コラム — ハイライト —

基礎科学研究への情熱、そしてユニークな発想の大切さを― ニュートリノの実験を振り返って

2015年にノーベル物理学賞を受賞した東京大学 宇宙線研究所長 梶田隆章 氏

掲載日:2018年10月19日

大隅基礎科学創成財団公益認定記念セミナーでの講演(9月20日)から(2016年にノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典氏を中心に、2017年8月、基礎科学の発展に寄与することを目的として一般社団法人大隅基礎科学創成財団が設立された。今回は同財団の公益認定を記念してセミナーが開かれた。)

梶田隆章 氏
梶田隆章 氏

大隅良典先生そして大隅基礎科学創成財団の皆さま、公益認定おめでとうございます。文化としての科学の振興のために、ぜひ頑張っていただきたいと思っております。本日は「神岡※の地下から見た日本の基礎科学」ということで少しお話させていただきたいと思います。

※神岡とは岐阜県飛騨市神岡町にある東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設のこと

陽子の崩壊の観測から始まったカミオカンデでの実験

物理学に詳しい方が少ないと思い、「ニュートリノって何?」から話を始めさせていただきたいと思います。ニュートリノは素粒子の仲間です。我々の身の回りにある電子も素粒子の仲間です。ニュートリノはその電子から(負の電気量である)電荷をとったような粒子です。電子から電荷をとると電磁的な力を感じなくなるので、地球くらいは素通りするようになります。しかし、ごくまれですが物質とぶつかることが起こるのです。我々ニュートリノの研究者はニュートリノが物質にぶつかる時の様子を研究しているので非常に大変なのです。

そのニュートリノが「何かの役に立つか?」については、「役に立つ」とは言いながらも決して日々の生活に役に立つものではありません。しかし、天体のことを知るユニークな手段になるはずであるとずっと考えられてきました。

さて、これからは私が大学院生になった頃から関わってきた、カミオカンデでの研究を紹介します。実はきっかけはニュートリノではありませんでした。今から40年ほど前に出た素粒子の新しい理論によれば、原子核の中にある陽子は約10の30乗年の寿命で壊れるはずだと予言されました。10の30乗年とは、今の宇宙の年齢が138億歳で、その宇宙の年齢の100億倍の100億倍、そのくらいの寿命で壊れるというのです。ですから、「どう考えても実生活には何の役にも立たないんじゃないか、ただし学問としてはものすごく重要だ」という認識が世界的にあり、1980年代の初頭に世界中で陽子の崩壊を探す実験が始まりました。その一つがカミオカンデでの実験でした。

カミオカンデは地下1000メートルに(設置された)直径15.5メートル、深さ16メートルの水タンクの内面に光検出器が敷き詰められたもので、この水タンクの中で陽子が壊れた時に出る粒子の光を捉えること(陽子崩壊実験)を目的に設置された実験装置です。(当時)学問的な重要性が分かって世界中でこの実験が始まった中で、日本でこの実験をどうやって実現したらいいか、そしてどのようにして第一級の学問的成果を出していくのか、この2つがポイントになりました。この頃、私の指導教員だった小柴昌俊先生(2002年ノーベル物理学賞受賞)は陽子崩壊実験を構想していましたが、アメリカで(小柴先生の構想と)同様かつ(もっと)大規模な実験が計画されていることを知って、(小柴先生は)巨大な光検出器を開発することでアメリカの実験に対して優位性を持たせようと考えました。(開発された)光検出器は直径50センチという巨大なものですが、(この開発を)現在の浜松ホトニクス(株)に依頼しました。(世界では)直径12.5センチくらいの小さなもの(が使われていた時代)でしたので、いきなり直径50センチぐらいのものを作って欲しいというのは無謀な依頼だったのです。ところが、当時の同社の社長の晝馬輝夫(ひるまてるお)さんという方が、「とにかくやりましょう」と決断してくれました。この時はまだうまくいくかどうかは分かりませんでしたが、学者と企業とのこのような良い関係があって芽が出始めたのだと思います。

開発された直径50センチの光検出器。左隣の2つの光検出器は当時一般的に使われていた。(提供:東京大学宇宙線研究所)
開発された直径50センチの光検出器。左隣の2つの光検出器は当時一般的に使われていた。(提供:東京大学宇宙線研究所)

(本来は)国に概算要求するというプロセスを経るのですが、何年もかける余裕はないということで、いろいろな研究機関、東京大学理学部や高エネルギー物理学研究所、宇宙線研究所が、学問的重要性があるとして分担して、とにかくお金を集めて実験装置を作った、ということのようです。当時私はまだ大学院生でしたので分かりませんでしたが、このようにしてどうにか実験装置を作るための下準備ができ、1983年には神岡の地下で、我々特に大学院生が数か月間にわたり(手伝って)、装置を建設させました。そしてその年の7月に実験が開始されました。

建設中のカミオカンデ(1983年春)。作業している3人の左から2番目は当時大学院生だった梶田氏。(提供:東京大学宇宙線研究所)
建設中のカミオカンデ(1983年春)。作業している3人の左から2番目は当時大学院生だった梶田氏。(提供:東京大学宇宙線研究所)

予期せぬことが見えたことが科学研究の醍醐味

さてこの装置は(当初の目的は)陽子の崩壊を探す、という実験でした。実験が始まる前は「毎週、陽子の崩壊が見つかるかもしれない」「1か月に1回くらいかもしれない」と楽観的な思いで実験をしていました。しかし、(実際に)実験を始めてみると、陽子の崩壊の信号は見えない、そんな感じでした。ただし、この浜松ホトニクス(株)に作ってもらった世界最大の光検出器の性能が非常に良くて、「もう少し改良すれば別の用途に使える。そうすれば太陽ニュートリノを観測できるんじゃないか」と、(陽子の崩壊の観測)実験が始まってから(わずか)数か月後に小柴先生が言い始めました。(普通では)こんなことをやっていいのかと思うのですが、結局この早い段階での(小柴先生の)提案がその後の神岡での研究の命運を分けています。振り返って(考えますと)、すべては評価の時代になってしまった(現代では)、このような提案をすると、「最初の目的は何だったのか、(その目的は)達成されていないんじゃないか」と、必ず厳しい評価を受けることになり、実験は進まなくなると思います。

しかし、小柴先生が「とにかく太陽ニュートリノの観測をする」ということで、1984年頃から85年、86年にかけて神岡に戻り、装置(カミオカンデ)を改造しました。その結果、87年の1月頃から太陽ニュートリノを何とか観測できるようになりました。すると、全く予想していなかったことなのですが、その年の2月に、(太陽系がある)銀河の隣の大マゼラン星雲というところで、人間の目で見える超新星爆発としては、400年ぶりの爆発がありました。残念ながら大マゼラン星雲は南半球でしか見られないので、(日本では)見ることができませんでしたが、カミオカンデ(の改造が終わり、既に)太陽ニュートリノの実験を始めていましたので、2月23日の(超新星爆発時の超新星のニュートリノの観測)データを見たところ、エネルギーの高いものが10例ほど約10秒間に観測されていました。これがまさに人類が初めてとらえた超新星爆発のニュートリノで、たった10年くらいですけれどもこれによって超新星爆発のメカニズム、つまり重い星が最後に自らの重力でつぶれて爆発するメカニズムが解明されたわけです。この結果によって小柴先生は2002年にノーベル物理学賞を受賞されたのですが、とにかく時間的にはぎりぎりで、1月に(改造したカミオカンデが)まともに観測ができるようになり、(超新星爆発が起きたのが)2月です。先手を打ったことで間に合った、そういう例だと思います。

当時を振り返ってみるといくつかの重要な示唆があったと思います。1つ目はユニークな発想の大切さ、この場合ですと世界にない常識破りな光検出器の開発を思い切ってやったことです。2つ目は、常に何ができるかを考えていくこと、この場合ですと陽子の崩壊の観測実験として始まったカミオカンデを、太陽ニュートリノの(観測の)ために改造して、超新星ニュートリノを観測したことです。太陽ニュートリノの観測にも1989年に成功しています。(当初の実験目的とは違って)予期せぬものが見えたことも、科学研究の醍醐味かなと感じました。3つ目は小柴先生には、国民の血税で建設したカミオカンデから、「陽子の崩壊の観測ができませんでした、だけの結果で終わらせてはならない」という思いがあり、そのために必死に太陽ニュートリノの観測を提案されたと聞いています。

さて、少し話を変えます。カミオカンデでは太陽ニュートリノの観測に向けて装置を改造していましたが、その一方で当初の目的である陽子の崩壊の観測は続けていました。多くの場合は、信号があればその邪魔者となるノイズがあります。陽子の崩壊にとって邪魔者のノイズは何かというとニュートリノなのです。地球の大気の中で作られるニュートリノがあるのですが、これが邪魔者になります。そこでその邪魔者である大気のニュートリノを調べていていたところ、偶然にもニュートリノのうちミューニュートリノ※の数が予想よりもずいぶん少ないことが見つかりました。実はこれが将来の研究の重要な芽となったのです。

※ニュートリノには電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノの3種類のタイプがある。

次にスーパーカミオカンデと呼ばれる今の装置について話をします。スーパーカミオカンデは今でも現役です。地下1000メートルに(設置された)直径39メートル、高さ42メートルの巨大な水槽に5万トンの純水を蓄えた装置です。国際的に共同研究をやっていて、10か国から約160人の研究者が集まって研究しています。実はカミオカンデでは太陽ニュートリノというのはたとえ観測できても、装置の大きさが十分ではないので、あまり細かいところまでは研究できないだろうということが分かりました。そういう観点からスーパーカミオカンデという巨大装置が必要じゃないかと(すでにカミオカンデが動き出した直後に小柴先生が)提案しています。

スーパーカミオカンデに純水が注入されたところ(提供:東京大学宇宙線研究所)
スーパーカミオカンデに純水が注入されたところ(提供:東京大学宇宙線研究所)

さて、先ほどカミオカンデの実験で陽子の崩壊のノイズとなるミューニュートリノが少ないという結果が偶然得られたという話をしましたが、その当時から「もしかしたらそれはニュートリノ振動という現象が起こっているんじゃないか」と皆、頭の中で思っていました。(ニュートリノ振動が)何かというと、もしニュートリノが質量を持つと、不思議なことに、飛んでいる間にそのタイプを変えます。最初にミューニュートリノで生まれたニュートリノは途中でいつの間にかタウニュートリノに変わり、さらに飛んでいるとミューニュートリノに戻り、さらに飛んでいるとタウニュートリノになる、こういうことを繰り返しながら飛ぶはずだと理論的にも50年以上前には予言されていました。このようなことが起これば、途中でミューニュートリノが別のタイプのニュートリノになっているので、ミューニュートリノが少ないということは説明できることになります。

ただし、科学では、ある現象を説明するために、必ずいろいろな考えが出てきます。そういう意味ではニュートリノ振動もその一つの考え方ですので、我々の次の使命としてはニュートリノが少ないということがニュートリノ振動なのか、または別な現象によるものなのか、をはっきりさせる必要があると考えていました。この段階になると、スーパーカミオカンデは基礎科学の大きなプロジェクトとして、しっかりとした結果を出すということに注力していました。そして実験開始から2年後には、(ニュートリノが少ないというのはニュートリノ振動によるものだという)明確な答えを出すことができたわけです。

科学的好奇心、学問の自由、予期しないことをきちんと見る余裕、そして社会の余裕

さて、我々は(この結果について)国際会議で発表し、その次の日にありがたいことに当時アメリカのクリントン大統領がマサチューセッツ工科大学の卒業式(1998年5月2日)の演説の中で、我々の結果について触れてくれました。一部を紹介します。

「日本で、物理学者がニュートリノに小さな質量があると報告されました。ほとんどのアメリカ人には大した意味もないでしょう。しかし、このことは最も小さな素粒子や宇宙がどのように成り立っているか、そして宇宙がどのように膨張するかということに関する最も根本的な理論を変えるかもしれません」「このような発見の影響は実験室に限らず、社会全体、つまりは経済だけでなく、生活に対する考え方、他者との関係、そして我々歴史上での位置などに影響を及ぼすでしょう…」

基礎科学について非常にありがたい言葉を言っていただいたなと思っております。

このようにして神岡でのニュートリノの研究がなぜ成功したのか、を考えてみますと、多くの研究者の基礎科学研究に対する情熱があったこと、その情熱を素直に認めるあるいはサポートする社会が少なくとも20世紀にはあったと思います。そして長年にわたってスーパーカミオカンデ研究施設に対するサポートを国から頂いたことです。私個人としては、たまたまキャリアの早い段階で安定な職に就けたことで、心配なく研究に専念できたことが大きいと思います。

陽子の崩壊を探すという実験で始まった神岡の地下での研究は、ニュートリノを中心に多くの成果を出してきました。この研究を参考に日本の基礎科学を考える上でのキーワードをいくつか出してみますと、当然ですけれども科学的好奇心、そして学問の自由です。また、(研究者は)予期しないことに出会ったときに、それをきちんと見る、そんな余裕がないといけません(それには金銭的、時間的、精神的余裕が必要です)。そしてやはり社会の余裕(も必要です)。最後に特に若い研究者が安心して研究ができること、これが特に重要だと考えます。

記念公演後に行われたパネルディスカッションの様子(正面が梶田氏)
記念講演後に行われたパネルディスカッションの様子(正面が梶田氏)

(「科学と社会」推進部 早野富美 )

梶田隆章 氏

梶田隆章(かじた たかあき)氏プロフィール
東京大学宇宙線研究所長・特別栄誉教授・卓越教授。東京大学理学部素粒子物理国際センター助手、東京大学宇宙線研究所助手、助教授、1999年に同研究所教授、2008年に同研究所長となる。理学博士。2015年に素粒子ニュートリノに質量があることを見つけた功績でノーベル物理学賞を受賞。2016年には2016 Harvard Foundation Scientist of the Year、2017年にはバークレー日本賞など多数の受賞歴を持つ。

ページトップへ