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化学の世界はまだまだ広い
第2回「重箱の隅ほじくるような研究は」

北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者 鈴木 章 氏

掲載日:2010年11月19日

日本記者クラブ主催 昼食・講演会(2010年11月1日) 講演・質疑応答から

北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者 鈴木 章 氏

鈴木 章 氏

 

米国のブラウン先生の下で2年半の研究生活を終えて、1965年の4月に帰国した。飛行機の中で、札幌に帰ったらどんな仕事をしようか考えた。今地球上に存在する物質の種類がどのぐらいあるか正確に分かる人はだれもいないと思うが、私が学生のころ見た本では300万。今はさらに多いだろう。とにかくかなりの物質がある。そういう物質の大部分は有機物だ。元素の中には炭素のほかに100ぐらいの原子がある。だが、炭素がくっついてできている有機化合物の方がそのほかのものがくっついてできるものより種類が圧倒的に多い。金属もあるが、ほとんどが有機物だ。そういう有機物をつくるということが大事だから、有機ホウ素化合物を使った新しい合成反応をやろう、と決めた。

そのころ世界の情勢はどうか。ブラウン先生の発明したHydroborationは有名な反応で、1979年に先生はこれでノーベル賞をもらう。この反応は面白いけれど、できる有機ホウ素化合物はあまり使いものにならない。なぜかというと非常に安定だからだ。例えば皆さん昔にあるいは習ったかもしれないが、グリニャール試薬、グリニャール反応というものがある。フランスのグリニャールという化学者はこの発見で1912年にノーベル化学賞を受賞している。

グリニャール試薬というのは有機のマグネシウム化合物で、非常にいい反応試薬だが残念ながら水に対して非常に敏感だ。反応には溶媒というのを使うが、水が少し入っていると全部分解してしまう。ところが有機ホウ素化合物はそういうことがない。安定だから分解することはないわけだ。それは使う側から見るとメリットでもある。札幌に帰ったら有機ホウ素化合物を使った有機合成の研究をしたいと思ったわけだ。ブラウン先生は多分考えていたと思うが、私が研究を初めたころ世界でそういうことを考えていた人はいなかったといっていいだろう。反応条件を検討すると有機ホウ素化合物はいろいろなことができる、ということが分かってきた。

クロスカップリングについて少々話したい。クロスカップリングというのは有機ホウ素化合物と、臭素や塩素のついた有機ハロゲン化合物を触媒の下でくっつけるという反応だ。天然には生理活性とかいろいろ特徴のある性質を持つ化合物がたくさんある。そうした構造をつくりたいと思ってやった。クロスカップリングは有機ホウ素化合物だけではなく有機のグリニャール試薬、マグネシウム化合物、あるいは根岸英一さんがやっている有機の亜鉛化合物、米コロラド州立大学のスティルさんのやった有機のスズ化合物などいろいろなものがある。有機のスズ化合物などは非常によいのだが、毒性がすごく強い。だから製薬会社は使わない。

その点、有機ホウ素化合物は安定で毒性が少ない。あるいは水に対しても安定だなどいろいろな長所があるので、現在世界中で非常にたくさんの反応に使われている。例えば、最近、用心のために飲んだ方がよいと言われ血圧を下げる薬を処方してもらった。薬局に行ったら「先生、これ鈴木カップリングでつくっているんですよ」と言われた。メルク社の薬で日本では万有製薬から販売されているが、そのほか多くの製薬メーカーががん、エイズなどいろいろな薬の製造にこの反応を利用している。製薬以外でも有機ELや液晶など世界中で広く使われているのは誠にうれしい限りだ。

長い間、研究を続けてきたが「どのようなフィロソフィー(哲学)でやってきたか」とよく聞かれる。ブラウン先生は「教科書に載るような仕事をせよ」ということをよく言われていた。私もそれは大事だと考えている。もちろん教科書に載るような仕事というのはなかなか大変だ。新しい仕事、だれもやっていない仕事で、しかも有用な仕事ということだから。

また、ブラウン先生と私が昔から学生たちに言っていたことは「重箱の隅をほじくるような研究はするな。研究する場合にはその重箱は何も大きくなくてよい。小さくていいから全く何も埋まっていない重箱をまず考えて、それに自分の成果をだんだん埋めていく。そういう仕事をするように」ということだ。私自身もそう考えていた。難しいことで簡単にできることではないが、考え方、態度としてはそれが必要ではないかと思う。

それからもう一つ。マスコミの方や学校の先生方から、最近は若い人の理科離れが問題だという話を聞いた。私もこれは非常にシリアス(深刻)な問題で放っておけないことだと思う。なぜかというと、資源のある国はそれを売っていけばある程度国の状態を保つことができるが、日本のような資源のない国でそれは不可能だ。

日本で唯一できることは何かというと、われわれが工夫して新しいものをつくるとか、新しいものをつくるための反応を考えて有用なものを製造することだ。そしてこれを世界中に輸出して買っていただく。それしか道がない。そのためにはサイエンス(科学)やテクノロジー(技術)は欠かせない。それがなければ新しいそのような分野の発展は期待できない。理科離れということは非常にゆゆしい問題だと思う。

(続く)

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北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者 鈴木 章 氏
鈴木 章 氏
(すずき あきら)

鈴木 章 氏(すずき あきら)氏プロフィール
北海道立苫小牧高校(現・北海道苫小牧東高校)卒。北海道大学理学部化学科卒業、同大学院理学研究科化学専攻博士課程修了後、北海道理学部助手に。北海道大学工学部合成化学工学科助教授時代の1963-65年米パデュー大学のハーバート・ブラウン教授の研究室で有機ホウ素化合物の研究を行う。73年北海道大学工学部応用化学科教授。94年北海道大学を定年退官し、同大学名誉教授、岡山理科大学教授に。95-2002年倉敷芸術科学大学教授。01年にパデュー大学招聘教授、02年台湾中央科学院、国立台湾大学の招聘教授も。有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリングの業績で根岸英一・米パデュー大学特別教授とリチャード・ヘック米デラウェア大学名誉教授とともに2010年ノーベル化学賞受賞。同年文化勲章も受章。

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