レビュー

今年のノーベル賞【後編】化学賞の欧米女性2氏 プエルトリコで運命的な出会い、共同研究へ

2020.10.22

内城喜貴 / サイエンスポータル編集部、共同通信社客員論説委員

 「クリスパー・キャス9」と呼ばれるゲノム編集技術の画期的手法を開発して今年の化学賞に輝いたのは、ドイツ・マックスプランク研究所のエマニュエル・シャルパンティエ教授と、米カリフォルニア大学バークレー校のジェニファー・ダウドナ教授という2人の女性研究者だ。2人は2011年、カリブ海に浮かぶプエルトリコで運命的な出会いを果たし、その後共同研究を手がけることに。2017年にはノーベル賞に先駆け、そろって日本国際賞を受賞した。

化学賞を受賞するエマニュエル・シャルパンティエ氏(左)とジェニファー・ダウドナ氏(ノーベル財団提供)

 女性のノーベル賞受賞は1903年のマリー・キュリーが皮切りだ。複数人の受賞という観点で振り返ると、ノーベル平和賞は1976年と2011年に前例がある。また、2009年のノーベル化学賞を受賞した3人のうち2人が女性だった。しかし今回、自然科学部門のノーベル賞を女性2人で分け合うのは初めての快挙となる。

「生命科学に革命的なインパクト」

 シャルパンティエ氏とダウドナ氏が開発した手法を簡単に説明すると、細胞内の核に編集したい遺伝情報を探し出すガイド役の塩基配列「クリスパー」と、クリスパーが見つけた遺伝情報を持つDNAを切断するはさみの役をする酵素「キャス」を注入。遺伝情報を狙い通りに書き換える―というもので、2012年に発表されている。

 ゲノム編集技術は複数あるが、2人の手法は格段に扱いやすいのが特長で、2人はここ数年同賞の有力候補だった。ただ、米メディアなどによると、別の米マサチューセッツ工科大学とハーバード大学が共同で設立した研究所のチームと特許を巡る訴訟は係争中で2人の受賞は最終決着後との見方もあった。だが、王立科学アカデミーは「生命科学に革命的なインパクトを与えた」と評価し、授賞を決めた。

 ゲノム編集の技術が登場するまでの遺伝子改変の技術は、ある限られた生物種にしか、また限られた改変しかできなかった。しかし、ゲノム編集によって基本的には全ての生物種で改変が可能になった。しかも従来はどの部分を改変するかをコントロールできなかったが、この新しい技術は狙ったところで改変できるのが最大の長所だ。基礎研究から農産物の品種改良のほか、遺伝子疾患をはじめ多くの病気治療への応用に期待が高まっている。

「クリスパー・キャス9」の仕組みの模式図の一部(ノーベル財団/スウェーデン王立科学アカデミー提供)

日本人研究者が塩基の繰り返し配列を発見

 2人の手法の基礎となるDNAの塩基の繰り返し配列を見つけたのは日本人研究者だった。1987年、当時大阪大学の研究者だった石野良純氏(現在九州大学大学院農学研究院教授)らが大腸菌のDNA内部で4種類の塩基のうち29個の組み合わせが5回繰り返される奇妙な配列の存在を明らかにした。この塩基配列は後にクリスパーと呼ばれるようになるが、その生物学的機能については謎で石野氏も発表論文に「珍しい構造」と記したもののその機能の解明までは行われなかった。

 シャルパンティエ氏らがノーベル賞を受賞するなら石野氏も受賞するのではないかと期待する声もあった。しかし残念ながら同氏の研究分野はやや医学生理学に近いこともあり、化学賞の共同受賞はかなわなかった。同氏は2人の受賞が決まった後、九州大学で記者会見し「うれしく思い興奮している。人類に役立つ技術開発が評価され、非常にうれしい」などと語っている。あくまで謙虚に2人にお祝いの言葉を述べる姿から石野氏の人柄がうかがえた。同氏の業績も称えたい。

ダンサー志望とハワイ育ちと

 2017年に日本国際賞を受賞した2人は授賞式出席のために来日し、記念講演もしている。当時の取材メモによると、シャルパンティエ氏は1968年にフランス・パリ郊外で生まれた。子供のころはバレーダンサーを夢見ていた少女だった。勉強では生物が得意でパリの大学では生物を学び、パスツール研究所にいた1995年に抗生物質の耐性菌研究で博士号を取得。その後米国で細菌学の研究を続けて2002年にウイーン大学の細菌学と免疫学部門の助教授に就任した。現在はマックス・プランク感染生物学研究所所長を経て、独立したユニットを持っている。

 ダウドナ氏は1964年2月19日に米ワシントンDCで生まれ、間もなくハワイ州ハワイ島に移った。ハワイの自然の中で育ち中学時代から自然の仕組みへの好奇心を持ち続けていたという。1981年に生物学を学ぶために米カリフォルニア大学に入学、卒業後ハーバード大学理学大学院に進み、1989年にRNA酵素であるリボザイムの研究で博士号を取得。2002年カリフォルニア大学バークレー校の生化学と分子生物学の教授に就任し、現在に至っている。

2017年4月19日に東京都千代田区の国立劇場で開かれた日本国際賞授賞式であいさつするシャルパンティエ氏(左)とダウドナ氏(国際科学技術財団提供)

始まりは偶然のカフェから

 ウイーン大学でRNA分子の調整機能を研究していたシャルパンティエ氏はクリスパーに関心を持ち、2009年スウェーデンの大学の助教授になって「化膿連鎖球菌のゲノム内のキャス9という酵素タンパク質と2つのRNA酵素がこの細菌の免疫システムで重要な役割を果たしている」という仮説を立てた。

 一方、カリフォルニア大学バークレー校でRNAの役割を研究していたダウドナ氏は、クリスパーと細菌の免疫システムに関する仮説を知り、RNAがこれにどう機能しているか、という研究を続けていた。

 そして2011年3月、それまで接点がなかった欧米出身の2人は、微生物に関する国際会議が開かれたプエルトリコのカフェで、研究仲間を介して偶然に出会った。石畳の旧市街を散策しながらゲノム編集の話をしているうちに、シャルパンティエ氏が共同研究を提案。ダウドナ氏が呼応する形で新たな試みが始まったという。早くも2012年、米科学誌サイエンスに研究成果論文を発表し、クリスパー・キャス・システムによるゲノム編集に道を開くことになる。

倫理や規制の在り方を巡る議論も重要

 今回化学賞受賞が決まった2人によりゲノム編集の応用は一気に進んだ。だが、改変を狙った以外の遺伝子部分を改変してしまう「オフターゲット」や、ある細胞集団を対象に改変したい遺伝子部分を導入しても全ての細胞に導入されない「モザイク」といった技術的問題があった。こうした問題は世界の研究者により日々改良、改善されている。それも多くの研究者はまだ「完璧」ではない、と指摘している。

 2018年11月には中国の研究者がゲノム編集技術により、エイズウイルスに感染しないように遺伝子改変した人間の受精卵から双子が生まれたと報告し、世界に衝撃を与えた。この技術により、身長や知能を改良するなど「望み通り」の「デザイナーベビー」をつくられる懸念さえある。人類福祉に貢献できるこの技術の応用研究と同時に倫理や規制の在り方を巡る議論も重要で、ヒト受精卵への応用は厳格な規制が必要であることは言うまでもない。こうした点はシャルパンティエ氏とダウドナ氏も度々指摘している。

2017年4月20日に東京都文京区の東京大学伊藤国際学術研究センターで行われた記念講演で講演するシャルパンティエ氏(左)とダウドナ氏

 最後に、2人が日本国際賞の記念講演で若い研究者に向けて送ったメッセ―ジを紹介したい。

「自分の考えを信じて直観に従い、物事を決めつけずに新しいアイデアを取り入れる柔軟な態度を持つようにしてください」(シャルパンティエ氏)

「科学の本質は発見です。事実を暗記するのではなく、未知なるものを解き明かし、疑問にどのように答えを出すかが肝心です。他者と協力し合い、発見の喜びを分かち合えることも科学の魅力です」(ダウドナ氏)

関連記事

ページトップへ