掛かるものの今のところ認証などへの経費が必要ないため、多くの利潤が出てくる。吸収源CDMよりは、オイルパームのプランテーションを経営した方が得という結果になった。ましてや、天然林のままで置いておけば、お金は全く入らない。
しかし森林の持つ炭素貯留機能は大きく、それを単純に計算すれば相当な経済価値を持っている。この炭素貯留機能としてのエコシステムサービスの価値が経済的に評価され誰かが支払ってくれるなら、天然林の方がオイルパームや早生樹によるCDM林よりもはるかに高い価値を持つ。そうしたことをまじめに考える時期に来ているのではないだろうか。エコシステムサービスを評価し、そのためのコストを社会が何らかの形で負担し、さらにはエコシステムサービスの価値を市場で取引できるようなシステムがあるとよいだろう。まずはそのためのパイロットプロジェクト(場所、組織)を政府、地域社会、民間が人やお金を出し合い早急に開始する必要があるのではないか。
奥田敏統(おくだ としのり)氏プロフィール
広島大学大学院理学研究科植物学専攻博士課程後期単位取得後退学、89年国立公害研究所(現国立環境研究所)勤務、94年新技術事業団海外派遣研究員としてマレーシア森林研究所で勤務、95年国立環境研究所総合研究官、2006年から現職。