レビュー

理工系人材育成に見る産学のギャップ

2015.10.26

小岩井忠道

 大学の研究に対する産業界の期待と大学の教育・研究の実態に相当なギャップがあることをうかがわせる議論が、「理工系人材育成に関する産学官円卓会議」で交わされている。

 文部科学省は今年3月「理工系人材育成戦略」を策定し、2020年度末までに集中して取り組む10の重点項目を盛り込んだ。「理工系人材育成に関する産学官円卓会議」の設置はその重点項目の一つ。理工系人材育成の具体策を産学官で検討する場として文部科学省と経済産業省が設置した。産業界、学界から5人ずつ選ばれた委員で構成され、座長は内山田竹志(うちやまだ たけし)トヨタ自動車会長と大西隆(おおにし たかし)日本学術会議会長・豊橋技術科学大学学長。5月以来、4回にわたって議論を重ねている。

 20日文部科学省のホームページに公開されたこれまでの会議で配付された資料と議事録によると、理工系学部、大学院に進学する女性の専門分野が偏っている現実とともに、学部、大学院での教育、研究分野と産業界が重視している専門分野に大きなずれがあるようだ。経済産業省が今年1月下旬から2月上旬にかけて産業界の経営者、役員を含む正社員の技術者を対象にアンケートを実施した「産業界が求める理工系人材ニーズに関する調査」の分析結果からも、読み取れる。

 約1万人から回答を得たこの調査は、現在の企業における業務で重要と考えられる専門分野を最大3分野挙げてもらい、かつそれらを大学で学ぶ必要があるか否かについても聞いた。専門分野は、最も大規模の研究費助成制度である科学研究費補助金(科研費)の運用に当たって専門分野を30に区分分けしている「分科」を基に再構成した30の「分科」を用い、その中から重要と考える専門分野を選んでもらった。

 重要分野として最も多くの答えが集まったのが「機械」で、18%を超し、このうち「大学で学ぶ必要がある」とする回答が14%強を占めている。以下「ITハード・ソフト系」の17%強(うち大学で学ぶ必要があるとする回答は11%強)、「ITネットワーク・データベース系」9%強(同約6%)、「電力・電気機器・回路系」約8%(同6%強)と続く。機械、電気、ITを選択した人が多いことが分かる。

 問題は、機械はまずまずとしてIT、電気分野の研究者の数が少ないこと。重要度がはるかに低いとされた他の分野よりも少なく、産業界からみるとミスマッチ、という実態が明らかになった。科学研究費補助金に採択された研究者の数を母数に、この分野の研究者数がどの程度の比率かを見ると、「ITハード・ソフト系」、「ITネットワーク・データベース系」、「電力・電気機器・回路系」とも1%以下という低さだ(機械は、何とか約5%を維持)。

 他方、重要分野という答えが1%台ないしそれ以下でしかなかったにもかかわらず科学研究費補助金に採択された研究者の比率が、IT、電気分野よりはるかに高い専門分野がある。分子生物学、生体システム、先端医療研究、神経系、バイオ関連工学といったバイオ関係は総じて研究者の数が多く、科学研究費補助金に採択された研究者全体に占める比率が5?10%の範囲に入っている。産業界の大勢から見ると期待あるいはニーズをはるかに上回る研究者がいる、という結果となっている。

 大学の研究者が企業の必要とする研究にばかりに目を向けていたら、逆に大学の存在価値が疑われることにもなりかねない。例えば生体システムや先端医療研究は、産業界の関心は現在それほど高くなくても、イノベーションを生み出す可能性の高い分野で、大学が先取りして研究に力を入れるのはむしろ好ましい現実—。そんな反論が大学側から聞かれそうだが、企業が重要とみなさない分野の方にむしろ多くの研究者がいるという現実をどうみるかは、なかなか難しい。

 新しい産業をつくり出し、今後も大きな可能性を持つと見られている情報系業種にどのような人材がいるか、というデータも経済産業省から示されている。文科系出身者の占める割合は、「基礎・応用研究、先行開発」に関わる職種で15%強、「設計・開発」で約20%、「セールスエンジニア・技術企画」20数%、「システムエンジニア、生産技術・製造・施工」30数%などとなっている。文科系出身者が他の分野に比べて多いのが、この情報系業種の特徴であることが分かる。

 最近、さまざまなところで、イノベーションは理工系研究者・技術者たちだけの研究開発、発想からだけでは難しく、社会・人文系の専門家も含めた文理融合でないと生まれにくい、という声をよく聞く。情報系の職種で文理融合がうまく転がっているなら、情報系職種に文科系出身者が多いという数字はむしろ歓迎すべきこととなるはずだが、実態はどうか。

 「理工系人材育成に関する産学官円卓会議」でデータを報告した経済産業省の担当官が、経済産業省の産業構造審議会商務流通情報分科会で交わされた議論を紹介していた。日本は守りのIT投資が非常に多いのに比べて、米国は攻めのIT投資が多く,こういうことで良いのだろうか、といった指摘があったという。IT予算を増額する企業がどのような用途に多く予算をつけているかを示すグラフを見ると、日本の企業では突出しているのが「ITによる業務効率化・コスト削減」。それに対し、米国の企業は「ITによる製品・サービス開発強化」「ITを活用したビジネスモデル変革」「ITによる顧客行動・市場の分析強化」に多くの予算をつけている。

 日本企業内のIT部門は、主に「守りのIT」を担当しており、主体的にビジネスに関与する組織となっていない、と産業構造審議会商務流通情報分科会の資料には書かれている。IT分野の理工系人材の発想に問題があるからなのか、文科系人材が理工系人材の発想の限界を補う役割を果たしていないとみるべきなのか、いずれにしろ情報系職種においてはせっかくの“文理融合”の効果が挙がっていない、ということだろう。

 9月25日の円卓会議では、座長の内山田トヨタ自動車会長が、経団連未来産業・技術委員会委員長として意見を述べている。氏は、IT、電気関係の研究者が少なく、バイオ関係が多いといった産業界の大勢から見た「企業・大学間のミスマッチ」の是正のほか、理工系人材の拡充に向けた取り組みについて具体的な提案を列挙した。

 最初に挙げられたのが、理工系人材の量的充実。氏はインダストリー4.0(第4次産業革命)という産学連携の取り組みを進めるドイツの取り組みに学ぶ必要を提案した。理工系学部の学位取得者が2006?2011年間に2倍弱に増えているのに対し、日本では逆に2007?2013年にかけて減っている事実を示し、理工系人材育成の重要性を強調している。

 このほか、製造業の技術者に占める割合が1割程度にとどまっている女性技術者比率を高めるなど理工系女性人材の育成から、大学改革、産学連携の強化など提案は多岐にわたっている。

 3月に策定された「理工系人材育成戦略」は、理工系人材に期待される活躍の姿として「新しい価値の創造および技術革新(イノベーション)」を挙げている。「大学・産業界双方のコミットメントのもと、実務家等を含む実践的な教員組織を実現し、…大学における理工系プロフェッショナルの養成機能を抜本的に強化する」など、特に大学に対する注文が多い。産業界の大学に対する期待は、シンポジウムなどでの発言を聞いても最近、より具体的になっている。

 大学側や、大学の研究者たちをバックアップすべき学界は、こうした産業界からの攻勢にどのように対応するのだろうか。

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