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化学の世界はまだまだ広い 第1回「有機化学の道選ばせた2冊の本」(鈴木 章 氏 / 北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者)

2010.11.10

鈴木 章 氏 / 北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者

日本記者クラブ主催 昼食・講演会(2010年11月1日) 講演・質疑応答から

北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者 鈴木 章 氏
鈴木 章 氏

 急に忙しくなり新聞もテレビも見る機会がない。私のことを二宮金次郎に例える報道もあるそうだが、そんなことはなく全く普通の少年だった。魚釣りもしたし、軟式野球を楽しんだこともある。年配の方たちと同様、塾なんていうのはないから今よりも自由にはつらつとした子供時代を送っていた。

 小学校は北海道の鵡川という小さな町(現・むかわ町)だった。中学校(旧制)はそのころどこの町にもあるというものではなく、王子製紙のある苫小牧の中学校に進んだ(編集者注=苫小牧中学、在学中の学制改革で苫小牧高校となり、その後、苫小牧東高校に名称変更)。中学のころは数学が好きだった。今から考えるとどちらかというと結論がはっきりしたことが好きだったのだろう。単純思考型の人間だ。数学の場合には1プラス2が3になるという解答、これしかないから。

 北海道大学に入っても理学部で数学をやりたいと思っていた。数学なんかやってもちゃんとした職につけないぞ、と友人や先輩に言われたことがあるが、あまり就職のことなど考えず好きな数学をやりたいと思っていた。ただ、教養部の時は数学以外に化学、物理、生物も習ったわけで、化学で米国ハーバード大学の教授をされていたフィーザー先生の書かれた「テキストブック・オブ・オーガニック・ケミストリー」いう有機化学の教科書があった。初めて読む洋書だから字引を引きながら読んだところ非常に面白い。もちろん日本でもそのころ有機化学の本はたくさんあったが、日本の教科書は記述的、説明的な書き方をしているものが多い。「AとBを反応させたらCができる」というように。間違いではないが、何か面白みがない。ところがフィーザー先生の教科書は、例えば有名な反応だと歴史的なことが書いてあったり、器具なども本物のように描いてあるなど読んでいて面白い。

 そういうことで専門を決めるとき、初め考えていた数学ではなく、化学の中でも数学に一番遠い有機化学の道を進んだ。有機化学の道に入ったのはこのフィーザー先生の本のおかげだと思っている。

 博士号をとって1年半か2年半後、北大で理学部の化学の助手をしていたころ、工学部の中に合成化学という新しい学科ができた。朝鮮戦争が終わった後で、重化学工業時代が日本にやってくるから化学を重視しなければならない、と文部省(当時)が各大学に新しい化学系の学科をつくった。その一つが北大工学部にできた合成化学科で、私は助教授で入ることになった。

 ある土曜日の午後だったと思う。札幌の丸善書店に行ってみたところ、化学の本の棚に赤と黒のツートンカラーで、化学の棚に似つかわしくない1冊が目に留まった。取り出してみたのが、私が後に行くことになる米国パデュー大学のハーバート・ブラウン先生の書いた「Hydroboration」という本だった。新しい有機ホウ素化合物をつくる方法が書かれていた。それを買い、帰って食事の後読み出したところが非常に面白い。徹夜して読んだ数少ない1冊となった。

 ブラウン先生に手紙を書いたところ、来るようにという返事をいただき、1963年に渡米した。1ドル360円の時代で、米国はベトナム戦争でひどい目に遭う前だからすごい力があった。博士研究員としての俸給が北大で助教授をしてもらっていた月給の4倍はあったと思う。肉もいろいろあり考えられないぐらい安い。ガソリンも日本の数分の1。とにかく国力の差を非常に感じた。こんな国と日本はどうして戦争したのかな、と思ったものだ。

 幸いに仕事も一生懸命やることができた。さらに加えて多くの外国人の友達ができたことがありがたい。ブラウン先生のところには35人以上の研究者が世界中から来ていたが、博士研究員として大企業や大学院から来ていた人たちと友達になることができ今でも付き合っている。日本人なら北海道に住んでいても、東京であろうが九州や四国であろうが以心伝心で通じるところがたくさんある。ところが外国人はそうはいかない。とことん話さないと分かりあえず、日本とは違う世界があるのだということを知ったことが大きい。同じ学問を習うにしても日本語では通じないから語学の勉強にもなる。さらに加えて自分の専門の勉強ができるということを考えると、外国に行くということは非常にいいことだと私は思う。

 最近、若い研究者が外国に行きたがらないという話を聞く。確かに私の専門としている分野では日本のレベルは非常に高い。ただしこれも2、3年でそうなったわけではなく、明治時代からの長年の努力がもたらしたものだ。今や外国に行って学ぶ必要がないというのは、確かに一理あると思う。しかし、繰り返し言うが外国に行くということは専門分野を学ぶことのほかにいろいろなメリットがある。知識だけ日本で吸収できるから行く必要がないという考えは、必ずしも当たらない。外国へ行って得られるメリットというのは非常にたくさんある。若い人も可能ならぜひ行くよう勧めたい。

 私の仕事で言うと、評価してくれたのはやはり米国が最初だったと思う。ベンゼンとベンゼンをくっつけてビフェニールをつくる化合反応を私たちが最初に発表したのは1981年だ。薬品、有機EL(エレクトロルミネッセンス)、液晶などの製造に非常に多く使われている反応である。英国から出ているTetrahedron Lettersという雑誌があり、アジアでは日本に編集局があった。それに私は投稿していた。ところがそれがリジェクトされた。没になったのだ。論文をその雑誌に採用していいかどうか決めるレフェリー(論文査定者)と、掲載するようけんかすれば勝てる自信はあった。ところがこの研究を一緒にやっていた院生が早く学位論文をとって就職したいと希望していたので、ニューヨークの本屋から出ているSynthetic Communicationsという雑誌に投稿した。この雑誌のアジア地域エディター(編集者)をしていた京都大学の先生から投稿を頼まれていたこともあったからだ。そちらに論文を送ったらすぐに掲載された。

 この反応は、世界中で今最も使われている。この論文の掲載を拒否したレフェリーは多分、日本人研究者だろうと想像するが、この人は「しまった」と思っているのではないだろうか。

北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者 鈴木 章 氏
鈴木 章 氏
(すずき あきら)

鈴木 章 氏(すずき あきら)氏のプロフィール
北海道立苫小牧高校(現・北海道苫小牧東高校)卒。北海道大学理学部化学科卒業、同大学院理学研究科化学専攻博士課程修了後、北海道理学部助手に。北海道大学工学部合成化学工学科助教授時代の1963-65年米パデュー大学のハーバート・ブラウン教授の研究室で有機ホウ素化合物の研究を行う。73年北海道大学工学部応用化学科教授。94年北海道大学を定年退官し、同大学名誉教授、岡山理科大学教授に。95-2002年倉敷芸術科学大学教授。01年にパデュー大学招聘教授、02年台湾中央科学院、国立台湾大学の招聘教授も。有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリングの業績で根岸英一・米パデュー大学特別教授とリチャード・ヘック米デラウェア大学名誉教授とともに2010年ノーベル化学賞受賞。同年文化勲章も受章。

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